方法序説 (ちくま学芸文庫 テ 6-3)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093066

感想・レビュー・書評

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  • 平易になっているとはいえ、内容は頭に入りにくい。

  •  ひょっとしたら、近年最も貶価的に扱われている哲学者の一人ではないか。伝統的な心身二元論者の提唱者として「身体と独立して外界を知覚する精神」という意識モデル(デカルト劇場)を派生させたとダニエル・デネットから槍玉に挙げられているのは有名だが、そもそも近代人間精神のオリジネータの宿命として、のちに続く哲学者から軒並み批判の対象とされてしまう存在でもある。さらに卑近な例としては、方法的懐疑をピュロン主義的な不可知論と混同した浅い読み手からシニシスト扱いされてしまうことさえあるのだ。

     ところが改めて原書にあたってみると、上記の見方とは異なる印象を多く受ける。まず心身二元論に関して言えば、確かに精神の身体からの独立並びに不死が強調されてはいる。しかし同時に「真の人間」たるためには「精神は身体により緊密に結合し、合一しなければならない」ともされているのだ(第5部末尾)。もちろんその合一の具体的仕方には全く言及がないがしかしそれは心身一元論者とて同じことだ。例えばデカルトの認識論を正面から「誤り」と糾弾し、情動に対する身体反応の知覚への関与を考察したアントニオ・ダマシオの理論も、その名の通り「ソマティック・マーカー『仮説』」であるにとどまり、実際に心身が協働する場やメカニズムに対する直接のインディケーションではない。いまだそのような場が見出されていない、つまり心身問題が解決されていないことから見ても、「心身一元/二元」の二元論(!)にはかつて見出されたほどの意味が失われているように思えてくる。

     また方法的懐疑についても、全ては「疑いうる」とはされても、全ては「偽でありうる」とはどこにも書かれていない。本書を読めばデカルトの意識の中心にあったのはそのような「全てが偽かもしれない」グロテスクな世界ではなく、あくまでも「疑うことを可能とする」理由、根拠であり、そのような問いを可能にする場としての理性であったことが容易に読み取れるはずだ。

     しかしこれほどまでに平易な本だとは思わなかった。学究書というより啓蒙書として書かれた本なので当然だが、もっと若いうちにサラッと読んでおくべきだったと後悔。岩波文庫版をaudibleでランニングしつつ聴いたが、それだけでも十分理解できる内容だった。

  • 流石に名著だけのことはある。人生と共にあらんことを。

  • 先に同出版社から出ている「省察」を手にとったのだが、難解であったために挫折。まえがきで「序説」が学者に対してではなく万人に向けて書かれたものとして説明されていたので、こっちを読んで見ることにした。原文はラテン語ではなくフランス語で書かれたようで、「省察」よりも親しみのある印象を受けた。
    「序説」そのものは短いテキストだが、本編と同じ程厚さの解説がある。今回読むにあたっては、1部を読んでから1部の解説を読んで2部に進むという流れをとった。特に4部の解説が印象的。神の証明に対するトマスアクィナスとの違い、「省察」と「序説」での神の証明の踏み込み具合の違いについての説明がわかりやすかった。5部では冒頭から突然心臓の仕組みの説明を始めるなど、面食らうこともあったが、現在にも完全に解決したわけではない問題がとりあげられている。真らしいものによって名声を得るのではなく、真なるものを見つけようとする。万人のための学問を自ら構築する。デカルトの学問に対する熱意が感じられる素晴らしい本だった。

  • 教養として、一度は手に取って「読んでみた」と言ってみたかったので、読んでみた。「考えるがゆえに我あり」の言葉は、実はこの方法序説の中でもさらに序説にあたる部分だと初めて知った。当時の哲学という学問は現代に比べて幅広く、自然哲学(科学)も範囲内に入っていたはず。デカルトはなんとなく他の哲学者(科学者)を見下してる感が匂う。

  • あらゆる学問の欠点への気づきをきっかけに普遍学を構築しようとする視点の鋭さや、名声などを求めない学問に対する真っ直ぐな姿勢に感銘を受けた。
    4つの「方法の規則」は、自分が物事について考える上で参考になると思った。
    実生活の行為において困らないように、4つの「道徳の規則」を考え、それを説明しているのは、哲学者らしからぬもので、面白いと思った。
    「我思う、ゆえに我あり」が真であることは納得できたが、神の存在の説明は納得できなかった。

  • デカルトの自伝のような感じだった。
    この考えに至るのに、どのような経緯があったというような内容。
    デカルトは、謙虚なんだなーと感じる部分もあれば
    自分より厳格で公平な人に会ったことないと言う箇所もあり、
    そんなところも面白く感じた。

  • デカルト、面白い

    色々と無理はあるんだけど、まさに自分で一から全ての体系をつくりあげようとした、そういう姿勢と、驚くべき成果、一人で全部やる、という無茶苦茶な態度だから成立する世界観、など、否定すべきものではなくて、これはこれでやはり価値があるのだ

    否定するものになったとしても、アリストテレスが否定されていくなかで万学の祖となったように、デカルトも、こういう一個人があるからこそ、それ以降が相対化できたんだ

  • 訳:山田弘明、原書名:Discours de la méthode(Descartes,René)

  •  前半は深く考えることが重要であると気づいたきっかけや発見した「方法」、そして「我思う故に我あり」に至る経緯など。そして後半は自然学についての諸問題として主に生物について述べている。特に機械・動物・人間の違いについては現代のAIに繋がる問題提起がなされており先進的なものの見方をしていたことが伺える。一方で意見の公表については非常に慎重であり、ガリレイ事件を主な理由として『世界論』の公刊を取りやめたりもしている。ただ、公刊することで巻き込まれるであろうつまらない議論によって考える時間を盗られるのを嫌ったことも明かしており、どちらかと言えばこちらが本当の理由のように思える。哲学書に分類される本書であるが、哲学書というよりもデカルトの自伝という感じで、学問に対する思いや真摯さが伝わってくる。

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著者プロフィール

1596-1650年。「近代哲学の祖」と称されるフランスの哲学者。主な著書として、本書(1637年)のほか、『省察』(1641年)、『哲学原理』(1644年)など。

「2022年 『方法叙説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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