どうして男はそうなんだろうか会議 ――いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと (単行本)

制作 : 澁谷知美  清田隆之 
  • 筑摩書房
3.77
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480864796

作品紹介・あらすじ

非モテの苦しみ、マウント合戦、マチズモ、男同士のケアの不在……。どうして男はそうなんだろう? 6人のゲストと語り合って見えてきた、男の今とこれから。

感想・レビュー・書評

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  • 非モテ、マチズム、ホモソ、男らしさ、、、男を縛るキーワードの数々。
    男はつらいよ、という言葉の裏に男の優位性を前提としたエクスキューズが見え隠れする。
    またフェミニズムの本か!って?
    でも、ここで語り合っている人たちは一人が女性なだけで、あとは全て男性。そして、男を擁護わけでなく、また強く非難するわけでもなく、慎重に、そして時に大胆に、男という存在を解体していく。
    目から鱗の対談集。
    タイトルから気軽に読めそうと思って借りてみたら、ガチで考えさせられる、内省と自戒の波が押し寄せる内容でした。

  • 自分は男性だが、男性とのコミュニケーションのときにホモソーシャル的なやり取りにうんざりすることが多いと感じていた。だが、同時に自分のなかに時折マチズモめいたものが頭をもたげる瞬間も感じるときもある。

    以前読んだグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』を読んだときは自分ごとに感じつつも著者がイギリス人で、これは自分も同意するなと思う部分もあれば、これは日本では感じないかも、という部分があって、日本人男性向けの”(有害な)男らしさ” についての本があったらなー、なんて思っていた。
    本著はまさにその日本人の男性向けに男性視点から書かれた著作(聞き手は女性である)で、自分もよく見たり聞いたり、体験する話が多かった。

    ここに記されている話題自体は比較的よく目にする耳にする話ではあるのだが、それでも意識的にならないと変わらない。自分も反省する部分や、改善していきたい、アップデートしたいと感じる部分が出てきた。

  • ・自分の感情や体験を言語化することに慣れていない男性が多い
    ・そもそも男性同士の友人間コミュニケーションでも自分に関することの話は少ない。いじる/いじられる、片方が優位に立つコミュニケーションが多い
    ・加害は日常と地続き。暴力というほどではないが抑圧され支配されていた日常の経験から地続きにある。自分が抑圧される側だったときは嫌だと感じているはずなのに再生産してしまう
    ・ケアは(資本主義からみて)生産的ではない、というのは間違い。人間という資本のケアであり究極的に生産的と言い切ってくれるのは気持ちよかった。その通りと感じた。
    ・非モテ=未達感。本来は女と付き合って一人前、仕事して一人前、という理想に囚われているがそれに到達していない自分の足りてない感
    ・マジョリティは何かの原因を自分以外に押し付けることかできる特権

    ★時間がなく急いで読んでしまったが良い本だった。女性の私が感じる疑問は澁谷さんが代弁してくれるのがわかりやすく、理解が進みやすかった。
    自分の男友達を思い浮かべてもそのとおりだなーと思い当たることが多い。
    構造としての男中心社会は間違いなくありそれは崩していくべきと思ったが、構造の課題が見えているからと言って男はこう!原因はこれ!と決めつけることなく個人を見ていくことが大切と感じた

  • 第1章 「男子バキバキ脳」からの脱却
    第2章 「非モテ」の諸相と、「これから」のこと
    第3章 男性性と暴力―コミュニケーションに潜む加害と被害の両面から考える
    第4章 男性が乱用しがちな「構造的な優位」とは?
    第5章 「誰でも差別し得る」という出発点
    第6章 すぐそこにあるマチズモ―あの手この手で「マッチョ連合」を突き崩せ!

