地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書 1100)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480068125

感想・レビュー・書評

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  • 地方の過疎化に対する問題提言。
    ちょっと感情的な文面が気になるけれども、参考になる。(と読みはじめは思っていたが、裏切られた)

    元総務大臣の増田寛也氏が代表を務める、日本創生会議が「地方消滅」を唱えたことで、「人口減少社会」、そして「消滅可能性自治体」の議論が大きくクローズアップ。著者はそのレポートをふくめた国の姿勢──自治体統合や、廃校、金満主義が、しゃにむに国民の不安を煽り、生まれてくるはずだった次世代の命を封印したと説く。

    けっきょく、人口減少は社会不安の現れ。
    団塊ジュニア世代の増加は、団塊世代の地元復帰効果だったが、現代の若者は都市へと流れる。しかし、一部の平成世代では地元志向が強まっている。

    問題点の指摘はいいのだが、解決策があまり描かれていない。その有効な手だてというのが、原発避難のための一時的な「住民票の二重登録化」「ヴァーチャル自治体の発生」というに及んでは、やはり学者の頭でっかちの浅知恵としか思えない。

    住民登録を複数の自治体にしたらどうなると思うか。選挙でも票数で不正が横行、社会保障の不正受給、身元が不明な仮装人間がまぎれこむことへの不安。現実性がなさすぎる。

    日本の社会学者のレベルはこんなものか。
    地元活性化の取組をやっている事業主のほうがまだまし。単に学者が自分の理論をコケにされた逆恨みで書いた論文まがい。研究にもなっていない。

    地方消滅の状況を知るガイドとして読むのなら可。


    地方自治の研究者って、別に教授じゃなくてさ、NPO法人の活動家だとか、行政職員だとか、もっと現場で経験積んだ人でいいと思う。

  • 問題意識はわかるけど、なんだか文章の構成、文脈があっちに行ったりこっちに来たりと、ふらふらな感じ。気持ちを抑制した冷徹な文章の方が説得力は出ると思うのだけど。

  • 「消滅可能性自治体」を提起し、地方創生が叫ばれるきっかけとなった「増田レポート」に対する批判本。
    「増田レポート」が打ち出す「選択と集中」という方向性は、「排除の論理」であり、「地方切り捨て」「弱者切り捨て」につながると批判し、対抗する考え方として「多様性の共生」を提示している。
    気持ちはわからないでもないが、陰謀論のような考えも見え隠れするかなり感情的な批判で、「増田レポート」に対する有効的な批判になっているとは思えなかった。「多様性の共生」という概念には賛同するが、それを実現するための具体策がほとんど提示されておらず、「多様性の共生」が持続可能なものなのか疑念がある。
    ただ、数少ない具体的提案である住民票の二重登録化については、検討する価値のあるアイデアだと感じた。
    本論とは関係ないが、地域が大事と言いつつ、著者が、弘前大学から首都大学東京に移籍していることが気になった。

  • 20150610

  • 住民での自治の回路がない。財政や制度的な権限が国、県が持っていて全体の構造上、事実として現時点・市町村は主体ではない。
    「選択と集中」という言葉の裏にグローバルな競争の中でこの国が優位に立つためなら、地域など消し飛んでも仕方ないという意識を含んでいる。「一関市のICL」
    学校統廃合もストックを負債と見てスクラップ化が図られた。
    インフラは効率性や採算性ではなく、暮らしや経済のために必要だから、公共の名のもとに確保する。
    過疎対策には2面性がある。 1条件不利地域の不利の克服 2集落移転事業
    「国土のグランドデザイン2050」が「国際志向」と「地域志向」の2つのベクトルを持つ複眼的な捉え方が必要としてる。
    住民票の二重登録化という提案 自治体の住民を数としてとらえてしまえば、「選択と集中」論に行き着き淘汰の発想に繋がる。福島原発問題からの発案 避難元と避難先の二重自治体に所属。住民とは誰かの概念がかわる。
    自治体の範域がいま暮らしている住民だけが自治体の構成員である必要性はない。その区域か関わる様々んな形で参加してもよい。
    住民であること」に付帯すること①行政サービスを享受すること②税を支払うこと③選挙権を行使すること→①権利 ②参加と協働 ③所属の三つの視点で考える。

  • 「選択と集中」「人口ダム」を唱える増田レポートの批判本であり、結局はネガキャンに過ぎない。それでも『地方消滅』を一つの提案として捉え、それを補完していると素直に読み進めるなら学ぶべきことは多い。地方自治体、自治会、そして家庭といった末端の実情を酌んで、地方再生策を「多様性の共生」論で説く。しかし、増田レポートはまったく相反するものではなく、それを土台に持論を展開しているわけでしょ。日本を憂うる気持ちが同じなら、異論を受け入れる鷹揚さが欲しい。平成の大合併を大失敗と簡単に斬り捨てることは見識が甘い、と思う。

  • 子育てには、経済呂毅然にゆとりのある時間の創出が必要なのである。そして時間が必要という点からすれば、家庭からの労働力としての人員の放出が家族の時間を奪い、出生率を下げている可能性のほうが高い。そうした状況で雇用を増やしても、さらに出生を妨げるだけではないか。まして労働力としての人員の増大が全体としての賃金を引き下げるとしたら、子育てのための労働市場への参入が、ますます人々を苦しめるにことになる。(p.39)

