短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)

  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488299026

作品紹介・あらすじ

江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』刊行から五十余年。創元推理文庫が21世紀の世に問う、新たなる一大アンソロジー。三世紀、およそ二百年にわたる短編ミステリの歴史を彩る名作傑作を、書評家の小森収が選出、全6巻に集成する。第1巻にはモームやフォークナーなどの文豪、サキやビアスといった短編の名手、ウールリッチやコリアなど新聞・雑誌で活躍した俊才による珠玉の12編を、すべて新訳で収録し、編者の評論とともに贈る。

感想・レビュー・書評

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  • シリーズ第1巻。広義のミステリなので好みでないのもあるが歴史を振り返る意味で読む。既読以外ではリチャード・ハーディング・デイヴィス『霧の中』サマセット・モーム『創作衝動』デイモン・ラニアン『ブッチの子守歌』が面白い。

  • 同じ東京創元社の乱歩編「世界推理短編集」も持っているのだが、積読本に隠れて発見できないのでこちらのシリーズから読み始める。

    この巻1には20世紀初頭の作品が収められている。
    錚々たる文豪のイメージのある作家の作品もあるが、やはり少々古臭さがあるのは否めない。

    この本の中では、ウールリッチの「さらばニューヨーク」が、いかにもウールリッチ(アイリッシュ)らしい「暁の死戦」を思わせるタッチと展開で良かったのと、ラニアンの「ブッチの子守唄」がクライムノベルなのだが、クスリとするユーモアとオチが良くて印象に残った。

    巻末に編者の詳細な解説がついており、多くの作品名をあげて丁寧に解説している。ただいかんせん自分が、解説に挙げられている作品の殆どを読んでないので、よく分からなかったのが残念だった。

  • 江戸川乱歩の『世界推理短編傑作集』を知らないのだけど、こういう丁寧なアンソロジーにはきっと出会いがあると思って、購入。

    どのお話もハズレなく、しかも新訳だそう。
    次巻は来年みたいだけど、間違いなく買うだろな。

    面白かったのは、サキ「セルノグラツの狼」「四角い卵」かな。
    どちらも、ものすごく短いのに、オチできれいに話を回収するところが良い。
    四角い卵、、、あったとしても食欲そそらんな。

    お恥ずかしながら、唯一この巻で作品に触れたことのあるサマセット・モームからは「創作衝動」。
    ミセス・アルバート・フォレスターが高尚な詩集から俗な探偵小説に転向するまでの話なのだが、パッとしない夫が出し抜くエンディングにスカッとする。

    デイモン・ラニアン「ブッチの歌」も、金庫を開けて強盗をするために、ブッチという男が子連れで渋々参加するのだが、このジュニアがストーリーに緊張感を持たせていて、面白い。

    じっくり読めて、良かった。

  •  良くも悪くも編者小森氏の評価が前面に出たアンソロジー。
     もともとは、東京創元社〈Webミステリーズ!〉で連載された「短編ミステリ読みかえ史」をベースにしているので、収録された各短編にプラスして、かなりのページ数の解説というか、時代を追っての短編ミステリーの発展を論じる評論が付されている。

     ジャンルとしてのミステリーをどう考えるかは人により様々だろうが、本書では1901年発表の「霧の中」を皮切りに作品が選ばれており、これもミステリーなのだろうかと感じるような広めのセレクトになっている。

     本書で初めて知った作家としては、巻頭作『霧の中」のリチャード・ハーディング・デイヴィス、「ブッチの子守歌」のデイモン・ラニアン。

     いかにもモームらしい「創作衝動」では、少数の知的読者を対象にする(したがってあまり売れていない
    )いわゆる純文学系の作家が、思いもしない出来事の勃発によりミステリー作品を書くことになる成り行きが描かれているのだが、両ジャンルの壁が厳然としてあった時代だからこその面白さである。
     イーブリン・ウォーの「アザニア島事件」は、かなり早い段階で展開は読めるが、植民地における支配者側の生態や、何もないところに謎を見出すマニアを皮肉に描いていて、楽しく読める。

