- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480842954
作品紹介・あらすじ
涼宮ハルヒ、多重人格、いじられキャラ、DOB君、サンリオキャラ、Twitter、初音ミク、せんとくん、AKB48-。キャラ文化の諸相を横断し、究極の定義を与える。10年代の批評言語を刷新する画期的論考。
感想・レビュー・書評
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資料ID:21101812
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系譜学的なアプローチで考えれば、やはり近代以前の宗教文化にキャラの淵源はあると考えた方が通史的な合理性はある。つまり人間でない何かとのコミュニケーションを可能にするための擬人化インタフェースとして神=キャラが要請された。それは脳のコミュニケーション機能を人間でないものに転用したものなので、強度は申し分ない。古代においては、山の向こうから来る人の姿をしたものが人間かどうかすぐに決定することはできなかっただろう。だから神とのコミュニケーションは必ずしも特殊なものではなかった。人間相手とのやりとりの延長だったはず。そうして生まれたキャラを媒介とするコミュニケーションが宗教から芸能(演劇や文学)にも伝わっていって、むしろ近代以前の基調はこちらであった。と考えるとすっきりすると思う。
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おもしろそうって思わせるライトな話題から、すぐに専門的な論文になる。
いくら頭を捻っても追いつかず、何度も読むのを断念しそうになった。
本文中に登場した、りはめより〜に興味を持った。次に読みたい本を知った事がこの分厚い一冊を読みきった収穫だ。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/56139 -
学術的にキャラクターを説明。自分には難しかった
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2012.11.27 推薦者:おっつー(http://ayatsumugi.blog52.fc2.com/blog-entry-228.html)
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斉藤環の著作は苦手なんだ。いつもおおもとの論旨をとらえることができない。
いろんなサブカル的現象の著述ばかりに目が行って。
断片的な論理は理解できるが、話が進むにつれてほろほろと綻んでゆく。 集中力の問題かな。ためいき。
キャラとキャラクター。固有性と同一性。
うーむ・・・(無言) -
「キャラ」とは一体何なのか。
一章・二章は「キャラ」を演じる(主に若者の)現実から、病理としての多重人格障害(DID)と「キャラ」との類似性を述べる。
三章では「キャラ」がどのような性質・性格を持つものか分析を行い、続く第四章・五章・六章では漫画・小説・アートの各領域における「キャラ」の受容等を分析。七章では従来型の表現形式(4,5,6章で扱った題材)以外、新しく現れてきた(=生成してきた)事象――初音ミク、偽春菜等について取り上げる。
八章・九章では東浩紀のデータベース理論の紹介・批評とまとめ。
参考文献は末尾に記載があるが、東浩紀の論(『動物化するポストモダン』、及び『ゲーム的リアリズムの誕生』)は引用箇所が多いため読んでおくと理解が進むか。
初読では消化不良の感。再読必要か。