- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480843227
作品紹介・あらすじ
アディクション・DVの第一人者と、沖縄で若い女性の調査を続ける教育学者。現場に居続ける二人が真剣に、柔らかく、具体的に語る、「聞く」ことの現実。
「聞くの実際」。アディクション・DVの第一人者と、沖縄で社会調査を続ける教育学者。それぞれの来歴から被害/加害をめぐる理解の仕方まで、とことん具体的に語りあった対談集。
【目次】
まえがき 信田さよ子
第一章 言葉を失ったあとで 二〇二〇年一一月二七日
中立の立場とはなにか/加害者の話をどう聞くか/加害を書けるか/加害者が被害を知る/性被害の特殊性/仏壇継承者/暴力の構造を知る/スタイルの違い/学校が話を聞けない場所に/援助が料金に見合うか/質疑応答へ/加害者の普通さ/厳罰化は何も解決しない/言葉をいっしょに探す/ゼロ・トレランスの弊害/まずはいい時間をつくる/三つの責任
読書案内①
第二章 カウンセリングという仕事、社会調査という仕事 二〇二一年二月六日
精神科医にできないこと/教室の実践記録のおもしろさ/原点は児童臨床のグループ/沖縄から離れて/「性の自己決定」の実際/社会調査が示すこと/医者になるか、女性のアルコールやるか/女性の依存症の特異さ/八〇年代の精神病院の経験が一生を決めた/生身の人間の話がおもしろい/ネクタイを褒める/沈黙に強くなる
読書案内②
第三章 話を聞いて書く 二〇二〇年二月二三日
精神疾患の鋳型/解離は手ごわい/医療との関係/加害はパターン化している/精神科の役割/値踏みされている/お金をもらうか払うか/許諾のとりかた/書く責任/モスバーガーの文脈/身体は触らない/身体は自分のもの/聞きとりのあと/トランスクリプトの確認の仕方
読書案内③
第四章 加害と被害の関係 二〇二一年三月一二日
被害者元年/起源は七〇年代/仲間は当事者/学校現場の変化/公認心理師の国家資格/被害者の両義性/暴力をなくす練習/加害者プログラムの順番/加害者の書きづらさ/映画で描かれる暴力/打越正行さんの調査
読書案内④
第五章 言葉を禁じて残るもの 二〇二一年三月二七日
性被害をどのように語りはじめるのか/臓器がぶらさがっている感覚/フラッシュバックの意味/被害経験の読み替え/選択肢のすくなさ/家族の性虐待/語りのフォーマット/言葉を禁じる/性加害者の能動性/ユタを買う/一二月の教室/オープンダイアローグの実践
読書案内⑤
第六章 ケアと言葉 二〇二一年五月一一日
カウンセリングに来るひとたち/男性の語りのパターン/加害者の語り/加害者プログラムの肝/DV被害者支援と警察/家族はもうだめなのか?/使えるものはぜんぶ使う/親との関係を聞く/被害者共感の効果/権力と言葉/「加害者」という言葉の危うさ/ブルーオーシャンへ/被害者は日々生まれている/当事者の納得する言葉
読書案内⑥
あとがき――「聞く」の現場の言葉を聞く 上間陽子
感想・レビュー・書評
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まえがきによればカウンセラーとして50年以上の経験をもつという信田氏と、沖縄で若年層の女性を調査・支援し、『海をあげる』の各賞受賞も記憶に新しい上間氏との対談となっている。臨床心理士と社会学者という、分野は違いながらも話を聞く仕事に携わる二人の対談ということになる。関係性としてはもともと上間氏が信田氏に私淑していたことに始まっているようである。
対談の期間は2020年11月から2021年5月にかけての約半年間で、計六回を収録する。第一回の単発企画後に連続対談に移ったとのことで、最終回以外の対話はすべてオンライン上で行われている。約340ページ。
書名は第一回の対談からそのまま取っているようで、女性の受ける被害のひどさに言葉を失うことを意味する。このように、一連の対談で基底となるのは、虐げられる女性と、加害する男性の問題である。ただし、2・3章ではメインテーマを少し離れ、お互いの職業と話を聞くということに焦点を当てている。
対談のなかで、DVや性暴力の加害者である男性に対して、社会としてどう取り組むべきかという質問が特に印象に残った。印象に残った理由としては質問の内容だけでなく、複数の章にわたってこの質問が繰り返されたことが大きい。意図したものではないのだろうが毎回話が逸れ、最終的に信田氏からの回答が得られるのは最終章になってからだった。
まえがきで「カウンセリングを受けているような気持ちになった」と綴る、信田氏の自由でときによっては露悪的ともいえる語りが対談の大きな特徴にもなっている。それだけに前述のようにテーマに関する対話が滞留する傾向があるようにも感じ、個人的には関心が途切れがちになる面もあった。また、信田氏に関連しては、あまり脈略や必要性が感じられない流れで著名な文化人の名前が出てきたり、「天然キャラ」の女性芸人は性被害に起因した解離ではないかという根拠の不明確な推測など、懐疑的にみてしまう場面もしばしばだった。(二人の意見が一致していたなかでは、セックスワーカーのすべてが性被害の影響によるものではないかという仮説も気になる。)