     フォークナーの「エミリーの薔薇」、コリアの「ナツメグの味」は、言わずと知れた名作。読み手に真相を明らかにする手際が見事だ。

     題名は知っていたのだが、今回初めて読んだウールリッチの「さらばニューヨーク」。重大な犯罪を犯してしまった夫、その事実を知りながらもあえて何も言わず逃避行を共にする妻。警察に追われているのではないかとビクつきながら逃げる二人に迫る出来事が間然となく描かれ、サスペンス満点である。

     

  • ミステリアンソロジー&たっぷりとした解説のような評論。「ミステリ」といってもかなり広義のミステリという印象です。ぴりっとしたユーモアの効いた作品が多いかな。なるほど、こういうのもミステリと言ってしまっていいのね。
    お気に入りはサマセット・モーム「創作衝動」。これってミステリ? と思わないでもないのですが。意外なユーモアを感じさせられるラストまでの道筋を「真相」とすれば、これはミステリでしょ。
    アンブローズ・ビアス「スウィドラー氏のとんぼ返り」はさくっと短くてユーモラスな一作。デイモン・ラニアン「ブッチの子守歌」もユーモラスで好きだなあ。サキ「セルノグラツの狼」も、まさしくラストの二行でユーモアが効いています。
    ウィリアム・フォークナー「エミリーへの薔薇」とジョン・コリア「ナツメグの味」は怪奇アンソロジーに収められていたこともあって再読。なんともいえない雰囲気が好きです。

  • 名アンソロジー『世界推理短編傑作集』に採られなかった短編や、新たに発表された短編を、二百年の歴史を踏まえて集成された傑作選。全6巻の内のこれが第1巻。
    名作傑作の類は全5巻の『世界推理・・・』にキッチリ網羅されているので、おこぼれの様な作品が並ぶのかと危惧したが、いやいやこれも面白かった。『悪魔の辞典』で有名なビアス氏の創作は初めて読んだが、やっぱり毒のある話だったな(^-^)。
    この第1巻は19世紀の作品もあり、まだミステリというより奇譚が多かった。巻が進めば更に面白くなりそうだ。

  • たとえば大学の文学部、週1コマの講義をとらなくてはならないとしたら、私は他の色々をのけて、間違いなくこれを選択するだろう。

    「短編ミステリの二百年」

    なんと面白そうではないか!

    ミステリが著されて200年の間に、犯罪はどう描かれてきたのか、探偵はどう変化していったのか、トリックはどのように進化してきたのか、そのようなことが詳しく説かれるにちがいない。
    楽しみだなあとワクワクして受けた講義はしかし、まったく違っているのだった。

    ウィルキー・コリンズ、エラリイ・クイーン、ヴァン・ダイン、ドロシー・L ・セイヤーズ、『黄金の十二』、エドガー・アラン・ポオ、『盗まれた手紙』、デイヴィッド・C・クック、『悪夢』 、ディケンズ、チェーホフ、etc.etc.etc....

    教壇に立った先生がとうとうと語るその講義に、探偵もトリックも出てきやしない。
    数多の著者名作品名が息をつく間もなく次々と押し寄せて、それによって、なにやら説かれているようなのだが、なんだかさっぱりわからない。
    どこをどうノートにとっていいか、つまり要点はなんなのか、ピンともツンともこないので、ただただ呆然と話を浴びているしかないのだ。

    そうした間に思うのは、
    なるほどあの12編のミステリは、この授業を受けるために、「最少限」読んでおくべきテキストだったのだということ。
    これなら『近代文学における新戯作派の消長』『ドイツ文学における"Deutschland"観の変化』のほうが、よほど理解できて面白かっただろうこと。
    しまった、あっちの講義を選択しておくべきだったと、ひどく後悔したにちがいない。

