- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480426581
作品紹介・あらすじ
初等教育から大学まで、混迷する教育。意欲を失った子供や若者たち。学校は何のためにあるのだろうか?歴史を振り返ると、学校教育という制度は新しく、知識は「独学」によって各個人が自発的に獲得するものだった。しかも現在、IT技術の急速な進歩は時間と空間を圧縮し、「独学」の可能性はますます広がりつつある。「やる気」という視点から教育の原点に迫る。
感想・レビュー・書評
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良書
方法論ではなく、学びにどう取り組むかを解説した書
・意欲があるのであれば、独学で学べること
・現行の教育制度はいろいろ問題があること
・教育は、与えられるものではなく道具として使うこと
自ら、主体的に学んでいくことを終章で結論づけています。
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「良い学校に入って卒業する」ことに価値を置く学校主義とでも呼ぶべきものへの疑問を投げ掛ける。
真に「学ぶ」とはどういうことかを考えさせてくれる。 -
内容
- 独学は誰でもできる
- 何歳になってもできる
- 親が本を読まずに子どもが読むわけない
- 親は子どもの好奇心を潰してはいけない
- 日本の教育システムは横への移動性がすくない
- 教育は性別年齢問わず誰にでも開かれているべき
- 日本の教育方法は好奇心を潰している
1975年に書かれた本とは思えないほど、今の時代にもあてはまる。この時代から、すでに詰め込み教育を問題視している。
日本の詰め込み教育って、昔から根本的に変わっていないんだなと痛感する。
とくに共感したのは、海外では子どもを持つ大人や主婦でも大学で学ぶことがあるが、日本の大学生はほとんどが若者だという点。
著者は「20代は働き、20代後半や30代前半でまた教育機関に入り直してもいい雰囲気に社会がすべき」と述べている。
また、とても読みやすい。
平易な言葉をつかい、漢字は適度に開かえれており、ロジックが聡明。今までで読んだ本ではトップクラスに読みやすい。
何回でも読み直したいし、自分のこどもにもおすすめしたい一冊。 -
大学教授の小言か。と思って気軽に読んでたら、40年前に書かれた本だと知って驚愕してる。。。現代の教授が書いてると思い込んでた、ってくらい核心を突いて、学生の向学心の無さを嘆いている。学問のまえに向学心教育が必要かも。
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学校制度ができる以前は、独学により知識を得ることが普通だった。またICTが発達した現代ほど、独学の環境に恵まれた時代はないことは疑いようがない。現代は、様々な媒体に登載されている文献やその他資料から、容易に他者の経験を自由に盗むことができる。また過去を歴史を紐解けば、庶民はそうした環境に置かれてはいなかった。この意味に限っては、今ほど素晴らしい時代はないと感じる。本書の結論は、あまりにも当たり前過ぎることではあるが、あとは自分自身が独学を推し進める気を持ち、知的好奇心を持ち続けられるかどうか、ということだった。
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社会学者の加藤秀俊が、雑誌『ミセス』に1974年に「教育考」という通しタイトルで連載し、1975年に単行本で発刊、2009年にちくま文庫から復刊されたものである。
連載当時小学生だった私の母がこれを読んでいた可能性があるくらい昔のものであるが、書かれていることは不思議なほど古さを感じさせず、普遍性をもった考えが書き綴られている。
「「独学」とは、主体的に学ぼうとする姿勢のことのほかならない」
「教養だの知識だのを、高い価値をもつものとして尊敬する思想・・・日本という国、あるいは日本文化は「知性主義」によってつらぬかれているのである」
「意欲ある人生を送ることのできる人間~そういう人間をつくることが教育の使命」
「ひとは、理想をみずからつくり、その理想によって生きるのだ」
「じぶんで「問題」をつくり、かつ解くこと~それこそが精神の自律性というものである」
「学問といい、教育といい、そこで人間が目標とするのは、多面的な人間像であろう。・・・オーケストラの指揮のできる首相だの、考古学的発掘をみずからこころみる実業家だの、といった、はばの広い大きな人物のいる社会は、ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会なのではないか」等
使われている言葉は比較的平易であるが、書かれてはいることは、P.G.ハマトンが『知的生活』に記した、知的生活を送るための方法と本質的に同じである。
そうした生き方をした先達として、明治時代の博覧強記の博物学者・南方熊楠、チンパンジー研究の第一人者の英国人ジェーン・グドール、トロイの遺跡を発掘したドイツの実業家シュリーマンらについても触れている。
(2012年3月了) -
日本の大学における流動性のなさに対して、かなり多くのヒントを受けた。変えたほうがいいと思えるし、変わって行くべきだろう。
海外のやってることが全ていいわけではないし、日本の全てが悪い訳ではない。
いろんな面において、無理のない、冷静な、断定的でない主張に好感が持てた。
著者は書評の有効性についても述べていた。そして、最も大事にすべき評論家は知人だとも述べていた。良き評論家として在りたいものだと思わされた。
読むべき本は他にもあった。でも、読み始めると、本書以外を読む気にはならなかった。そういう意味でも求心力のある本だと感じた。
近々まとめたいと思う。 -
独学という概念を柱に、世の中の様々なことに鋭い疑問を投げかけている。特に教育に関しての筆者が挙げた問題は、現在でも解決されていない問題だなと思った。受動的な学習から自発的・創造的な学習を重視する方向にシフトするのはそう簡単にはいかないことなのだろう。
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大学の司書講習の講義の中でこの本の一部が資料として使われたので、興味を持って読んでみた。
新しい学習指導要領では、[主体的対話的な深い学び]が提唱されているが、40年前から、本当の学びとは何か、筆者は問いかけていた。
もともと、雑誌「ミセス」に掲載されたエッセイなので、学問として裏づけされた深い内容が実例をあげてわかりやすく述べてある。
年齢的にどうかな、という私にも独学のすすめに従おう!とやる気の出る一冊である。 -
35年も前の本とは思えない。今の時相にピッタリの本であった。ということは、35年前から、今に至るまで何も変わっていないということだろうか。独学のすすめ、今の学校に絶望しているひとにとって、きっと心の支えになってくれる本と思う。