気流の鳴る音: 交響するコミューン

著者 :
  • 筑摩書房
4.00
  • (4)
  • (2)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 24
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480851239

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ★×5をつけても良いかもしれない。

    アメリカンインディアンのシャーマンとその白人弟子のやり取りを通じて、人生において何をみるべきかを問いただす。

    言語性と身体性の議論は養老孟司の唯脳論につながる。
    知的刺激を受ける本。

  • 再読。
    惰性的な自己への戒めをする際に、
    自己に力をもたらすのは「他者」である。
    他者は額面通りの、目の前のひとであることもあるし、
    まだ知りえていない、獲得し得ていない感覚や価値観と言いかえることが出来よう。
    間違ってもしてならぬのは、理性や観念で自己の感覚を無理やりに押し広げようとしたり、自己否定から着地点・視点の飛翔を望むこと。
    観念的脅迫は自己の感性をにぶらす。
    時にそこから、つまり「合わない」という逆説から「自己」を知りうることはあるため、まったく不必要だとは言えないが。
    総じて重要なのは今目の前にある世界、
    無意識の行動、感受法が、
    あくまでカッコに入った一時的なものであると、「ひいて」みる視点をもっておくこと、
    そして解放し、知りえない者に出会った時、
    明晰により現在の明晰を止め、
    変容というどろっとした、その時点では正体のわからないものに身を委ねること、
    他者なのか、自己なのか曖昧なその地点を肯定することである。
    それこそが戦士に与えられた「意志」というものになろうか。


    【反近代主義者たちのように近代を否定するためにではなく、近代をもまた来るべき世界のための一つの素材として相対化し、あらたな生命をふきこんで賦活する】

    【山岸会は労働を強制しないという神話を打破するために、絶対に働かないという決心を固めて山岸会にいった男が、五十七日ほど釣りばかりして過ごしていたが、つまらなくなって鶏の世話など始めた】

    【山岸会ではニギリメシとモチということをよく言う。ニギリメシでは一粒一粒の米粒は独立したままで集合しているにすぎないのに対し、モチでは米粒そのものが融解して一体のものとなっている。他のさまざまな「共同体」ではニギリメシの如く我執をもったまま、個人が連合しているだけなので、相克や矛盾を含むが、研鑽をとおしてエゴそのものを抜いている】

    【飛躍するように思われるかもしれないが、法主さんのもつこのような感覚と、重度心身障害者ー能力主義の近代世界から極限的に疎外された存在ーがこの巴においてはじめて表情をとりもどすという事実は無関係ではない】

    【アシャの言葉をきく耳を周囲の人が持っているとき、アシャはアシャではない。アシャは周囲の人々が聞く耳をもたないかぎりにおいてアシャである。アシャとはひとつの関係性だ】。

    【人間主義は人間主義を超える感覚によってはじめて支えられうる】

    【トナールは話すという仕方だけで世界をつくるんだ。それは何一つ創造しないし、変形さえしない。けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することが機能だから。トナールは何物をも創造しない創造者なのだ。いいかえれば、トナ-ルは世界を理解するルールをつくりあげる】

    【守護神とは心が広く、理解力のあるものだ。これと反対に看守は心が狭くいつも目を光らせておいて、いつでも専制的なのさ。トナールは本来、心が広い守護神でなければならんのに、われわれの器量の専制的な看守になってしまう】

    【われわれが完全にトナールになったときから、われわれはさまざまな対立項を創り始める。われわれの二つの部分は霊魂と肉体だとか、精神と物質だとか、善悪だとか、神と悪魔だとか。けれどもわれわれはトナールという島の中の項目を対比させているにすぎない。】

    【呪術師ドンファンは呪術の世界を絶対化しない】

    【わしらは自分のなかのおしゃべりでわしらの世界を守っておる。わしらはそれを新生させ、声明でもえたたせ、心の中のおしゃべりで支えているんだ。それだけじゃない。自分におしゃべりをしながら道を選んどるのさ。こうして死ぬ日まで同じ選択を何度も繰り返している。死ぬ日まで同じ心のおしゃべりをくりかえしとるんだからな】

    【自分とのおしゃべりを止める。判断し、評価し、証言する働きを中止する】

    【マルクスは理論の力で、商品世界の自明性を止める】

    【自己の惰性に身を委ねること】

    【明晰とはひとつの盲信である。】

    【合理主義者でもなく、非合理主義者でもない。ただ平静で、人間のとらえうるものが、世界のほんの微小な部分に過ぎないことを対自化しうるほどに冷静であればこそ、人間的知性の説明体系の自己完結性を信じていない】

    【コヨーテがしゃべるということをあたまから信じないのが普通の人の明晰で、しゃべるということをしんじてしまうことが、呪術師の明晰である。しかし両方の世界がともにカッコに入ったものであり、どちらも現実であるということ、現実とはもともとカッコに入ったものであるということ、このことを見る力が真の明晰である】

    【明晰とは明晰さ自体の限界を知る明晰さのこと】

    【焦点を合わせない見方とは、予期せぬ者への自由な構えだ】

    【呪術師はふつうの人間のように自分の壁が固くないので、力と出会うと裂け目が開いて、この力を持って自分の力し、超人的なはなれわざもやってのける。けれども、その裂け目は自己解体の危険をはらむ】

  • この本は美しい。
    第一部では、カルロス・カスタネダのドンファンシリーズが主題となっていて、その部分が特に素晴らしい。
    ドンファンが語る言葉の不思議な輝きを、まるで写真で撮ったように、そこかしこにちりばめていて、その視点がひとつの詩になっている。この本を読んで感動で心が震えるということが始めて分かった。

  • カスタネダの「ドンファンの教え」を、明晰な理論により検証した名著。明晰であることと、詩的に美しい日本語であることを達成した真木悠介(見田宗介)の文体に魅了される。「現実とは何か」という、根源的な問いかけについての徹底した深い考察である。

  • 私の最も大切な本です。

    「心ある道を歩む」

    「明晰の罠からの解放」

    今も、私のバイブルです。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

見田宗介。1937年東京都生まれ。東京大学名誉教授。現代社会論、比較社会学専攻。著書に、見田宗介名で『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』(1996年)『社会学入門―人間と社会の未来』(2006年)『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』(いずれも岩波書店、1986年)などがあり、真木悠介名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』(筑摩書房、1977年)『時間の比較社会学』(1981年)『自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学』(ともに岩波書店、1993年)及び本書『現代社会の存立構造』(初版、筑摩書房、1977年)などがある。『定本見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年、毎日出版文化賞)『定本真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年、ともに岩波書店)には、半世紀に及ぶ業績が、著者自身による新編集を経て体系的に示されている。本書『現代社会の存立構造』は上記著作集に含まれない。

「2014年 『現代社会の存立構造/『現代社会の存立構造』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

真木悠介の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×