    「みなさんご存じのところでしょう」(382頁)
    「みなさん、ご承知のとおりです」(384頁)

    先生はそうおっしゃるが、私ときたらまったくご存じでもなく、よってご承知もままならない。
    周りの受講生はともかく、私はその「みなさん」には含まれないのだろうと、こっそり辺りを見回しながら、自嘲とも苦笑ともいえる笑いを浮かべるしかないのだ。

    しかし、幸いなことに、これは大学の講義ではなく、ノートをとる必要もなく、試験があるはずもない。
    今それをすべて理解する必要もないのだ。
    講義をそのまま文字にしたように書かれたこれは、いずれ理解が及ぶその時まで置いておけばいい。
    自分にとってふさわしい時に、また読み返せばいいのである。
    この1冊全体のおよそ3分の1を、その「講義」が占めているのだが、その前にあるのは、12編の珠玉のミステリーである。

    『霧の中』 リチャード・ハーディング・デイヴィス
    『クリームタルトを持った若者の話』 R・L・スティーヴンスン
    『セルノグラツの狼』 サキ
    『四角い卵』 サキ
    『スウィドラー氏のとんぼ返り』 アンブローズ・ビアス
    『創作衝動』 サマセット・モーム
    『アザニア島事件』 イーヴリン・ウォー
    『エミリーへの薔薇』 ウィリアム・フォークナー
    『さらばニューヨーク』 コーネル・ウールリッチ
    『笑顔がいっぱい』 リング・ラードナー
    『ブッチの子守歌』 デイモン・ラニアン
    『ナツメグの味』 ジョン・コリア

    感謝すべきは、読後の味わいが実に様々なことだ。
    すっきりするもの、笑ってしまうもの、
    呆気にとられるもの、苦笑するもの、
    そして、ナツメグの味。

    おかげで飽きることなく、常に新しい気持ちで読み進むことができる。
    そして、これは、読者によって様々な好みが生まれる理由ともなる。
    私が1番と挙げる一編は、誰かと同じかしれない、違うかもしれない。
    私が今一つと感じたそれは、誰かと同じかもしれない、誰かの一押しかもしれない。

    だからこそ、読んだ人はそれを語りたくなるらしく、この本の書評やレビューには、どれが好きだとか気に入ったとかいう熱い文言が、よく書かれている。
    読後にそれらを読んでまわるのも、楽しみのひとつである。

    そして、私は、それらの中に「みなさん」の中の人たちを見つけては、すごいなあと、ただただ感心するばかりなのだ。

  • 「霧の中」
    リチャード・ハーディング・デイヴィス(1901年)
    ▷▷▷とある夜。一流社交クラブ〈グリル〉につどった互いに面識のない四人の会員たち。そのうちのひとりである政治家は、これから議会で演説を行おうとしていたのだが、そのことを知った残りの三人はその演説を阻止すべく、即興のミステリー譚を順番に政治家に語って聞かせその足止めをはかろうとする。
    ▶▶▶三章構成で一章に一話ずつ即興のミステリーが語られる。それらは最後にひとつの大きなお話となる。政治家の動向もあいまって二重仕掛けでスリリング。

    「クリームタルトを持った若者の話」
    R.L.スティーヴンスン(1878年)
    ▷▷▷冒険心に富むボヘミア王子フロリゼルとその従僕ジェラルディン。彼らは今宵も身を窶し、草莽の間に危険を探し求める。
    ▶▶▶結局”クリームタルト”自体は関係がない。

    「セルノグラツの狼」
    サキ(1913年)
    ▷▷▷古城といにしえの一族にまつわる不可思議な言い伝え。ある夜、それがついに現実のものとなる。
    ▶▶▶簡潔にして雰囲気たっぷり。

    「四角い卵」
    サキ(1924年)
    ▷▷▷ニワトリが四角い卵を産めるようになったあかつきには……。
    ▶▶▶”わたし”、”養鶏家の男”、”男の叔母”の三者がつくる正三角形。”戦場の食堂”、”塹壕の泥”も効いている。

