アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

制作 : Amin Maalouf 
  • 筑摩書房
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感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480099266

感想・レビュー・書評

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  • クロード・スティール『ステレオタイプの科学』英治出版(2020),p98にて紹介。
    「なぜこれほど多くの人が、アイデンティティの名の下に犯罪(と暴力)を犯すのか」
    「人はしばしば、自分が忠義を感じるもの(アイデンティティ)のうち、最も攻撃を受けているものによって自分を定義する」

  • アイデンティティという言葉が市民権を得たのはさほど古いものではないでしょう。
    一方で、すでに古くなっているような気もします。

    今ならダイバーシティと呼ぶような気がします。
    私のアイデンティティの問題ではないという立ち位置を取ることで
    問題の先鋭化を避けるような振る舞いから出てきたのではないでしょうか。

    タイトルは非常にセンセーショナルな言葉ですが
    実際のところアイデンティティには
    人が強く固執して、対立を鮮明にしてしまうような力が働いているのは間違いのないところでしょう。

    本書はあくまでエッセイとしての書き振りをすることで
    アイデンティティを中心に回りながらも
    本来の目的を達成することを忘れないように進んでいきます。
    それはアイデンティティを二重三重の帰属もあるとした上で
    それぞれの誇りとともに生きていくことができる社会を構想することです。

    この本の中でとても優れているのはこのような地点への探索に向けて
    危険なテーマをあっさりと触れないようにする手つきでしょう。
    僕はその振る舞いの中に解決する決意の誠実さを感じました。

    即効性のある解決策などあるようなものではありませんが、
    考える土台の地平としては良いですし、
    彼が避けたエリアもきちんと押さえると地雷マップとしても考えられます。


    >>
    アイデンティティは数多くの帰属から作られているという事実を強調してきました。しかし、アイデンティティはひとつなのであって、私たちはこれをひとつの全体として生きているという事実も同じくらい強調しなければなりません。ある人のアイデンティティは、自立したいくつもの帰属を並べ上げたものではありません。それは「パッチワーク」ではなく、ぴんと張られた皮膚の上に描かれた模様なのです。たったひとつの帰属に触れられるだけで、その人のすべてが震えるのです。(p.36)
    <<

    この二重性はしかし、個人というもののあり方でそのものでもあり、
    クリプキの名指しに関わる話を思わせるものです。
    そのことを指摘する含意は、アイデンティティの問題は
    近代に生まれた問題のようで、ほとんど原初からあったであろう問題だということです。

    >>
    誰であれ、本を開くたびに、画面の前に座るたびに、議論し考えるたびに、「故郷から離れる」気がするようなことがあってはなりません。誰もが近代を他者から借用していると感じるのではなく、近代をわがものとすることができなければならないのです。(p.161)
    <<

    これは宿題だ。
    しかし、借用という概念をポジティブに持っていくことは何かできそうな気がする。

  • 西洋化について考える良いきっかけになったと思う。
    確かに日本もヨーロッパやアメリカの影響を大きく受けていると思う。
    多数が洋服を身につけているし、欧風のカフェやホテルを利用している。
    このくらいの変化なら良いと思うのだが、時として争いや、差別の引き金になってしまうのは残念だと思う。
    それぞれが複数のアイデンティティを持っているという事を忘れないようにしたい。

  • ‪‪民族や宗教など単一化した集団への帰属欲求は他者への排除や攻撃に繋がる。言語の多様性を鍵に、人間の尊厳を基準に、アイデンティティは多様だということを自他ともに認めようって本。‬
    ‪世界の新旧様々な対立を例に書かれているけれど、日本とアジア、日本の中の分断について考える時のヒントになる。‬

  • クロワッサン
    20191210号
    68-

  • 原書名:LES IDENTITÉS MEURTRIÈRES

    1 私のアイデンティティ、私のさまざまな帰属
    2 近代が他者のもとから到来するとき
    3 地球規模の部族の時代
    4 ヒョウを飼い馴らす

    著者:アミン・マアルーフ(Maalouf, Amin、1949-、レバノン、ジャーナリスト)

  • 自身が生まれた国、育った国、そしていま住んでいる国の3つが同じでない人は、世界にどのくらいいるのだろう。
    レバノンで生まれ、内乱を機にフランスへ移住した著者は、事あるごとに「自分をフランス人だと感じるか?それともレバノン人だと感じるか?」という問いを投げかけられ、「その両方だ」と答えているという。そして、いくら「両方だ」と答えても、「自分のいちばん深いところではあなたは何者なのか?」と、問いは更に続き、著者は苛立ちと苦悩を深め、本書を著すに至った。
    この問いの裏にあるのは、人の帰属する先はひとつであって、生まれながらに定まっていて変わることなどない、という広く共有された人間観だ。一方、著者は、二つの国、二つの言語、そして文化的伝統の境界で生きている(彼の一族はイスラムの聖なる言語であるアラビア語を母語とするキリスト教徒)という自身の例を挙げ、こうした複数の帰属先を持っていることが自身のアイデンティティであると主張し、先述の人間観を正面から非難する。
    自分が持つ帰属先のひとつが傷つけられたり、窮地に追いやられたりすると、傍目には狂信的とも思える人物がそのアイデンティティの守護者に思われ、人はいとも簡単に殺戮者となって惨劇に手を貸すことになる。それが本書のタイトルが意味するところだ。
    帰属先は、民族であったり、宗教であったり、言語であったりするわけだが、日本で生まれ、日本で育ち、日本に住んでいる大多数の日本人には、この肌感覚はなかなか持ち得ない。昨今では「ダイバーシティ」という言葉に飽き足らず、「インクルージョン」なる言葉まで登場しているが、本書に書かれている著者の指摘を読むと、ごく表層的な部分しか捉えていないということに気づく。「ダイバーシティ」という言葉の前に、自身が生まれた国と、育った国と、今住んでいる国が異なる人が存在し、そして彼らは複数の帰属先を抱えているという現実をまず知るところから始めないと、真の多様性など到底望めないのではないかと思う。
    (ここまで書いてきて、この国で言われるほとんどの「ダイバーシティ」は、日本人内の多様性を指していることに思い当たった。表層的どころか、次元が違っていた。)

  • 日本人にとっては、ヨーロッパ、アジアの複雑さはとても飲み込めないところだ。

  • 361.6||Ma

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