幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア

著者 :
  • 東京書籍
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784487804412

作品紹介・あらすじ

笑う哲学者,渾身の書き散らし! 人生は無意味だ,一貫性を持て…哲学的に間違った不幸な考え方をツチヤ流に正します。

感想・レビュー・書評

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  • いろいろな角度からモノを見てみなさいということ。

    当たり前のように感じていたこと(でも私がなかなか周りから賛同を得られていなかった)が書かれていて、気持ちがすっとした。

    少なくとも一年は取り返せない失敗をした直後だったのでなおさらすっとした。

  • 土屋氏の本はタイトル買いで2冊ほど手元にある。けれど、どれも読まずに積んだままにしていたところ、本書を読む機会を与えていただいた。
    まず、”土屋賢二”とはどんな人物なのかと著者紹介を読む。これがまたなんというか、他に類を見ない著者紹介であった。哲学を専門にしていらっしゃることも、大学教授であることも初めて知った。著者紹介もご自身で書かれたのであろう。これは本文も期待していいなと喜々としてページをめくり始めた。

    まえがきに書かれている。幸福な人より不幸な人の方が不幸から逃れる方法を説くのに適している。うん、それはそうだと私も思う。幸福な人は不幸から逃れることについて考えない。不幸な人の方がずーっと考えているもの。
    あれ? 私はツチヤ・マジックにはまったのか?!(笑)

    哲学とはそもそも疑う学問なんだと著者は言う。なんでも疑ってみることから始めるのだと。多くの人間が当たり前のように受け容れているモノについて疑いを抱くことから始める。人間は考え違いをしやすいから、哲学は常に疑わなければならない。「何でも疑える」ということ自体を疑う学者さんもいらっしゃるとか。終わりが見えない学問だ。

    サラサラと読み進められる文章であり、どれもこれもが私にとって新鮮な視線で語られていて、ついつい引き込まれてしまうのだけれど、著者が「疑う」ことを勧めていることを忘れてはならない。ここに書かれていること自体も疑って見なきゃね(苦笑)。でも、読んでいて気持ちがいいくらい素直に受け容れてしまうのだ。ところどころに挟まれてくるユーモアのセンスも心地いい。

    タイトルにあるように、本書の主題は「どうすれば不幸から逃れられるか」である。その答えが本書にあるのか、と言えばあるようなないような・・・。けれど、ヒントはあちこちに潜んでいる。
    ポイントは「今までの自分の”常識”を疑ってみること」と「物事を多面的に見ること」かな。

    「自分は『これこれこういうわけ』で不幸なのだ」と考えるとする。さて、『これこれこういうわけ』は、本当にその人の人生全てを左右するほどの大きな出来事なのだろうか。もう幸せになることはあり得ないのだろうか。
    誰にも太刀打ちできないほどの大災害に見舞われたりしたら、それは気力も体力も限界に近い状態になることは想像に難くない。そんな状態で「見方を変えれば・・・」などと馬鹿なことを言うつもりは毛頭ない。
    けれど、日常に潜む出来事であれば、大抵のことはその人の受け取り方次第で「不幸」にもなるし、「なんてことないこと」にもなり得る。
    下手なメンタルケアの本よりよっぽどココロのクスリになるような本だと感じた。

    最後に帯にもある本書の中の文句を引用しておこう。

    「われわれは不幸を避けようと努力しますが、どれほど力を尽くしても不幸は避けられません。どんな人でも老いるし、病気になるし、最後は死にます。全力を尽くしてどうやっても避けられない不幸な出来事に襲われたら、じっと耐えるしかないんでしょうか。そんなことはありません。まだ笑うことが残っています。」

    ユーモアのセンスとは、深刻になったときに、「そんなに深刻じゃない」と思う能力のことだと著者は言う。不安が大きいときほど、不幸だと思う気持ちが大きいときほど、たいしたことじゃないよと思うこと。これが、不幸にならない一番の方法なのかもしれない。それはとても難しい技術だけれど、日頃から習慣づけていくと、段々上手になって、不幸になる可能性は減っていくのかもしれない。

  • そうか、ツチヤ先生はイギリスでユーモアを学んだ人なのだな、と思った。権力者を茶化す他罰的なジョークというより、自分が権力者である(かもしれない)ことを茶化す自虐的なユーモアが真骨頂なのだな、と。哲学的な「疑う」姿勢とそういうイギリス的なユーモアが結びつくと、言葉を言葉足らしめているシステムをも自己破壊的に抉る筆致として結実するのだろう。ぼくはツチヤ先生のユーモアは「すべっている」印象があって(いや、その「すべっている」が面白いのだけど)苦手なのだが、読んでいるとデーモン・アルバーンと対談させたくなってきた

  • 人間は一面的になりやすい。それを防ぐために自分の不幸をそんなに重要じゃないととらえ直すことが重要と知った図書。なんの目的もないものこそ、一番価値があるのだ!読んでて気楽になる。

  • ユーモア、自分がつらいときにこそ。
    それにはある側面をとらえるのではなく、いろんな面をとらえること。
    自分の価値観をもつことは、他の価値観を攻撃すること。
    しかし、批判できないということではない、妥協するなり折れるなりしろ

  • この方のエッセイは超好きなんです。いつもは面白可笑しい内容なんですが、今回の本は趣が違ってちょっとした人生訓のような内容。意外と真面目な内容だったのでびっくりした(笑)。

  • すみまで面白かった。著者紹介も。

  • 相変わらずこの人の文章は面白いな。

  • 「笑う哲学者」ツチヤ先生のお話。いい人のニオイがした。

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著者プロフィール

1944年岡山県玉野市生まれ。玉野市立宇野幼稚園、宇野小学校、宇野中学校と、とんとん拍子に宇野地区きっての名門校を進み、中学2年生のとき岡山市立丸の内中学校に転校。岡山操山高校を経て、官僚を目指して東京大学文科一類に入学。2年後、方針転換して文学部哲学科に進学して大学院博士課程中退。東大助手を務めた後、お茶の水女子大学に着任。35年にわたって哲学を教え、現在、お茶の水女子大学名誉教授。 哲学のかたわら、五十歳のときユーモアエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)を出版したのを皮切りに、『妻と罰』『ツチヤの貧格』(文春文庫)、『ツチヤ学部長の弁明』(講談社文庫)など多数のユーモアエッセイ集と、『ツチヤ教授の哲学講義』『ツチヤ教授の哲学入門――なぜ人間は八本足か』(文春文庫)など少数の哲学書を発表、いずれも好評のうちに絶賛在庫中。他に『幸・不幸の分かれ道――考え違いとユーモア』(東京書籍)、『われ悩む、ゆえにわれあり―― ツチヤ教授の人生相談』(PHP)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている。週刊文春とPHPに連載中。

「2013年 『哲学者にならない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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