  • 自分の考え
    喧嘩するほど仲が良い、という言葉に違和感があった。自分はどちらかといえば親しい人でも戯れ合いに近い喧嘩はしてこなかったから。この格言の「ほど」という言葉に引っ掛かりがあるのだと気がついた。つまり喧嘩する者としない者の比較であり、喧嘩する者の方が上であるという言外の感覚に違和感を感じていたのだとわかった。自分の周りでこの言葉を言う人は大抵やんちゃなカップルが多かった印象で、その人たちの見下した感じがこの言葉には含まれている。

    そういうコミュニケーションを取るかどうかは社会的な関係によって左右される、つまり、常に競争を求められる社会ではイジリやからかいによって笑いと同時にポジショニングが行われる。そういう文脈でこの言葉は使われるのだとわかった。自分は競争しない関係、そういうものを必要としなくても別のコミュニケーションが取れる人なのだとこの本を読んで肯定された気がした。

    多様性が今後より認められると、どの分野でもマイノリティであった人は抑圧から解放されるが組織は維持できなくなるだろう。
    もうそうなり始めている。だから個人的な仕事にシフトしていく必要がある。

    男って〇〇だよね。といった類の言葉が癇に障るのは男を一括りにして個人として見ていないからだとわかった。

    人間はそれが問題であるとしても、それを利用することで優位になれるものであれば、積極的に否定はしない。だから男性がフェミニズムについて語ることは立場が弱い。なぜなら何を言っても保身になってしまうから。ただ女性がフェミニズムを語りすぎるのも自己主張ばかりしているように見えるから、男女の分断は進む。

    第1章
    仮性包茎は加害者にも被害者にもなり得る。
    身体のケアをする男はナルシストみたいな呪いが根強くある。
    感覚をにぶらせることと男性間の競争関係はセット。

    第2章
    インセル
    自分の容貌などのせいで恋愛相手が見つからず苦悩する男性のこと。
    閉鎖的な空間ではひとつの規範だけが力を持ちやすい。重要なのはこの規範に従わなくても生きられるらしいと気づくこと。
    権力を握っている人へのいじりは大事。それが風刺となって権力を持っているこの人が権威主義に至るのをせき止める効果がある。
    からかう側とからかわれる側の関係が固定化してしまうのは問題。非対称性が生まれることでやられる側に未達の感覚が植え付けられてしまう。
    ミソジニー
    女嫌い
    周囲の人を馬鹿にして「あいつらはバカだから自分と関わる価値がない」と自ら孤立を深めていく。これを自己孤立化と呼び、その背景には期待の未達成がある。本当はそうなりたい、そうなるはずだと思ってるのに実現できないために過剰な行動をとってしまう。

    第3章
    暴力を振るう人間の多くが被害者意識を持っている。自分はこんなにしているのに相手はしてくれないから暴力で教育したなど。
    暴力を受けて育った子供が暴力をしないようになるには、暴力的ではない男性に出会っていた。
    →多分暴力を辞められず自分が受けてきた暴力を自分の子供にもしてしまう人も、非暴力的な男性と出会っているはずで、そこから学び取れるか否かの差はなんなのか。関係の深さか、インテリジェンスか。
    加害者が行方不明。頭が真っ白になって、気がついたらなどの言い訳はいずれの場合も暴力の原因を自分ではコントロールできない感情に帰属させる形となっている。これは責任を外部化している。

    第4章
    フィクションとして女性の目。
    実在しない女性を相手に女性がどう思うかを思考の中心に置いてしまう。しかし、その女性とは誰なのか?大体は男性自身が自分の経験から作り出した偶像である。
    女の子と接する時にどうしたらよい?という質問自体が女性を個人として扱っていない、劣位でみているということ。
    自分は相手のことを完全にはわかっていないと意識し続けること。相手にとって一番良いことは何か、私が最もよくわかっているという自覚は相手への支配にほかならない。

    第5章
    ミソジニーの男には、女好きが多い。

    第6章
    主語を大きくすれば批判された時に自分が傷つかない。
    どうしてタメ口なんですか?と聞く。
    正論ではなく、それダサいよという感情論が時に有効な時がある。



