気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
4.14
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  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480087492

感想・レビュー・書評

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  •  社会学者・見田宗介が変名である真木悠介名義で記した、比較社会学。本書は、カルロス・カスタネダがメキシコの部族社会で生きる呪術者、ドン・ファンの生き方を紹介した本を独自に会社くしていったものなのだが、ここで描かれているのは従来の社会学では把握しきれない、近代的な生活とは全く異なる世界の紹介だ。その中で、「恐怖」「明晰」「力」「老い」といった「乗り越えるべきもの」にどの様に対峙していくかの考察が主軸となっていく。
     …まぁ、正直言って、超自然的なものを取り扱ったかなりギリギリな本ではある。実際、本書に挙げられているような70年代的な、ヒッピーイズムに基いたコミューンというのは消失しているし、そこから生まれた負の遺産は消えずにいる。しかし、そんな事が頭を過りながらも読了後の高揚感は決して消えるものではなかった。
     それは、本書の主軸となるものが<土着的な生活>と<近代的な生活>の対立項であると同時に、決してそれが対立するものでも優劣が付くものでもないという事を科学的に見い出そうとする姿勢だからなのかもしれない。科学とは、狭い意味では近代的合理性に基いた考えの事を指すかもしれないが、レヴィ=ストロースが証明した様に一見非科学的なものから法則性を見い出し、それを近代的知性と同等に扱おうとする姿勢もまた科学なのだ。そう、本書は僕らを知らず知らずに縛り付けていた「近代の自明性」が何なのかを視覚化し、それを全否定する事もなく、足場まで崩さない範囲で、そっと解きほぐす。
     近代的合理性に凝り固って視野を狭くするのでなく、超自然的なものに自らを委ねて遊離するのでもなく、その両者を視界に捉えながら進んでいく道がある。成功や敗北、空虚さといった意味に縛られる事なく、死という有限さを前にしても、それでも歩くに足る道はあるのだ。自分の歩く道を。自分の生活の物語を。

  • 今年亡くなられた見田宗介さんの名著。大学時代に出会い、人生の節目節目で何度か読んできた座右の書で、読むたびに新しい発見がある。 常に自分のものの見方が狭い枠組みに囚われているかもしれないことを思い、そこから外に出ようとする営みをやめないこと(「翼」)。言葉にできない、より大いなるものに感覚を開き、そこに根ざすこと(「根」)。そういう姿勢を持ち続け、「心ある道」を歩いていきたいと自分も思う。

  • 真木祐介のペンネームで書かれている、見田宗介氏の著書。
    1977年に発行された。
    自分は1975年生まれなので、ほぼ同い年くらいの本だ。

    ドン・ファンやドン・ヘナロという名のインディオの生活から、現代社会を生きる知恵を探る試み。ドン・ファンはカスタネダというアメリカ人にインディオの知恵を授けていく。そのカスタネダの書いた本を通して、著者はエッセンスを抽出していく。その結晶が本書。読後、著者の素晴らしい知性に圧倒された。ドン・ファンの教えは決して易しい内容ではないが、それを非常にわかりやすく概念化していく。著者の世代の知識人(エリート)の知性の高さには本当に驚かされる。

    元々この本は、ジャーナリストである神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんがやってる「マル激・トーク・オン・デマンド」にて、見田宗介氏の追悼番組で知った。宮台さんは見田宗介氏の弟子にあたるらしく、現在宮台さんが発する言葉の節々に、この本の影響が垣間見える。

    自分は普段から宮台さんの発言に触れているので、この本の内容はスッと腹落ちした。それは、マル激を20年近く見続けているからだろう。いきなりこの本を読んだら、結構難しい内容だったと思う。

    とりあえず読み終えたが、それほど長い本ではないので、また何回か読み返すと思う。都度、内容を頭に入れて身体で実践できるところまで内在化しないと、すぐに忘れてしまう。「今を生きる」ことや「生きている奇跡」を味わう、という感覚は、日々の忙しさに振り回されていると忘れてしまうので。

    これを機に、見田宗介(真木祐介)氏の別の本も色々と読んでみようと思う。

  • 「どんな時にも心あるみちを行く。」
    カルロス・カスタネダのドン・ファンシリーズを
    真木先生が体型的に再解釈した本です。
    理屈や言葉でがんじがらめになってしまった時、
    この本を手に取ると、いつも一筋の風が流れる。
    とても楽な気持ちになれます。

    生命の喜びは、遠い場所や時間の果てにはない。
    いつも、この場所に。
    ここにあると、実感させてくれる
    大切な本です。

  • 「人間の根源的な欲求は、翼を持つことの欲求と、根を持つことの欲求だ。」(P167)

    「〈根を持つことと翼を持つこと〉をひとつのものとする道はある。それは全世界をふるさととすることだ。」(P170)

    中国語で言う所の、男子四海為海の概念か。

    どこまでも根無し草として旅することは可能だけれど、
    旅先でその場にしっかりと生活の基盤を気づいている人達を見ると。
    無性に羨ましくなってしまうことが有った。

    それからは、いつでもそのバランスに気を使いながら生きてきたように思う。

  • 「人が世界はこういうものだぞ、とお前に教えてきた。人はわしらが生まれてきたときから世界はこういうものだと言い続ける。だから自然に教えらてきた世界以外の世界を見ようなぞという選択の余地はなくなっているんだ。」

  • 「人間の主観のおりなす世界の全体がひとつの共同のまぼろしだとすれば、「動かぬ真実」という岩盤のありやなしやにどれほどの意味があろうか。きららかな幸福と夢の波立つメンティーラの水面の上を、彼らはほんとうに身を入れて歌い、争い、約束し、求愛し、踊り、倒れるように眠る。」
    国家や民族というものは時に哀しい程に脆く、時に驚異的に膨れ上がって現代の我々にのしかかってくるが、著者は自らの足で世界を歩き、自らの目で人間を見つめた。鮮やかな体験の描写がわれわれに美しい何かを、遠い時間の一点にそっと提示してくれる。

  • 記録

  • 真木悠介さんが、カルロス・カスタネダの4冊の本をヒントに、比較社会学の構想を美しく描いた本です。この本は何度も読み返しています。特に混乱した時に読むと、すごく風通しの良い思考の通り道を与えてくれます。知者、ドンファンの言葉は、どれも豊かさに富んでいて、現代世界の凝り固まった考えを突き崩す明晰さを持っています。

    ただし、あまり深入りしすぎると、ドンファンシリーズは、帰って来れなくなる危険があります(笑)

  • バイブル。大事な人には、これを読んでほしいと渡し続けるだろうし、わたしはこの本と生きていきたい!ずっと出会いたかった、ずっと待ってた、とふしぎなことを思ってしまったくらい。

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著者プロフィール

見田宗介。1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻。著書に、見田宗介名で『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(1996年)『社会学入門―人間と社会の未来』(2006年)『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(いずれも岩波書店、1986年)などがあり、真木悠介名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)『時間の比較社会学』(1981年)『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(ともに岩波書店、1993年)及び本書『現代社会の存立構造』(初版、筑摩書房、1977年)などがある。『定本見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年、毎日出版文化賞)『定本真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年、ともに岩波書店)には、半世紀に及ぶ業績が、著者自身による新編集を経て体系的に示されている。本書『現代社会の存立構造』は上記著作集に含まれない。

「2014年 『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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