    インフラは効率性や採算性ではなく、暮らしや経済のために必要だから、公共の名の下に確保するのである。そして過疎対策というものも、人口減で自治体規模が縮小しても、そこに地域差がそれ以上生まれないような格差を取り払い、日本全国どこでも一定水準の暮らしを確保するべく行われてきたものだ。(p.94)

    どうも、物事が好転しないのは私たちのせいではないのではないか。小さな地域ほど頑張っている。様々なことに協力もし、会合にも出てきて話もする。みんなでこうと決めればきちんと負担もする。自治体も財政難がかえってよい薬になった。職員の意識も変わった。地域のため、自治体のため、一所懸命働き、汗を流す人は増えてきた。しかし、いくらやっても成果は出ない。(p.101)

    まずそもそも地域は本来、選択すべき(淘汰されるべき)対象ではない。人間を選択の対象にすべきではないのと同様である。場合によっては地域を選択することもあるかもしれないが、経済性や効率性で考えてよい地域は、鉱工業地帯や郊外など、近現代に形成されたごく限られたものであるべきだ。
    また選択を行うにしてもその基準は、必ずしも経済性や効率性のみではないはずだ。文化や歴史性など別の基準もあるだろう。また、集中だけでなく、分散という選択もありうる。そもそも東京一極集中(極点社会)からの転換は、集中ではなく分散や均等が本来の筋ではないか。(p.146)

    「地方のため」「東京一極集中を止めるため」という掛け声の背後で、こうした中央集権的思考が明確に展開されていることにこそ、私たちもっとも警戒しなければならない。(p.163)

    「地方消滅」「自治体消滅」「人口減少」に本当に必要な対処とは本来、「行政サービスとして最低限の生活インフラは今後もしっかり維持していきましょう。そのためのスキームはこうです」という戦略づくりでなければならないはずだ。(p.233-4)

    社会は持続しなければならない。時速のあめには、様々な循環が必要だ。そして循環が成り立ちには、そこに様々な主体の協働が必要であり、その協働の基礎には自立がある。そして自立のためには各自がコンパクトでなければならない。農村は農村で、都市は都市で。それぞれの地域が小さく自立していることで、協働が生じ、循環が可能になり、氏族可能な縮小社会は実現する。(p.294)

  • 増田寛也『地方消滅』は現在進行している人口減少により、地方自治体が瀕する危機を、データでもって力強く訴えました。そして、処方箋として提示したのが、地方中核都市を人口流出の防波堤とする『選択と集中』案でした。本書では増田の提案する『選択と集中』の論理的矛盾点をつき、それに対置した『多様性の共生』を提案しています。少子化の分析は『地方消滅』より本書のほうが穿っているように思いました。とくに男女ともに労働力として市場に駆り出される経済至上主義が、家族の時間をうばい子どもを持つ機会を逸している、とすると、都市機能を地方に移転した増田案では人口減少は防げない、という論点はかなり本質的なように思います。増田レポートには地方の事情よりもとにかく経済を優先する思想が色濃く反映されているようです。一方、本書で提案する『多様性の共生』は実現できれば幸福な社会だと思いますが、要求されるハードルは増田レポート以上のものがあります。小さな集団の自立を基調として政治家や政府、専門家が協働して問題解決にあたる、というのは素晴らしいと思います。
    しかし、そもそもコミュニティの根本たる家族すらろくに治めることができない現代人に町や国を治めることができるのでしょうか。これを実現するには国民一人ひとりが変わるための、ながい時間が必要となるでしょう。それまでに、いたずらに危機を煽り、権力者のエゴを満たして少数者を顧みない政策に手を貸さないよう、私たちは注意する必要があります。たとえ今は安泰でも、地方が駆逐されてしまえば、次に駆逐される私たちに違いないのですから。
    『地方消滅』を読まれて人口問題に興味をもたれた方は本書を読むことで、さらに考察を深めることができると思います。

  • 引用省略。

  • 本書を読んで自身の知見の浅薄さを痛感した。
    選択と集中のロジックをなんとなくで受け入れていたが、よく考えてみればどこに住むかは個人の自由である。それを「地方消滅回避」という名の下に、統制的(しかも中央政府主導で)におこなおうというのは極めて筋が通らない。

    選挙に関して(農村区の過大反映)に関しては、筆者と意見を異にするし、筆者が東北を中心にリサーチしているため、やや後半部には批判できる点もある。
    最近「日本国」のためというロジックが幅を利かせるが、所詮それは空虚な存在(想像の共同体)であり実態がない。むしろ地方の地区・自治体にこそ実態があるわけで、こうした地区の努力を「地方消滅」と評して統制し、消滅へと政策誘導をおこなうは極めて危険である。筆者はオーバー気味に戦前との対比をしているが、あながち暴論とは言えない。

    指定都市シンポジウムでも増田氏が講演をおこなっていたが、確かに聞いていて「指定都市の権益拡大だけになるんじゃね?」と違和感を覚えたのも事実。

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著者プロフィール

山下 祐介(やました・ゆうすけ) 1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現在、東京都立大学教授。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。著書『限界集落の真実』『東北発の震災論』『地方消滅の罠』(以上、ちくま新書)、『「復興」が奪う地域の未来』、『地域学をはじめよう』(以上、岩波書店)、『「都市の正義」が地方を壊す』(PHP新書)、『「布嘉」佐々木家を紡いだ人たち』(青函文化経済研究所)、『地方創生の正体』(共著、ちくま新書)、『人間なき復興』(共編著、ちくま文庫)など多数。津軽学・白神学の運動にも参加。

「2021年 『地域学入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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