- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480064356
作品紹介・あらすじ
日本文明の大半は中世の寺院にその源を持つ。最先端の枝術、軍事力、経済力など、中世寺社勢力の強大さは幕府や朝廷を凌駕するものだ。しかも、この寺社世界は、国家の論理、有縁の絆を断ち切る「無縁の場」であった。ここに流れ込む移民たちは、自由を享受したかもしれないが、そこは弱肉強食のジャングルでもあったのだ。リアルタイムの史料だけを使って、中世日本を生々しく再現する。
感想・レビュー・書評
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中世は「警察官が罪もない者をつかまえて、犯罪人のレッテルを貼って財産を自分のものにする」ことが検断得分として横行していた(伊藤正敏『寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民』筑摩書房、2008年、133頁)。冤罪を作ることが利権となっていた。
「地頭側は百姓達に様々な嫌疑をかけ、科料をとったり、その身を押さえたり、あるいはその一族を身代として捕らえる等の行為に及んでいる。その際、十分な捜査を行っていないことについても訴えられている。そのうえ、百姓達の財産を押収していることもある」(高橋典幸、五味文彦編『中世史講義 院政期から戦国時代まで』筑摩書房、2019年、110頁)
近年の歴史学は百姓らが支配され、搾取される一方ではなく、逃散や訴訟など抵抗する存在であったことを重視する傾向がある。紀伊国の荘園の百姓の訴状では「ミミヲキリ、ハナヲソキ」と地頭の非道を訴えている。これも近時は百姓が地頭の一方的な支配に抵抗していたことを示すものと解釈される傾向がある。
とはいえ、百姓が抵抗していたことは、地頭の非道がなかったことを示すものでも、地頭の非道が常に是正されたことを示すものでもない。ブラック企業が社会問題になり、糾弾されているとしても、世の中にパワハラや出社ハラスメントがなくなった訳ではないことと同じである。
むしろ、「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉が生じたように地頭の非道に泣き寝入りすることが多かっただろう。この「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉が流布したところに日本社会の後進性がある。
現代日本の刑事司法は人質司法や弁護人の同席なしの取り調べなど人権無視の状況である。これは国際的には日本の刑事司法は中世レベルと批判されている。これは非常に深刻な問題であるが、批判された日本側の意識は低い。そこには中世の非道な状況も「泣く子と地頭には勝てぬ」で受け入れている鈍さも一つの要因だろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
京都の歴史地図本を見たくなりました
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比叡山訪問後、奈良旅行前に読了。
前提知識のない方には、「お寺」というものの見え方が大きく変わる本。
著者の情熱がすごすぎて一部読みづらいが、大変面白い内容だった。
・古代では寺僧は公務員。中世に入り変質
・中世は無縁所が無数に存在。南都北嶺がその代表で、治外法権の場。寺社は広大な荘園を全国に所有
・中世で「山」は延暦寺、「寺」は円城寺
・山伏は形式上は吉野・熊野などの無縁所に所属する身分であり、公権力の検断権が及ばないことになっていた(義経が山伏に変装した理由)
・祇園(現在の八坂神社)は神仏習合の象徴的な存在で、疫病に対する恐怖から逃れたい人々の信仰を集めた
・1166年に中世最初の山城を建設したのは比叡山
・古代では死体遺棄に近い葬法が一般的だったが、中世では墓所を造営する習慣が広がり、寺社経営の収益源となっていった(真言宗・天台宗はケガレを忌避)
・石仏・墓石は石垣の材料にされるなど粗末に扱われることも多々あった
・中世の寺社勢力は朝廷・幕府よりも巨大な勢力だったが、文書等への登場は限定的 -
日本中世史における寺社(特に比叡山や高野山といった大規模寺院)と、その支配地に発生した「境内都市」についての新書。
中世の寺社の経済的側面を強調し寺社内部の権力構造を解き明かすことによって、所領内に多くの「無縁の人」が流入する事によって都市的共同体が発生し、その大きな軍事力・経済力を行使することによって朝廷や幕府といった政治プレイヤーにも大きな影響力を及ぼしていたことを明らかにしています。
これによって網野善彦氏によって注目された「無縁/苦界/楽」といった存在について、伊藤氏は従来考えられていたよりももっと強い影響力を持っていたのだということを主張しています。
基本的には東大寺文書や高野山文書等の寺社由来の文書に依拠し、「吾妻鏡」や「太平記」といった年代記に記載されていない『民衆の歴史』を明らかにしています。この文書から再構築されている中世の世界は名も無き人々が集まり蠢きあう世界です。軍記物語では決して光の当たらない部分にも、世界は存在しており、それはむしろ飾られた歴史よりも強固な構造を持っているように感じられました。
しかし、境内都市として本書で取り上げられた事例については基本的に畿内の例がほとんどです。
例えば網野氏が注目した農業民以外の常民の世界は、都市民にかぎらず海民や狩猟民、漂流者といった様々な人々に光を当てていました。それに比べると大寺社とその境内に暮らす人々をフォローアップするだけでなく、地方における境内都市の有り様についてもっとクロースアップすることで、無縁世界の影響力が遍く広がっていたことがわかるのではないかと考えます。
最後に、著者自身は境内都市については先行研究は存在せず自らがこの分野を切り開いたということにかなり強い矜持を持っていらっしゃるようで、そういった記述が中世の無縁世界を純粋に知りたい人間には正直邪魔だったなと思いました。 -
中世の見方がまるで変わった、というか、揺さぶられ、変えさせられたと言うべき。
インパクトのあった一冊。 -
網野善彦氏の名著「無縁・公界・楽」から、
さらに「無縁」について踏み込んで論じている良本。
「無縁の世界」である中世の寺社を宗教施設としてではなく、
経済活動の拠点である「境内都市」として捉えることで、
従来の政治的な視点ではなく、
経済的な視点から「中世」という時代をとらえなおしている。
個人的には室町以前の混沌とした状況における寺社の役割についての部分が面白い。