ヘルシンキ 生活の練習 (単行本)

著者 :
  • 筑摩書房
4.03
  • (69)
  • (82)
  • (53)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 1293
感想 : 101
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480815620

作品紹介・あらすじ

「私たち女性は、すべてを手に入れたいのです」二人の小さな子どもと移住した社会学者による、おもしろくてためになる、フィンランドからの現地レポート。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  二人の未就学児をもつ女性社会学者のヘルシンキでの生活を綴る。著者は、名前からわかるかもしれないが、自称「ハーフ在日」。つれあいを京都に残し、幼い子供二人を連れてヘルシンキで仕事をしている。

     この本は幸福度世界一、教育世界一のフィンランド礼賛ではないし、「北欧押し」の本でもない。主に著者がフィンランドで暮らして気づいたこと、感じたことを素直に記している。単純にそれだけの本なのだが、題名にある 「生活の練習」とはなかなか素敵な言葉だ。

     生活="Life" とすると、人生の練習と言い換えることが出来るかもしれない。人生とすると少々重いかもしれない。やはり、日々の「生活」を大事にすべき。

  • ヘルシンキ 生活の練習 朴 沙羅(著/文) - 筑摩書房 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480815620

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      足下の社会見つめることから [評]前野久美子(book cafe 火星の庭)
      <書評>ヘルシンキ 生活の練習:北海道新聞 どうしん電子版
      h...
      足下の社会見つめることから [評]前野久美子(book cafe 火星の庭)
      <書評>ヘルシンキ 生活の練習:北海道新聞 どうしん電子版
      https://www.hokkaido-np.co.jp/article/645316?rct=s_books
      2022/02/14
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      File80. 何かを変えるための勇気とヒントをくれる本|昨日、なに読んだ?|大塚 真祐子|webちくま
      https://www.webch...
      File80. 何かを変えるための勇気とヒントをくれる本|昨日、なに読んだ?|大塚 真祐子|webちくま
      https://www.webchikuma.jp/articles/-/2763
      2022/04/13
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「問題と自分を切り離す考え方を練習し、連帯していくことが、個々人がいいなと思う生活に近づくために必要なスキルなのではないでしょうか」朴沙羅『...
      「問題と自分を切り離す考え方を練習し、連帯していくことが、個々人がいいなと思う生活に近づくために必要なスキルなのではないでしょうか」朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習』インタビューneol.jp | neol.jp(2021.12.27)
      https://www.neol.jp/culture/111274/
      2023/03/01
  • 二人の子どもとフィンランドへ移住した社会学者、朴紗羅さんの現地リポート。


    フィンランドの教育について、日本との価値観の違いが書かれていて、興味深かった。

    教員たちは、今、子どもたちがあらゆるスキルを学んでいる最中だと考え、「この人が悪い」「ここが悪い」とジャッジすることはない。「このスキルを学んでいる最中だね」とお互いに確認するのを手伝う。

    思いやりや根気や好奇心や感受性といったものは、練習するべき、あるいは練習することが可能な技術だと考えられている。そして、そのスキルを身につける必要があるとは感じるなら、練習する機会を増やせばいいことになる。
    「教員のマニュアルで人格を評価してはいけないことになっている」そうだ。また、「これらのスキルはすべて、一歳から死ぬまで練習できること」と考えられている。


    一番印象に残っているのは、住むところがなかなか見つからずホテル住まいをしていた著者が、同僚から社宅があることを聞き、申し込んだ時の担当者との会話で、「社宅があるなら、最初にそう言ってくださいよ…めっちゃ困ってたんですよ…」に対し、担当の人は「大変でしたね。でも、困っているなら困っているとおっしゃってください。そうでなければ、私たちはあなたを助けることもできません」と返すエピソードだ。これは一生忘れずに心にとどめておきたいと思った。

  • 関西弁で溶け込みやすく、クスッと笑える部分もあり読みやすかった。フィンランドの「問題」に対する焦点の当て方に目から鱗だったり、自分の凝り固まった考え方にびっくり!そしてユキちゃんとクマくんの成長が陰ながらとても楽しみだ。 *そもそもあの先生たちは「いいところ」対「悪いところ」という発想を取っていないのだ。「練習が足りていること」と「練習が足りていないこと」があるだけだ。