  • やーなんか、軽い気持ちで手に取った本だったのだけれども、なかなかに衝撃的だった。特に、西井さんとの対談で、男性自身が自分のもつ性欲や身体的特徴を汚らしいと思っている人がいるというところに、激しいシンパシーを覚えた。そういう考え方をする人がいるんだなーとちょっと安心。生きづらさとまで言ってしまうと大げさだけれども、なんとなく引っかかるものがあって、どうにかしたいのだけれどもどうしたもんか見当がつかないというそんな心持ち。
    男性は男性の意見しか聞かないというのも耳がいたい。男性がきちんとフェミニズムを理解して(単なるヒステリーなんて誰が言った!)いかないと、男性自身も苦しくなってしまうと思う。早くみんなで男から降りたいものです。

  • この本を読もうと思いそうな男の人が周りに見当たらない。笑
    自分は女だから、そうなのか〜とよく分からない部分もあったけど、兎に角突き詰めまくっていてよかった。何よりこの本を読んで良かったのは、ケアとかサポートが資本主義の中だと軽んじられてしまう(=生産的でないとされる)ことへの反論の箇所を読めたこと。同じ考え方で、私よりクリアにそのことを書き表してくれている人の表現を見てスッキリ。激しく同意です。

  • 面白い研究。
    「自分は相手のことを完全には分かっていない」と意識し続けることで、弱い存在を意のままに扱わない、相手を支配できるけど支配しない。相手とのパワーの非対称性を支配.従属の関係に転嫁させないようなあり方、ケアリング・マスキュリニティの獲得。

    「相手にとって1番良い事は何か、私が最もよく分かっている」と言う自覚は相手への支配に他ならない。なぜなら「相手の全てをわかっている」と言うのは、相手の人格を掌握すると言うことであり、相手の何もかもを手中に収めることだから。自分が考える「相手にとっての最善」を疑わず、相手の生活を好きにコントロールしてしまう。そういうことを強い側は弱い側にしばしばやってしまう。

    自分が優位に立ってしまう事は構造上自分の意思ではどうにもできない問題かもしれないが、その構造を利用するかしないかは自分の意思で選択できる。上司から、部下への抑圧的な言動は、立場上、部下が口答えすることが難しいからこそハラスメントになる。「立場上相手は口答えしにくいだろうから、こちらも言いすぎないようにしよう。」とシフトする。

    実のところ全然変わっていないせいの不動平等への意義申し立てを批判をイクメンなどの「ハイブリットな男性性」は躱してしまう。「新しい現象」にばかり目を向けることで、実は変わっていない不平等が等閑視される可能性がないかは常に意識したい。

    「差別論」佐藤裕
    「差別は大抵悪意のない人がする」キム・ジヘ

    近代という時代はどんな人であれ、等しく人権を持っているという約束のもとに成り立っている。こうした考えがあるから、先人は差別や格差を無くそうと努力してきた。
    人権を大切にしないことを容認するということは自分も大切にされない立場になる可能性も出て来るからみたいなことが書いてあったと思うんだけど、どこだったかな?

  • ・同じ著者の本をよく読んでいるせいか、また聞いた、みたいな事例や話が良く出てきてしまっている。
    ・ただ、それでも良いとも思っている。自分は物覚えが良くないと思っているので、体に覚え込ませるつもりで読もうと思っている。
    ・身に覚えのある話や考えが多くあり、うわ〜…と声が出てしまう事もしばしばだ。
    ・同時に新しい世界の成り立ちのとば口に居る様でちょっとワクワクしている感じもある。(楽観的?不謹慎?)

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著者プロフィール

澁谷知美(しぶや・ともみ)
1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター教授。博士(教育学・東京大学)。ジェンダーおよび男性のセクシュアリティの歴史を研究。共著に『性的なことば』 (講談社現代新書)など、単著に『日本の童貞』(河出文庫)、『平成オトコ塾――悩める男子のための全6章』『日本の包茎――男の体の200年史』(以上、筑摩書房)、『立身出世と下半身――男子学生の性的身体の管理の歴史』(洛北出版)がある。

「2022年 『どうして男はそうなんだろうか会議』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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