    「スウィドラー氏のとんぼ返り」
    アンブローズ・ビアス(1874年)
    ▷▷▷刑場の露と消えようとしている友の命を救うため、やっと交付された恩赦状を握りしめ、男はひた走る。必ず間にあってくれるものと信じて。
    ▶▶▶ぼくのような方向音痴でもこれは、ない。

    「創作衝動」
    サマセット・モーム(1926年)
    ▷▷▷なみいる批評家たちを唸らせ、”当代随一”の名をほしいままにするのが閨秀作家ミセス・アルバート・フォレスターそのひとだ。しかしその夫というのは芸術などにはなんの関心も持たないただの凡人。自宅で開かれるサロンでミセス・アルバート・フォレスターは夫をかばい、引き立てようとするのだが、彼女の取り巻き連中はそんな夫に白い目を向け、陰では露骨に笑いものにするばかり。しかしある日、家庭内に一変事が出来する。
    ▶▶▶ある人物の真の姿が明らかになり事態が急転直下する。いかにもモームらしい。

    「アザニア島事件」
    イーヴリン・ウォー(1932年)
    ▷▷▷アザニア島にて。独身男子たちの関心の的だった令嬢プルネラ・ブルックスが原住民の山賊に誘拐され、高額の身代金が要求されてきた。
    ▶▶▶”ケニアの債権者から逃げてきたうさん臭い男”といういびつなピースが最後にピッタリ収まる。

    「エミリーへの薔薇」
    ウィリアム・フォークナー(1930年)
    ▷▷▷孤独の中で生き、孤独の中で死んでいったミス・エミリー・グリアスン。彼女が死ぬやいなや、詮索好きな「われわれ町のものたち」は彼女の家に押し入り、彼女の秘密を暴き立てようとする。
    ▶▶▶このひと(ウィリアム・フォークナー)のは、謎というより狂気だ。

    「さらばニューヨーク」
    コーネル・ウォーリッチ(1937年)
    ▷▷▷犯罪者カップルの道行き。疑心暗鬼に苛まれながら、人目を避けて逃げまどう日々。
    ▶▶▶この作家(ウォーリッチ/アイリッシュ)独特の軽さだけはどうにも好きになれないなぁ。

    「笑顔がいっぱい」
    リング・ラードナー(1928年)
    ▷▷▷人気者の気のいい警察官が交通整理中、スピード狂の美女と知りあいすぐに意気投合する。
    ▶▶▶「若くて天真爛漫な女の子が主人公の男の心をとりこにするのだが突然その子が事故かなんかで死んじゃう系」のお話。

    「ブッチの子守歌」
    デイモン・ラニアン(1930年)
    ▷▷▷赤ん坊をかかえたまま金庫破りをするハメになった強盗たちの奮闘を描く。
    ▶▶▶「幸運の女神はより大胆な者に微笑みかける」というが、こいつらあまり調子に乗らないほうがいい。

    「ナツメグの味」
    ジョン・コリア(1941年)
    ▷▷▷新入りの研究員がふたりの先輩研究員を自宅に招待してもてなす。
    ▶▶▶善意に満ちた先輩研究員の設定がいい。それと”ジョージアフリップ”という奇特なカクテルを持ってくるのも。(ぼくはまだ飲んだことがない。)

  • 冒頭を飾る短編「霧の中」の退屈極まる長々しさや、その後に続く作品のいずれ劣らぬ薄味さなどの数々の不満を、一篇の短編が帳消しにしてくれた。
    それは、フォークナーの『エミリーへの薔薇』だ。
    思いもかけぬフォークナーとの出会い、それも、かの「ヨクナパトーファ・サーガ」中の一篇だ。
    力強い、硬質な文体で描き出される鉄灰色の髪のエミリーが、孤立無援でなんの権力も持たぬ老女が、町とコミュニティを相手に傲然と対峙し、一歩も引かない、その圧倒的な存在感。
    面白い!
    そうか、これがフォークナーか。
    小森収さん、ありがとう。
    よくぞ選んでくれました。/


