問いを問う ――哲学入門講義 (ちくま新書 1751)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480075734

作品紹介・あらすじ

哲学とは、問いの意味そのものを問いなおし、自ら視点の転換をくり返す思考の技法だ。四つの根本的問題を素材に、自分の頭で深く、粘り強く考えるやり方を示す。

 哲学とは、昔の人の考えや言葉を知って、理解することではない。哲学上の根本問題に自ら立ち向かうことでしか、哲学はできないのだ。「私たちの心を超えた世界を知ることはできるか?」「他者の心を知ることはできるか?」「心と脳の関係はどのようなものか?」「死んだら無になるのか?」――本書では、この四つの問題を素材に、哲学の核心へと一気にいざなう。問いの意味そのものを問いなおすこと。相対立する議論のやり取りを、自分ひとりで視点を転換させながら行うこと。深く、粘り強く、哲学的に考えるやり方を追体験できる教科書。 

感想・レビュー・書評

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  • 哲学の練習をしよう - irifuji-home
    https://onl.sc/bqB7HKY

    入不二基義 IRIFUJI Motoyoshi | Record
    https://record.jp/irifuji

    筑摩書房 問いを問う ─哲学入門講義 / 入不二 基義 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480075734/

  • 何かわからないとすぐにネットで調べてた。
    こんな習慣や環境に慣れると人は身近なところに答えがある感覚は強くなるね。でも現実は、答えが簡単に出てこない事で溢れてる。だから解決が容易じゃない事が起きると過剰に反応してしまう。そうしてさ、実際以上に問題を大きく感じたり、複雑にしてしまう。 問うことが答えなんだね。答えなんて無くてもさ、極端な話いいんだと思った。
    答えを早急に求める姿勢は、、生き方をシンプルにはしてくれないんだ。常に問う姿勢こそ、次の一歩を踏み出す時、おのずと答えに導いてくれるのかもしれないなって、この本を読んで思った。

  •  著者の本は20年ほど前に「時間は実在するか」を読んで以来。図式を多用して抽象的な時空の概念を整理するというのが同書の肝だったが、本書においても同様のスタンスが貫かれている。本書ではトマス・ネーゲルの哲学入門書の議論に沿った形で議論が進められるが、たまたま読んでいたネーゲルの「コウモリであることはどういうことか」とも内容的に通ずるところが多く、込み入った内容ではあったが楽しむことができた。
     
     本書は大きく4つのテーマを扱うが、どの議論においても丁寧な図式化と整理がなされている。対立するいくつかの考え方(〇〇主義)が、互いに相手方の議論を一旦取り込んだところで矛盾を導き出し、また相手方に向けて弾き出すことで議論が増幅していく。この「ジグザグ運動」を著者とともに追うことで、どんどん議論の深みにはまりこんでいくのがなんだか気持ち悪くてめっぽう面白い。
     
     例えば第3章。「疑い」そのことによって定義される〈コギト〉と〈クオリア〉は、どちらも疑いそれ自体であるが故に中身がない空っぽの概念だという共通性はあるが、認識=存在であることから必然的に「自分の心」を生成する〈コギト〉に対し、〈クオリア〉は知や信の対象(=意味/概念の成立する場、心の表中層)から逸脱することによって「他者の心の深層」を創発的に生成している、というような鏡像関係にある。
     また、続く第4章の議論も、通常「主観/客観」の対立軸の両側にあり正反対に捉えられがちな〈二元論〉と〈物理主義〉が、実は認識と存在の基準が一体化しており、「認識」=「存在」と主張しているという共通点があることをわかりやすく示してくれる。一方で〈二重様相説〉は、二元論と物理主義の(それぞれ心的・物理的な)認識は単なる「見え」であるとして随伴的な位置に置き、認識不能な存在としての「実体」を上位概念とする(さらに〈機能主義〉と〈情報主義〉は、心的/物理的な認識を可能にしている「意味/概念」こそが実体だとする)ことで、新たな対立軸を作り出しているというのが面白かった。
     第5章でも「死後が無である」ことが思考不可能だというエピクロスが「認識」と「存在」の基準を一体化させる一方で、それとは逆に「死後の無」が思考不可能であっても「実体」としては存在するという「新たな疑義」を提示することで議論が深まっていく。

     以上のように、本書のどの議論にも通底するのは「認識論」と「存在論」である。「問い」が発生する理由を突き詰めていくと認識論と存在論に突き当たる、というのが著者の考えのようだ。好感が持てたのは哲学者の名前がほとんどで出てこないこと。せいぜいデカルトの名前が散見されるくらいで、プラトンやカントすら全く出てこない(これもう名前を出してもいいのでは、と思えるところはたくさんある)。先行する哲学者の思考を追うより、「今ここにある問い」の根源をとことん突き詰めようという著者のスタンスの表れだと思う。少々図式化が美しくまとまりすぎているような気もしなくはないが、本書のようにものごとが成立している基盤を徹底的に問いなおすことは、日常に埋没し表面をうわ滑りするだけの生活に慣れて鈍化したわれわれの心性を、研ぎ澄ましてくれる作用があるように思われる。

  • 「どのようにして私は◯◯を知るのか?」をテーマにトマス・ネーゲルの「哲学ってどんなこと?ーとっても短い哲学入門」を利用したゼミ体験型というべき哲学入門書。
    難解(特に4章と5章)ではあるが、割と自分が学生時代に考えていたことであったからとっつきやすいテーマではあった。中2病かかってる時期に自分の周りにあるものが自分が認識した瞬間に作られた紛い物って妄想するよね。え、しない?
    流石に中ニ病罹ってる時期の子にこの本は厳しいと思うが、自身の認識に対する問いというテーマをきちんと言語化していく過程が哲学なのだとしたら非常に面白い。授業としてきちんと受講したいと感じた一冊。

  • 東2法経図・6F開架:B1/7/1750/K

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著者プロフィール

入不二基義(いりふじ・もとよし):1958年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業、同大学院博士課程単位取得。専攻は哲学。山口大学助教授をへて、現在、青山学院大学教育人間科学部教授。主な著書に『現実性の問題』(筑摩書房)、『哲学の誤読――入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)、『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)、『時間は実在するか』(講談社現代新書)、『時間と絶対と相対と――運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房)、『足の裏に影はあるか? ないか?――哲学随想』(朝日出版社)、『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命』(講談社)など。共著に『運命論を哲学する』(明石書店)、『〈私〉の哲学 を哲学する』『〈私〉の哲学 をアップデートする』(春秋社)などがある。

「2023年 『問いを問う 哲学入門講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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