今回本書にあたった時点で、上間氏については『裸足で逃げる』を読んでいたことが事前情報として役立ち、読書のきっかけにもなった。一方、信田氏の著作については前もって一冊も読んでいなかったことが悔やまれる。読んでいれば印象も違っていたのかもしれない。
内容以外では、専門的な用語や固有名もそれなりに登場するにもかかわらず、注釈がない点が気になった(関連書籍については章末ごとに4点が紹介されるのだが、一部に限られている)。 -
信田さよ子さんの本は10年前から8年前に5冊
昨年久しぶりに1冊読みました。
5冊続けて読んだときは非常に参考になりました。
私の生き方に大きな影響を与えてくれました。
上間陽子さんの本は、昨年本屋大賞2021ノンフィクション本大賞受賞作『海をあげる』を読みました。
信田さんのところのカウンセリングは一時間12000円+10%で、信田さん本人だとさらにアップするらしい。
いっぽう大学教授で「話をきかせてもらう」上間さんは、逆に3000円払うのだそうです。
〈信田さんと対談が決まったときに、信田さんはどのようにして目の前のひとの言葉を聞いているのか、そのことを尋ねてみたいと私は思った。原宿の小さな部屋で、ひとはなぜ自分のことを語り、生き残る闘いのほうへ舵をきるのか。そこで信田さんは、どんな言葉を語っているのか。私はそれが知りたかった。
私がそれを知りたかったのは、読者のためではない。沖縄の女の子たちのとなりにいるために、どんな言葉が必要なのか。私は私のために、信田さんの「聞く」現場が知りたかった〉
信田さんも楽しく話せたようですし
上間さんも得るものが多い有意義な時間だったようです。
沖縄の女の子たちが皆、幸せになればいいなと思う。
私自身はところどころ、たとえば信田さんのお話の中の
〈私がずっと思っているのは、心理職って接着剤なんですよね。新しいことをやるときに、必ず社会にヒビが入るんです。その接着剤に心理職が使われる〉みたいなものが良かった。
そして改めて信田さんについては、対談より一人で書かれたもののほうが、自分にはいいと思いました。 -
DV、虐待、性被害についてや、加害又は被害を「聴く」「治療する」ことについて、考えさせられる対談だった。近接領域で働いているのでお二人の話にそうですよね〜と深くうなずきたくなる場面も結構あった。加害者って映画の世界みたいに綺麗に変わらないですよね。被害者の気持ちを真に理解できる人も少ないんだろう。
もちろん知識や経験の不足を痛感することも多々あった。海外ではDV加害者が裁判所命令でDV加害者のためのプログラムを受講を義務付けられると知って驚いた。
信田さんの面接で愛着障害だとか自己肯定感が……とかいう言葉を禁じているという話もなるほどと思った。その人の中で物語として完結してしまっていたらそれをそのまま受け止めたくなるけど、あえて事実を語らせることで直面化させるというか。そのまま真似するのは難しくても、そういう表現が出てきたら言い換えてもらうとか応用して取り入れたいなと思った。
上間さんの社会調査の話もすごいなと思った。学生時代に社会学の授業をとったとき、社会調査って結局なにやってるのか謎だなと思ってたけどイメージがつかめた。すごい行動力と熱意がないとできないなぁと。
選択肢の少なさの話も心に残った。同じ選択でも、3つから選んでいる人と15から選んでいる人がいる。どのような選択肢の中からそれを選んだのか。その背景にまで想像力を巡らせて他人の話を聴かないとなぁと思う。 -
深く 深く 考えさせられてしまった
「今」この瞬間にも 起きている
「アディクション」「DV」の実態に
そのまま向き合ってこられた
お二人の 言葉の数々に
考えさせられてしまうことしきりである
もうずいぶん前のことになるけれども
DARCを運営されている方と
知り合いになったことがあり
一度「ミーティング」を覗いてみませんか
とお誘いを受けたことがあった
その時にも ものすごい衝撃を
受けましたが
語りだそうとするひとがいて、
それを聞こうとするひとがいる場所は、
やはり希望なのだと思う
と「おわりに」の中で
上間陽子さんが綴っておられますが
つくづく そうだなぁ
と思う -
簡単に感想を書ける類の本ではないけれど敢えて言うならば…青山ブックセンターでのイベント申込み一瞬出遅れた自分を許せぬ!が、岸政彦さんを加えた三人のzoom配信見られただけでもヨシとせねば。お互いに敬意を持ちつつ聴き合う態度に圧倒されたし惚れ惚れしました。