  •  「家(チベ)の歴史を書く」(筑摩書房)の朴沙羅さんが、なんと、ノルウェイで「子育て(?)」をしていました。彼女は立派な大学の博士課程を出て、論文とかもちゃんと書いている社会学者なのですが、この本も、前の本も文章が「おぼこい」のがいいですね。
     たぶんわざとだと思うのですが、ぼくが読んだのはこの本と「家(チベ)の歴史を書く」の二冊なので、他の論文ポイ本や、学者の卵のためのものだろうという著書と比べていないので、真相はわかりません。が、まあ、読んだ二冊は「おぼこい」わけで、気に入っています。
     「生活の練習」という題ですが、考えてみれば、いくつになっても、現実の生活は、ほんとうの生活の練習のような気がしています。まあ、そんなことを考えながら読みました。
     ブログには、もう少し、あれこれ書きました。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202209010000/

  • 著者朴沙羅さんは在日ハーフで京都大大学院から
    国内の大学講師を経て現在ヘルシンキの大学講師。
    フィンランド語がろくにわからない状態で
    幼い子ども二人を連れて
    しかもコロナ禍もあり。
    手取りは100万円ぐらい減って
    住民税は倍ぐらいになったそうです。

    今この本がけっこう売れているらしい
    頑張ったかいがありましたね。
    私には真似できないことばかり。
    いやー、本当に面白かったです。

    いま売れているのは、フィンランドがNATOに入るとか
    サンナ・マリンさんという若くて綺麗な首相が気になるとか
    今回のウクライナ侵攻前のロシアのこととかが
    書かれているからかな?
    フィンランドは枢軸国だったんですね。

    この続きがとても気になります。
    ブレイディみかこさんみたいに、頑張ってほしいです!

  • 最近で1番刺さった本。筆者のバックグラウンドもあるのか、置かれた環境をフラットに批判的に見れているのがスタンスとして良いなと好感を持ちました。

    前半は飛び込んだヘルシンキでの生活について福祉や教育をメインとして書かれています。「世界一幸福な国」と称賛されがちなフィンランドに対し、過度な期待や色眼鏡を使うことなく、淡々と現地で接した社会の仕組みや人々について筆者の感想とともに記され、発見が多い項で一気に読み進められました。印象的なエピソードが多いですが、1番頭に残ったのは「スキル」の考え方。友達を作る(友好的に振る舞えるなど)、思いやりを持つなどは人格や性質といった変えられないものが備わっている/足りていないと考えるのではなく、獲得可能なスキルと捉えて教育でそれぞれのスキルを習得していく•習得する手助けをするものとフィンランドでは捉えているそう。これはなかなか面白い。子どもに対しても、自分自身に対しても応用出来る考え方だなぁと感じる部分でした。

    その後一転して筆者の家族史的な、考え方を形成したであろう話に変わり、そこからフィンランドと日本の違いとは、といった社会学的?な話に展開していきます。長年「自分が何人であるか」を考え続けた筆者の、お子さんに対する「何人?」への回答はわたしの中には自然発生的には考えつかないものだったなぁ。

    全体としてたまに読みづらいところもありつつも、新しい発見や考え方に触れられる読書が好きなわたしには大いに満足できる読書体験になりました。筆者の周囲のフィンランドの方たちの言葉がまた味わい深いんだよね。
    日本で暮らしているとフィットしにくい考え方もあるけど、その視点を持ち合わせるのいただき!という考え方が多かったように思います。

  • 2人の子を連れてフィンランドに移住した社会学者。出会った人々の印象的な言葉を通じて、日本とはまったく違うものの見方考え方への扉が開かれる。キレのいい京都弁のツッコミにふきだしつつ、アタマの中を新鮮な水で洗われるような感覚にはっとする。
    とりわけ第4章「技術の問題」は、目を開かされる。子どもたちが育ち社会的存在になっていくために習得すべきことは、服を着たり、自分で食事を作ったりといった、生活を整えるスキルだけではない。ともだちと一緒に遊ぶこと、自分のやりたいこと、やりたくないことを伝えること、必要な時に助けを求めること。さらには、「我慢強い」「ユーモアがある」「思いやりがある」「協調性がある」などといった、日本では個人の性質や才能に属すると思われることでさえ、ここでは、一生の間、学習しながら身に着けることのできるスキルなのだという。
    これはちょっとアタマをがんとやられるくらいの新鮮な考え方だ。たしかに、そのように考えたら、人にイライラしたり自分に絶望したりすることは、うんと減るのではないか。
    でもここにはもっと根本的な人間に対する考え方の違いもあるようだ。たとえば日本だったら「周囲と協調する」ことは確かに身に着けるべき「態度」と考えられているが、それは非明示的な「規範」に服することだ。しかしフィンランドで考えられているこのスキルは規範ではないし、うんと広い。そこには、人の人格を評価しない、誰もが自分の好きなやり方で幸福を追求すればよいし、それを支えるために政府があるという考え方につながっている。
    子どもたちは、「さっき喧嘩したのは、自分にこのスキルが不十分で、あなたにはこのスキルが不十分だったせいではないか」等と自己分析をして、スキルを練習するのだという。仕事や人生でうまくいかないことがあっても、問題は何なのか、考えなおしてみるのにとても役に立ちそうな気がする。違うやり方で生活するレッスン、力をもらえそう。

