地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書 1100)
- 筑摩書房 (2014年12月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480068125
感想・レビュー・書評
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問題意識はわかるけど、なんだか文章の構成、文脈があっちに行ったりこっちに来たりと、ふらふらな感じ。気持ちを抑制した冷徹な文章の方が説得力は出ると思うのだけど。
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「消滅可能性自治体」を提起し、地方創生が叫ばれるきっかけとなった「増田レポート」に対する批判本。
「増田レポート」が打ち出す「選択と集中」という方向性は、「排除の論理」であり、「地方切り捨て」「弱者切り捨て」につながると批判し、対抗する考え方として「多様性の共生」を提示している。
気持ちはわからないでもないが、陰謀論のような考えも見え隠れするかなり感情的な批判で、「増田レポート」に対する有効的な批判になっているとは思えなかった。「多様性の共生」という概念には賛同するが、それを実現するための具体策がほとんど提示されておらず、「多様性の共生」が持続可能なものなのか疑念がある。
ただ、数少ない具体的提案である住民票の二重登録化については、検討する価値のあるアイデアだと感じた。
本論とは関係ないが、地域が大事と言いつつ、著者が、弘前大学から首都大学東京に移籍していることが気になった。 -
20150610
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住民での自治の回路がない。財政や制度的な権限が国、県が持っていて全体の構造上、事実として現時点・市町村は主体ではない。
「選択と集中」という言葉の裏にグローバルな競争の中でこの国が優位に立つためなら、地域など消し飛んでも仕方ないという意識を含んでいる。「一関市のICL」
学校統廃合もストックを負債と見てスクラップ化が図られた。
インフラは効率性や採算性ではなく、暮らしや経済のために必要だから、公共の名のもとに確保する。
過疎対策には2面性がある。 1条件不利地域の不利の克服 2集落移転事業
「国土のグランドデザイン2050」が「国際志向」と「地域志向」の2つのベクトルを持つ複眼的な捉え方が必要としてる。
住民票の二重登録化という提案 自治体の住民を数としてとらえてしまえば、「選択と集中」論に行き着き淘汰の発想に繋がる。福島原発問題からの発案 避難元と避難先の二重自治体に所属。住民とは誰かの概念がかわる。
自治体の範域がいま暮らしている住民だけが自治体の構成員である必要性はない。その区域か関わる様々んな形で参加してもよい。
住民であること」に付帯すること①行政サービスを享受すること②税を支払うこと③選挙権を行使すること→①権利 ②参加と協働 ③所属の三つの視点で考える。 -
「選択と集中」「人口ダム」を唱える増田レポートの批判本であり、結局はネガキャンに過ぎない。それでも『地方消滅』を一つの提案として捉え、それを補完していると素直に読み進めるなら学ぶべきことは多い。地方自治体、自治会、そして家庭といった末端の実情を酌んで、地方再生策を「多様性の共生」論で説く。しかし、増田レポートはまったく相反するものではなく、それを土台に持論を展開しているわけでしょ。日本を憂うる気持ちが同じなら、異論を受け入れる鷹揚さが欲しい。平成の大合併を大失敗と簡単に斬り捨てることは見識が甘い、と思う。
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引用省略。
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本書を読んで自身の知見の浅薄さを痛感した。
選択と集中のロジックをなんとなくで受け入れていたが、よく考えてみればどこに住むかは個人の自由である。それを「地方消滅回避」という名の下に、統制的(しかも中央政府主導で)におこなおうというのは極めて筋が通らない。
選挙に関して(農村区の過大反映)に関しては、筆者と意見を異にするし、筆者が東北を中心にリサーチしているため、やや後半部には批判できる点もある。
最近「日本国」のためというロジックが幅を利かせるが、所詮それは空虚な存在(想像の共同体)であり実態がない。むしろ地方の地区・自治体にこそ実態があるわけで、こうした地区の努力を「地方消滅」と評して統制し、消滅へと政策誘導をおこなうは極めて危険である。筆者はオーバー気味に戦前との対比をしているが、あながち暴論とは言えない。
指定都市シンポジウムでも増田氏が講演をおこなっていたが、確かに聞いていて「指定都市の権益拡大だけになるんじゃね?」と違和感を覚えたのも事実。