    サートリス大佐が町長だった頃は、彼の裁量で町税を免除されていたエミリーにも、時代は移り、納税通知書が送られてくる。一向に納税しようとしないエミリーの家を町の代表団が訪れる。

    【彼女がはいってくると、一行はおのずと立ちあがっていた。黒ずくめの服を着た、小柄だが肥った女性で、変色した金の握りのついた黒檀の杖をついている。首からは細い金鎖が一本、ウエストのあたりまでたれ、その先はベルトの下に消えている。体つきは小づくりで、なんとなく寸の詰まった印象。

    ー中略ー

    彼女は一同におかけなさいとも言わなかった。ただ部屋の戸口を一歩はいったところに立ち止まったきり、一行ちゅうのスポークスマンが口上を述べるのを、黙って聞いているだけだ。
    (略)
    ようやく口をひらいたとき、彼女の声はかさかさして、冷ややかだった。「わたしがジェファースンの町に払わなきゃならない税金なんてありません。(以下略)」】(ウィリアム・フォークナー『エミリーへの薔薇』)/


    さらに、併せて収録されている小森氏の評論「短編ミステリの二百年」の序章には、「『犯罪文学傑作選』とウィリアム・フォークナー」という項目があり、そこには冨山房の『フォークナー全集』の第十八巻には、彼の最初の短編探偵小説集である『騎士の陥穽』が、『駒さばき』の題名で収録されているとある。
    さっそく図書館で予約したが、これも思わぬ収穫だった。/


    序章で、小森氏が編集方針についてふれている。

    【本書は、江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』全五巻を引き継いで、その後の時代をふり返るのが目的です。この序章では、『世界推理短編傑作集』と同時代にあって、影の内角を形成するような一群の作品を読み返してきました。したがって、あの五巻の中に登場した作家は取り上げないという方針でやってきました。】(序章 『世界推理短編傑作集』の影の内閣)/

    なるほどここまで厳格な編集方針で編んだのか。
    この方針では、選ばれた短編たちにアメトークの「じゃないほう芸人のような匂いが感じられてしまうのもやむを得ないかも知れない。/


    だが、この短編集の白眉は、むしろ巻末の小森氏の評論の方なのではないだろうか?
    その中で、氏はアガサ・クリスティの「夜鶯荘」の素晴らしさに触れた上で、

    【クリスティの短編は、その大半が一九二〇年代に、おそくとも一九三〇年代前半までに書かれているようです。クリスティの三十代、デビューから十年というところです。
    ー中略ー
    『ポワロの事件簿』(略)『パーカー・パインの事件簿』(略)『おしどり探偵』(略)といった名探偵を主人公とした連作短編集は、どれもこの時期に書かれていますが、いずれも拙さが目立ちます。そのことは、比較的評判のよい『ミス・マープルと13の謎』(略)にもあてはまっていて、私には、この短編集が評価されるのが、よく分からない。ミス・マープルの思考法として、くり返し現われるのが、かつて似たような人を知っていたという発想ですが、この方式の推論は、強引にしか思えません。】(同上)

    と、書いている。/


    さらに、コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)にふれて、

    【謎を組み立て、小説として構成し、それを作中人物に魅力的に解明させるという、ミステリの基本的な段取りは、決して上手ではありませんでした。とくに解決の部分は、唐突な自白に頼ったり、警察が解決後に分かったことを説明する形をとったりと、安易なことがしばしばです。】/


    ウールリッチについてだけならまだしも、ミステリの女王クリスティにさえ刃を向けるというのは、自らの命を危うくしてまで権力者に対して、信ずるところを述べる(パレーシア)という、フーコーの言うパレーシア・ステース(パレーシアを行う者)の所業ではないか?
    この短編集、小森氏の評論を読むためだけにでも、読んでみる価値がありそうだ。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50171405

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