高校図書館デイズ: 生徒と司書の本をめぐる語らい (ちくまプリマー新書 280)
- 筑摩書房 (2017年6月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480689849
感想・レビュー・書評
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札幌南高校の図書局(図書部、の意味合い)13人の生徒たちによる本をめぐる記録。
タイトルからすると司書さんと生徒たちとの交流のようだが、生徒の目線による生徒の語り。
まるで青春アドベンチャーのような爽やかさで、読みながら何度も襟を正すことになった。
森絵都の「「DIVE!!」を選書して高校生ビブリオバトル大会に出場した話。
作家さんとの往復書簡に挑戦した話。
文字の魅力に魅せられ、様々な辞書や事典類を読む男子生徒。
高校生直木賞の選考委員になった時の経験談。
「全国高校生読書体験記コンクール」で学校長協会賞を受賞した生徒。
一番多いのが好きな本の話だ。
どの子も悩んだり苦しんだりすることと、読書をすることが並行している。
優秀な子たちばかりと思われそうだが、ごく普通の子たちだ。
共通点は本が好き、読書が好き、と言う点。
司書の成田さんが人間対人間として敬意をもって接するから、彼らも一人前の大人として真摯に語るのだろう。あまり表には出ない成田さんだが、子どもたちの後ろに、すぐ傍に、しっかりとその存在を感じることができる。
「考えなかったために後悔することってあると思う。
だから考えなくてはだめだと思う。しかも本を読んでいない人の方が知らないことへの先入観や固定観念があるのではないかと思うことがある。
本を読むことって実は、積極的な知識の受容ということなのかもしれない」
「文字の読み書きができて、世界を知って、何が正しいのかと自分で考える力がある子どもを育てること。それが教育の根本的な役割ではないだろうか」
「自由に本を読み続けるからこそ、自由な思考ができ、人間らしさを育むことができると言える。本は読まれ、考え、書かれて人間らしい思考と想像力を作り出すためにある」
自分のとった行動が自分自身だと知っている今は、もう口にしない言葉たち。
でもこの年齢の子たちは、はじめに言葉ありきだ。私もそうだった。
そして彼らが次々に読んでいく良書のラインナップの凄さ。
巻末に「本書に登場する本」として書名が挙げられているが、数えたら118冊あった。
果たして自分は、この子たちの真っすぐな思いに向き合えるような大人になっているかと、何度も自問することになる。
いや、ダメな大人に出会うことも、時として良い教育になるんだけどね。
話しながら「自分がどう思っているか、どんな人間かが分かってきて、話せば話すほど考えは深くなっていく」という。
本を読んで色々な考えにふれることにより、自分の考えていることが明確になっていく。
成長期に自分の言葉を獲得するのは、本当に大事なことだ。
わずかなことにも揺れ動く繊細さを懸命にコントロールしながら語る彼らに、心の中でいくたびもエールを送った。
きらめくひとときを捉えた、どこにもありそうでない一冊。
太宰治を読んで考える生徒の語りが、特に面白かった。
羨ましいことに、本書の装幀はクラフト・エヴィング商會だという。
図書館カレンダーもどきの表紙に、ところどころ古代紫が配されている。
札幌南高校のスクールカラーであるらしい。
HPを観たら、同じカラーの校旗が風にひるがえっていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館は対話を待っている|ちくまプリマー新書|成田 康子|webちくま
http://www.webchikuma.jp/articles/-/640
筑摩書房 高校図書館デイズ ─生徒と司書の本をめぐる語らい / 成田 康子 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480689849/ -
進学校だけあってか、登場する生徒はみな賢そうでした。著者は個性あふれる生徒たち一人ひとりの成長を静かに見守っていて、司書という職業をとても魅力的に感じさせてくれました。
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札幌の高校の司書である著者が、図書室を訪れた生徒たちの等身大の声をまとめた本書。
10代後半、13人の高校生が主人公です。本好きになったきっかけはこの本だった、あの本は読む前と後では印象がまるで違った、その本は主人公も素敵だが周囲の登場人物が特に輝いていた――本への想いや思い出を通して歩んできた道のりを振り返り、それらに背中を押されながら真っ直ぐ未来を見据える視線が印象的です。
