- Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480089588
作品紹介・あらすじ
愛=社会性をめぐる謎を考えるのは、言語哲学のパズルを解くのに似ている。それは「言語」こそが、人間をまさに人間たらしめている人間の秘密をもっとも明白に示しているからだ。愛という他者との関係における神秘に言語学的なアプローチで光を当てる表題作のほか9篇。貨幣と他者、宗教と音楽、言語と理解など、現代思想を自在に駆使しつつ社会の諸相に切り込み、その形式を徹底して論理的に解明し、他者とのコミュニケーションの実像を読み解く。現代社会学の先端を疾駆する力作を揃える。
感想・レビュー・書評
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この人っていつもタイトルはすごい素敵なんだけどな。中身は好きになれないんだよな。
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第22回アワヒニビブリオバトル「失恋」で発表された本です。
2017.02.07 -
難解なのに何故か筆者の論理を追い続けたくなる。愛する理由を全てくまなく挙げ連ねることができないし、<他者>と自己の距離は絶対に零にはならない。けど、難解。
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なんか文章が小難しくて読みにくい。
面白げなことが書かれているのだけど、理解困難。
「恋愛」については、一章さかれているだけで、それが本書のメインテーマというわけではないようです…。
うーん。
これを一般人にも理解できるような文体で書きなされたものが読みたい。 -
固有名詞と恋。
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「他者を愛するということは、自己の行為、自己の指示を、他者の体験にとって有意味であるように、定位することにほかならない。私はあなたの喜びのために、またあなたの悲しみのために、行為する。愛する者は、その愛が真実であることを示すために、自ら行為することを強いられる。愛される者は、ただ受動的に何者かを体験していればよく、せいぜい彼/彼女の体験へと愛する者が自らを方向付けるのを期待するのみである。それに対して、愛するものは、その行為の結果が、愛される者の体験において、肯定的な価値をもつものとして、意味づけられて現れるように、行為しなくてはならない。それゆえ、愛というコミュニケーションにおいて、選択性は(他者の)体験から(自己の)行為へと移転する。ところで、他者の体験へと定位することは、結局、体験の包括的な領域としての他者の宇宙へと自己の行為を方向付けることを含意する。」
(2009.6「第1章 恋愛の不可能性について」) -
論文集。
言語論を主として、面白い視点から恋愛を分析している。
最後のコミュニケーション(メディア)論を語る章では、オウム真理教のシャクティパット、ヘッドギアなるものから、解説ではエヴァンゲリオンまで、様々な例を引き合いに出し、現代のコミュニケーションを辛辣に語っている。
電子メディアに染まった現代人に忘れがちなものを呼び起こさせてくれそうな気がする。 -
ヴィトゲンシュタインからクリプキへ。
大澤真幸の初期の珠玉の論文が収録。
こいつは凄いぞ。
タイトルにもなっている恋愛の不可能性は必読。