- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066404
作品紹介・あらすじ
阿修羅像は、なぜ博物館にあったのか?伊勢神宮に、仏教の儀式を行う場所があった?天皇家は、代々仏教を信じていた?…近代以前には、日本人の生活に溶け込み、密接に結びついていた神道と仏教は、「神仏分離」により無理やり引きはがされてしまった。このことは、どんなダメージをもたらし、日本人の信仰にどんな影響を与えたのか。仏教や曼荼羅、神社、寺の姿を丹念に見ることで、その実態を解き明かしていく。
感想・レビュー・書評
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前に読んだ「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」の著者さんの本で、こちらでは日本史における仏教と神道のあざなえる縄のごとき歴史と、ひいては現代日本人がなぜ誕生や成長や結婚では神前に参り、葬式や盆では仏前に手を合わせるのか、その謎に迫っていく。
神道にとっては「救済」を始めとする信仰のコアが欲しかったし、仏教にとっては神道の空間が持つ「聖性」を必要とした、という入り繰りの関係は大変面白いし、神仏習合や本地垂迹といった神と仏の統合のプロセスと、明治期に至って神仏分離や廃仏毀釈といった分離のプロセスのダイナミズムは、読んでいてエキサイティングですらあった。
さまざまな社会のダイナミズムを経て、結果的には今、神社と寺は分離された状態にあるが(比較的容易に分離できたのは、両者は本質的には融合していなかったからだと著者はいう)、普通の日本人が両者をともに違和感なく必要としているありさまは、日本人が遺伝子レベルで持っている「(一つではなく)ヤオヨロズの神々のメンタリティー」という理解で良いような気はする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
知性と教養の先生からこの本をすすめられて、やっと読み終えた。
現代では神仏が明確に別けられているが、それは明治維新で始まったことである、とそのあたりのことが丁寧に書かれていて、ページを繰るごとに新しい発見があり、目から鱗だった!
ただ自分は学生時代に日本史を低空飛行でしのいでいたため、基本的なことすら新しい発見で、読み進めるのにかなり時間を要した。己の無知さ加減を恥じた。。。
でも、なぜ日本人は神仏をわけっぱなしにしているんだろう。仏教伝来以来から江戸時代までは神仏は一緒だった、それを明治政府がこれこれの理由で神仏分離・廃仏毀釈したのだと学校で教えてくれれば、もっと自然な日本的な宗教観が育まれるのに、と思った。 -
この本の内容を3行でまとめると、
*そもそも日本には1000年以上の間、神道も仏教も溶け合うように一体化した「神仏習合」の信仰世界がありました
*明治新政府が天皇を中心とした新体制確立のために行った「神仏分離」により、神道の世界から仏教的要素は払拭され(ることを目指し)、古代から変わらず守られてきた日本土着の信仰であるところの神道、という「伝統が作られ」ました
*日本人が自分は無宗教だと答えるからくりは、初詣も行くし葬式は寺でやるし、という習慣を「宗教的無節操」と認識し、厳然と分けられた宗教としての「神道」「仏教」のどちらも選べないから、であり、私はむしろ、日本人は宗教というものと長く密接に関わりながらも、のめり込みすぎない節度ある距離を保ちながら生きてきたのだと考えます
という感じです(1行が長い)。
それらを説明するための例も興味深く、最近でた別の著書(「八幡神社はなぜいちばん多いのか」だったかな)よりも、深く楽しめました。
その他、印象に残ったことメモ。
*神仏習合を理論的に支えたのは密教
*密教の影響のない神社はない(とまでは言わないにしても、とても多い) 。伊勢神宮だって例外ではない(今は払拭されているけど古い絵など見ると明らか)。
*仏像の名前って実はころころ変わってたりする(弥勒菩薩として作られたけど観音菩薩ってことになってる時代があるとか)。素敵にいい加減!
*神道には救済論がない。寺には神秘性がない(寺は僧侶が生活する場所なので、結局は人間のための場所。神社は祈祷のため、神のための場所。)ということで両者補い合う。 -
そうか、仏様は人間が悟りを開いた存在だったのか。
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明治維新って一体なんだったのだろうか?と思わずにはいられない。
日本近代仏教の不幸な側面が突きつけられる。
「神様仏様」と思わずつぶやく感覚だけは日本人からなくならないことを祈ります。
仏教神道を見つめ直すための一冊。 -
神仏混淆(習合)についてはそれなりの知識を持っているつもりでしたが、それでも知らないことがわんさか出てきました(苦笑)
特に最終章(第5章)「近代が創造した伝統宗教」は目からうろこが落ちました。
いずれにせよ、日本の長きにわたる宗教伝統は神仏混淆であって、神仏分離は明治以降のわずか百数十年の歴史しかないことをわからせてくれる本です。 -
日本人はよく無宗教だといわれる。でも、お正月は初詣に行くし、結婚式は神前で挙げたり、お葬式には必ずお坊さんを呼ぶ。生活の中に神道や仏教の教えやしきたりが根付いているのだ。なのになぜ無宗教が多いのか、これを本著は無宗教ではなく、宗教という考え方(区切り方)が日本の宗教の考え方にそぐわないのだと展開する。
日本は近代になるまで神仏習合というスタイルを取ってきた。これはそもそも外来宗教である仏教と神道の教えが相互に絡み合い、悪く言えば互いの宗教がもつ欠点を補う形で発展したのだ。例えば、神道にはそもそも救済という考え方がないが、これに仏教の救済心が加わり、神社の中でも神に願えば救われるという精神が根付いた。また密教の多数の神々が日本の八百万の神という考えと融合し、神社でも曼荼羅や護摩を行うところもある。日本の宗教は、こうした日本文化と深く根付いているという考えが面白い。こうして日本の宗教観や歴史を振り返ると、そこには古くから持つ日本人の価値観に出会えることだと思う。 -
タイトルからは、ざっくりとした日本人の宗教観に関するよもやまエッセイ的なものを想像してしまうが、実は神仏習合/神仏分離/廃仏毀釈に的を絞った好著。勉強になりました。