- Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480097453
作品紹介・あらすじ
アレント生前に発表された講義や論説を「責任」と「判断」の下に編む。道徳が崩壊した経緯を問い、善悪の判断を促すものを考察する
感想・レビュー・書評
-
「道徳性というのは一種の習慣」
これは恐ろしくも鋭い指摘だと思う。
現代で「いいも悪いもない、価値観だ」
みたいな語り方がされるのは、ある種
的を得ているんだろう
そしてアーレントはそれに
挑戦しようとしていた。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
責任と判断
(和書)2012年03月07日 19:48
2007 筑摩書房 ハンナ・アレント, ジェローム・コーン, 中山 元
あまり期待していなかったけど、読んでみるととびきり良い本だった。なんだか今までの自分自身を問い直すことができるように感じた。
・・・十分な数の人々が「無責任に」行動して、支持を拒んだならば、積極的な抵抗や叛乱なしでも、こうした統治形態にどのようなことが起こりうるかを、一瞬でも想像してみれば、この〈武器〉がどれほど効果的であるか、お分かりいただけるはずです。・・・
自分自身と矛盾することができない。 -
一回、全員目を通すべき本では。
カントに関する道徳と自己p111
悪と記憶p157 -
アレント後期の未刊行論文集。講演やスピーチとして聴衆に語る形式になっているので、いくぶん分かりやすい。なかで「独裁体制のもとでの個人の責任」は全体の要約ともいえるもので、国家の命令で犯罪に手を染めた個人の責任を問いかける。人間の責任の意味と判断の能力について考察する。判断の基準を喪失した現代こそ、アレントがもっと認められてもいいと思う。
-
ナチスドイツの体制のもとで、想像を絶する反人道的な犯罪行為を犯したアイヒマンたち。自分は組織の歯車に過ぎなかったと主張する被告たちの個人としての責任を追及できるのか、また、普通の人がなぜこのようなおぞましい行為に加担できたのかをハンナ・アーレントは懸命に思考した。そのことに並々ならぬ思いを感じた。
本書に「過去に立ち返って自分のしたことを思い出すことを拒む」と「人格であることを拒んだ人」になり、最大の悪を犯し得るというようなことが書かれていた。
現代においてもこの考えを持っておきたいと思った。そうすれば大きな声で無責任なことを喚いている人々を注意して見ることができると思った。 -
ゼミの読書会で読みました。ガザで起きていることを踏まえて、先輩方が選んでくださってありがたかった。一読する価値は十分にあるかと思います。
-
“凡庸な悪”とは何か、アイヒマンが法廷に立ったあの時と、アウシュビッツにいたあの時とはどう違うのか。
政治、道徳というテーマを、古代ギリシャからカントやマキャベリ、ニーチェ等の思想も踏まえながら、組織に生きる我々はどのように生き、そして「無批判に行動すること」の危険性を示唆する内容となっている。
研究が進み、アイヒマンの行動それ自体にも本書(本講演?)登場時よりも明らかになった部分も増えていると聞く、そのため究極は最新の学説も踏まえて解釈する必要はあるが、思考することの必要性、戦後世界における道徳と政治の関係性および危険性に触れることができる一冊。 -
2022I140 080 C ア-7-4
配架場所:D1 -
10/11