自分も通ってきた道だけど、自分が高校生の頃ってこんなに物事を深く考えていたかな。10代特有のくすぐったさが時折顔を出すのに内心ほっとしつつも、鋭い感性に思わず背筋が伸びる想いです。
各々が自由に過ごせる空間も、多種多彩な本も、自分たちを温かく見守る大人の目も、学校の片隅に図書室というかたちで存在する。そして自分を例外なく受け入れる。図書室は誰に対しても居心地良く開かれた場所であってほしいと願います。 -
2019.8月。
高校生。このみずみずしい時期にこんなに本を読んで、こんなにいろんなことを考えてるのか。自分も読んでたらなあと後悔と嫉妬。喝を入れられました。図書室っていい場所だ。こういう場所がどこの学校にもあったらな。 -
この表紙にはさまざまなフォントの「BOOK」が整列している。本好きの中には「あの出版社のあのフォントが好き」という人が少なからずいるだろう。本書の中でも「字」についての話、フォントの話、さらには自分で物語を書いている人や読書ノートをつけている人まで、本にまつわるさまざまなエピソードが語られる。
登場するのは、札幌南高校という進学校の生徒や元生徒たちだ。服装は自由、部活動は三つまでかけもちしてよいという。水中に顔をつけたまま全力で学業や部活動をする彼らが、息つぎをするためにやってくるのは、学校図書館だ。
ここではないどこかへ行きたくなったとき、高校生が行ける場所は限られている。だから本に手を伸ばす。本は、あらゆる世界につながっている。図書館を訪う生徒たちは、利発で、柔らかいあたまで、大人をはっとさせるようなことを考えている。読んだもののことだけでなく、読むことそれ自体についても、すごくしっかり考えている。
もしも、もう一度、高校生に戻れるなら、南校みたいな自由な校風の進学校に行きたい。そこでわたしはきっと図書局員になるだろう。読んだ本の意見を交わし、友達と好きな本を交換し、読書ノートを見せ合うだろう。梶井基次郎の「冬の日」のなかの好きなフレーズをかけあうだろう。
わたしはもともと本を読む側の人間ではなく、中学の図書室は訪れた記憶がないし、高校の図書室もほんの少ししか利用していない。大学入学後から少しずつ読むようになり、最近ようやく「あの出版社のあのフォントで読みたい」というわがまま(?)も言えるようになった。
本書を読んでいると、大人顔負けの読書論を堂々と語る高校生が目に浮かんでくる。顔は見えないけれど、好きなものについて語る人の顔は、きっと、眩しく、美しい。そう思いながら、本を閉じた。
p94
だから、本を読むのは、新しい世界を見せてもらうためでもあるけれど、でもほんとうは、自分の中にある世界を映すものなのではないか、と思う時さえある。
p120
漫画は日本では敷居が低く、フランスでは高い。美術は逆だ。そして日本では漫画が発展しフランスでは世界一の美術大国だ。これは一例を取り上げて考えているだけなので、一般的に言えることではないのかもしれないが、余計な緊張をせず、リラックスして文化に触れたほうが、よりそのことに対する感性が磨かれるのではないだろうか。他のいろいろなことに対しても、それを尊重することはもちろん大切だが、無理に自分をつくろったり、変に固くなることは、何も生み出さないというふうに思う。
p156
本は「読みたい」と思ったら読めばいい。読みたい、読む、読みたい、読む、の繰り返しだ。この流れに比例して〈読む力〉がつくと思う。読みたいと思わなければ読書は成立しない。それじゃ、読みたいと思うようになるにはどうしたらよいのかと考えてみると、やはり本は出会いだと思う。少なくとも自分の場合はそうだった。出会いを呼ぶには多くの本に触れることだ。 -
北海道の高校図書館の司書さんが
13人の生徒たちと読書とのつきあいかたを
インタビューっぽくまとめた本。
本の話はしたいけど、ちょっと照れくさい。
そんなお年頃なのかも。
「バーナード嬢」っぽいね♪ -
図書館の本なんだけど、視点が生徒で語られて、短編みたいで面白いなぁ→羨ましいなぁ→幸せだなぁと読み進めるごとに感じ方が変わっていきました
時々、生徒と司書が1対1で深く熱く関われることにちょっと嫉妬したりして、反省したり(笑)
彼らの人生の中のホンの一時に、図書館で人生を変えるような一冊に出会う手伝いができれば本望だと思いました -
北海道・札幌南高校の図書館。ここを訪れる生徒たちは、本を介して司書の先生に自分のことを語り出す。生徒たちの数だけある、彼らの青春と本にまつわるかけがえのない話。
本を読むことと、それを介して考えること、その考えを言葉で伝えること。
13人の高校生たちがその行為を楽しんでいること、喜びを感じていることがストレートに伝わってくる。
もう高校時代が遠い昔になってしまった私も、その純粋な感性と楽しみ方を、もう一度取り戻そう。一冊一冊、読んで感じた気持ちとちゃんと向き合って、それを誰かに伝えたい、とワクワクした。