発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)
- 筑摩書房 (2012年11月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480095022
感想・レビュー・書評
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都市計画の講義などでは必ず示される『アメリカ大都市の死と生』の著者ジェイコブズが、都市同士のかかわりやそれによる都市の盛衰に目をむけて視野を広げた一冊(旧訳題『都市の経済学』)。
『アメリカ…』ほど名が知れていないが、それは、塩沢氏の解説でも指摘されているとおり、それまでの都市経済学の根本を覆すような大作であるがゆえに、かえってなかなか後世の研究者による追随や拡張を許さなかったという面があるのだろう。
しかし今日の日本では、「地域(地方)が消滅する」といった文脈から地域再生に目が向けられ、また藻谷氏の『里山資本主義』が売り上げを伸ばす等しており、ジェイコブズによる主張にようやく世間が追いつき、参照しようとしているのかもしれない。(『里山資本主義』はまさにジェイコブスのいう「輸入置換」の重要性を、よりミクロな視点から説いたものであるとも言える。)
20年以上前の著作であるが、きわめて今日的であり、地域ないし国家において行政・経済・都市計画・インフラ整備、あるいは国際協力に携わる者に対し重要な問題提起をする。必読。
個人的には、TVAの失敗のことや、ミャンマー(ビルマ)の鎖国的政策のことにかかわる記述が印象的。
前者は、TVAはえてして土木工学(河川工学)において、日本にとっての見本となったと語られるものだからだ。
また後者は、ミャンマーは現在日本(やその他先進国)から急速に
"技術を含めて学びながら"投資を受け入れており、これが恐らくミャンマー(ヤンゴン)の輸入置換、経済発展を実現するだろうと考えたからだ。
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本書でのジェイコブズの主張は、おおよそ以下のとおり。
(なお、<>は便宜的に大見出しをつけてみたもの)
<0.導入:都市の経済学へ>
○経済成長を考える際の単位は「都市」であるべき。(「国民総生産」から始めるスミスの議論だとか、「途上"国"」の今後の発展を前提とする議論とかは、間違っている)【1章】
<1.都市と輸入置換と5つの力>
○都市は「輸入置換」により成長する。(つまりイノベーションによる成長する)【2章】
○輸入置換により成長した都市は、その周辺地域に5つの観点で(バランス良く)影響を与えることで、「都市地域」とも呼べるような一帯を育む。それは「(1)市場、(2)仕事、(3)移植工場、(4)技術、(5)資本」の5つの力である。【3章】
○逆に、中核たる輸入置換都市なくして、これらのうちいずれかの力"のみ"を遠隔地に投入しようとしても失敗する。【4-9章】
○よって後進都市の成長のためには、輸入置換・イノベーションが必要だが、それは緩やかで日常的で流動的な交易におけるインプロビゼーション(ちょっとした創意工夫)によってのみ生まれる可能性がある。だから先進都市経済との交易ではなく、後進都市同士の交易を必要とする。【10章】
<2.国単位から、地域単位へ>
○(国毎の)通貨というのは、対外貿易では、行き過ぎた経済格差を(為替変動により)修正する機能を有するが、地域単位での格差を修正しない。それどころか国単位で丸められることにより、例えば首都の都市が強力であれば、その他諸都市はそれに引きずられた調整を受けてしまう。【11章】
○よって、諸都市が停滞してきた際にも国として束ねるべく、諸都市には(1)軍需生産を与えたり、(2)補助金・交付金を与えたり、(3)先進都市による投資をしたり、するのだが、これらは諸都市のインプロビゼーションや輸入置換を妨げる、いわば「衰退の取引」である。【12-13章】
○結局のところ、地域ごとの多様性・自由さ(=ガチガチに縛らない「漂流」的なあり方)こそ、インプロビゼーションそして発展を可能にし得るのだ。【14章】
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最後に、二編の解説について。
一つ目、片山氏(もと鳥取県知事)のものは、解説というより、自己紹介とコメント、といった形。自分の知事時代の功績を(ジェイコブズの主張に照らして)美化して記述する様子には違和感がある。しかし、公共事業の経済効果に係る見方には、ある程度、なるほどと思った。また地域通貨についての「今後改良されて、地域間格差を埋める手立てとなれば」という指摘には全く同感。
また二つ目、塩沢氏のものは真っ当な解説で勉強になった。本書の背景や意義を、自身の本書への出会いから得た衝撃も織り交ぜながら、分かり易く説明している。「関西経済論」に関する記述だけは、やや冗長に感じたが…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
都市計画では有名なジェイコブズの新しい方の本。あんまり言葉が響かない。当事者意識がかけているためだろうか。時々おっと思うセンテンスもあるけど、全体的に暗黙の前提を抜け出していない感じがつよい
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本書でいう発展や衰退の意味は、経済的にという意味である。本書では経済循環が行われる単位を地域ととらえ、そのメカニズムを説明しているが、これは非常に画期的な見方であると感じた。なぜなら、多くの経済動向に関する著作が、アメリカ、とか、日本といった国家の単位でしか語られておらず、極めてリアリティに欠ける内容に感じられたからだ。考えてみれば、日本という狭い国でさえ地域における経済格差が体感できるほどであるから、国という単位で経済云々を語ること自体乱暴であると気付くべきであった。
本書はソ蓮崩壊前の80年代に書かれたものであるが、その内容については今日でのも十分説得力のあるものだと感じる。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784480095022 -
やけに日本が成功した事例として載っているなと思ったら1986年に出版された本なんですね。だからといって今となっては情報が古くて参考にならないということではなくて、どちらかというと普遍的な流通の仕組み、地元で生産した製品が地元で消費するだけではなくて他の地域に売ることもできて、経済的なゆとりができれば他の地域や国のものを買うこともできるようになるけれども、地元の商品価値を高めていかなければ、いつの間にか競合はあらわれて、あっというまにその地域の経済は維持できなくなって衰退する、というせつないサイクルのことがかかれています。
日本の製品が素晴らしいと讃えられる時代は終わってしまった。もはや独自の資源もなく輸出する製品も持たないわたしたちは外貨を稼ぐことすらできない。英語が必要だとやっきになり、外資系企業に就職することに憧れ、企業は割高な人件費の日本人は雇いたがらず、仕事は海外にアウトソースされ続けることになるだろう。外国人と一緒に働くほど、日本人であることのメリットってあんまり残っていないと感じられる。
東京のスーパーマーケットで買い物しているとき、食料も製品も東京だけで生産されているものって殆ど無いことに気がつく。安価な外食産業、多くの素敵なレストラン、自炊の充実した家庭など、日本で食べられる料理はきっと世界の中でもバリエーションに富み、クオリティが高いのだろうけれども、国産の食べ物だけで料理をすることはなかなか難しい。
フランスは食料自給率はずっと100%を超えていて(そりゃ料理もうまいし食材も豊かな農業国だし)、そういうところ日本人がもうちょっと意識を持って日本の農業を後押ししするような台所事情になってほしいと思う。食べ物作ってくれるひとに敬意を表することを忘れないようにしたい。 -
地域経済の発展のためには、その経済圏内にある財を用いることが肝要であり、工場誘致や公共事業は、地域経済の発展には逆効果である、というのが本書の主張である。本編において、事例がかなり多く挙げられているか、必ずしも親切な書き方がされていないので、読みにくかった。しかし、主張は一貫している。
本編がよくわからなければ、あとがきにおいて、鳥取の具体的事例が挙げられているので、それを読めばよい。読めば本書の主張が、見えてくるはず。 -
361.78||Ja