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「言葉を失ったあとで」というタイトルだが、中には言葉を失うほどの壮絶な経験をした人々の言葉をなんとか引き出してケアに繋げようとするそれぞれの現場について語られていた。
DVや虐待、性被害などは身体の傷だけでなく、心の傷も深く苦しい。それを語れるのは言葉でしかなく、言葉にならないからこそ辛いのだと思う。
信田さんがカウンセリングにおいて「抽象的な言葉を禁ずる」と語っていたのがとても印象的だった。「愛着障害」などと言ってしまえばそれできれいにまとまって終わってしまう。しかし、その言葉を禁じることによって、具体的に残るのは「比喩」だという話は、「自分の言葉で語ること」とはどういうことか、あるいは「世界は言葉でできている」ということを改めて強く認識させられるものだった。
上間さんのあとがきでは、亡くしてしまった子のことを思い出し、「問う先をなくした言葉は、私のなかでぐるぐる回る。あの子の話を、私は結局聞き取ることができなかった。…その子の現場を正確に聞きとり、その子をエンパワメントできるような言葉を紡げないことに、私はいつもいらだっていた。」という。
そして「語りだそうとするひとがいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う。」と書いて終えている。
この本を読むと、日本の性犯罪やDVに対する問題の多さに愕然するものの、まずは「聞こうとすること」から始めなければならないのだと思う。被害者や加害者の声に耳を傾け続ける2人の紡ぐ言葉を今後も受け取っていきたいと思わせてくれる1冊だった。 -
まさに言葉を失うような、酷い状況を生き抜いてきた人々の語りをきいてきた2人の言葉は、語っている内容以上に語らないこと、語れないこと、わかりやすい言葉にならない、手からこぼれ落ちるようなことを含んでいるのだろうという感じを受けた。
言葉にすることの限界を知って、それでも、その場に立ち続ける覚悟というか。
DV家庭で育って、やっとそのことを言語化しはじめてきたわたしには、色んなことを思いだし、ちょっと具合悪くなりながら読み終えた。
残っているのは、被害者は加害について理解する必要があるということ。家族から暴力をふるわれ続けるとわけわからなさを本当に感じる。そのわけわからなさと対峙し続けることの苦しさから、自分が悪いんだと自己を責める癖を持ってしまってきたような。
また、自分の家族を加害者と捉え、自分の被害に向き合うのはしんどいと思います。家族の関係を壊さないようにするにはどうすればいいですか?
という質問に
「自分のやったことの責任を取ってくださいと言われることは、自分が責任を取れる人間として尊重されているからだ」
という信田さんの、言葉がよかった。
加害も被害も本当は、そんな簡単に語れないことが多い。ひとの関係は相互にかかわり合っているから。
わかった、わからない、ではなく、複雑さのなかに、立ち続けること。
それが生き延びることかもしれない。
わたしにはそんな感じが残った。
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読もう、読もう、と思いながらもなかなか読めずにいましたが、ようやく読めました。
印象に残ったことをここでは2つだけ書きます。
選択不能性について。
ものすごく少ない選択肢の中からしか選べない状況にある人がいるということを、私はどれだけ理解して「自己選択」「自己決定」の言葉を使ってきただろうかと、自分の理解の浅さを感じました。
性暴力、DV加害をどのように見ていくかについて。
頷くばかりで納得しかない感覚でした。
怖さや危うさを改めて感じました。
カウンセリングから、社会調査から、多くの方の声を聴いてこられたお2人の言葉には、とても説得力がありました。
加害者の被害者性を取り扱うことのリスクについて知ることができたのもよかったです。
上間さんの本はまだ読んだことがなかったので、「読んでみよう!」と思いました。 -
「被害を訴えなければ加害は生まれない」のだとつくづく思う。新たな視点を幾つも得た。まるで自分が悪くない、自分は被害者であると語る加害者に対面きたとき自分はどのように感じるだろうかと考えてしまう。手元に置いて何度でも読まなければ理解出来ないだろう内容だった。
<書評>言葉を失ったあとで:北海道新聞 どうしん電子版
http...
<書評>言葉を失ったあとで:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/639675?rct=s_books
https://honsuki.jp/review/514...
https://honsuki.jp/review/51411.html
https://www.hinagata-mag.com/think/46997