  • 「生活」や、その「練習」という言葉がまずいいなと思い、さらに他国への移住という興味のあるテーマだったので読んでみた。

    日本社会の息苦しさ、閉塞感、居心地の悪さは、日本に住む多くの人が内心感じていることではないだろうか。そして、そういう感覚を持った時に「隣の芝生が青く」見えることはよく起こる。特に、その「隣の芝生」が「フィンランド」であった場合には、その国のイメージは幸福、教育、福祉などの言葉と共に語られ、やたらと賞賛される風潮もある。
    また、何かの選択をしたとき(ここではフィンランドへの移住)、その選択を肯定するためや、新しい環境に馴染むために、良い面だけを見ようとするのは、当たり前の思考とも言えるかもしれない。
    ここで描かれる社会学者である作者の視点は冷静で、背景を見ずに表面的なことだけで安易に「比較」することを疑い、自分の生活とその中で思考したことを、「練習」するように綴っていく。

    今まで暮らしてきた社会で、存在すること自体にも気づかずに、当たり前のように持っていた思考に揺さぶりをかけられ、最初は冗談のように関西弁でつっこみを入れていた作者にとっての”新しい”思考が、だんだんと受け入れられていく様は、まさに「生活の練習」という感じ。
    人の行動を人格・才能として判断せずに、「練習」のできる技術と捉える考え方や、怒りとの向き合い方についての記述は、子育て中の人はもちろん、あらゆる人間関係においても適用できそうで、そういう考え方があると知るだけで肩の力を抜くことができそう。

    個人と個人、個と公、あるいは個人と仕組みの境界線をどのように捉えるか、ということについての書でもあるように思った。

    印象的な言葉はいくつもあるが、著者のお祖父さんの言葉を引用する。
    「自分の被害さえ認識できねえやつらに、加害なんかわかるわけねえずら」「加害ってえのは、痛くねえからアタマ使わないと分からねえのよ」

  • フィンランドと言えばサンナ・マリン首相やNATOへの正式加盟。最近紙面を賑わしたのはウクライナ問題を巡るこうした露出。日本の日常からは遠すぎて、仄聞だけで神格化される北欧の魅惑、北欧イコールお洒落というステレオタイプなイメージがこの読書への私の入り口。

    自分が子供を愛する量より、子供が自分を愛する量の方がずっと多い。母だから感じるこの冷静な一言を著者は度々用いる。事実、子供は愛に飢えているが、母は飢えているのではない。しかし、中々言葉には出さないもの。ここに子育てと向き合う母の強さや覚悟が見えた。

    不安定なアイデンティティ。いや、違う。韓国と日本の両義的なバランスに安定した自我に対する、不安定な周囲や環境。何故自分が気を遣わなあかんと、敢えてもう一つのアイデンティティである関西人を前面に出し、しかし仮面を使い分ける煩わしさから、離脱しようとヘルシンキへ。

    環境が変わり、異なる状態に身を置けば、今までの環境や状態と比較する事ができる。否応なく、比較してしまうのだろう。転職者が前の会社との良し悪しを感じてしまうように。経験が増え、新しい視点が増えるのは素晴らしい事だ。

    タイトルの生活の練習、とはどういう意味だろうか。ヘルシンキに慣れるまで、という意味ではあるまい。彼女の目指す生活の本番とは何なのか。コロナ禍、練習のような日々。日照時間の短さの中、輝き反射する子供たちが救いだ。

全101件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

ヘルシンキ大学講師

「2023年 『記憶を語る,歴史を書く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

朴沙羅の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×