彼方 (創元推理文庫 524-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488524012

作品紹介・あらすじ

ジル・ド・レー元帥、十五世紀フランスに生きた悪魔主義の帝王。その城内で弄ばれ虐殺された小児の数は、八百を下らないという。死体美の品評会、屍骸を詰めた大樽の数々…四百年後のいま、作家デュルタルは彼の一代記を執筆しようとしていた。やがて作家の前に蘇る背徳の儀式、黒ミサとは!?世紀末フランス耽美派の鬼才が贈るオカルティズム小説、戦慄に満ちた稀代の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 再読。ちょうどゾラの短編集と並行して読んでいたので変な感じだった。師匠筋のゾラとの共通点は、性的な表現がわりと露骨なところ?(笑)

    昔読んだのはジルドレイに関する興味からだったのでその部分しか印象に残っていなかったのだけれど、今読むと、友達とお酒飲んで喋って、たまに人妻と不倫して、という作家の私生活面が延々描かれていることのほうに気をとられました。

    主人公デュルタルくんは結局不倫相手の人妻のつてで黒ミサにまで参加しちゃうのだけれど、あくまで好奇心から、作品に反映する必要性から、というスタンスなので、帰ってきたらケロっとして人妻と絶縁するのに手を焼いたりしている。現代まではびこる黒魔術怖い!という気持ちにはあまりならない。

    しかしやはり、ジャンヌ・ダルクと共に戦いながら、その死後あれほどまでの虐殺を繰り広げたジルという男の心理の変化というのは興味深いです。ユイスマンス自身は、「さかしま」や「彼方」を書いておきながら、最終的にカトリックに帰依したという反対のコースをたどっているのも面白い。

  • デカダンスの聖書といわれる『さかしま』の発表から7年後、ユイスマンスは、黒ミサ小説と異名をとる『彼方』を発表する。

    『彼方』における主たる興味は、2つある。

    ひとつは、この書物で語られる、ジル・ド・レへの興味。

    もうひとつは、ユイスマンスの悪魔主義、魔術幻想主義への傾倒の過程である。

    ジル・ド・レこと青髯と呼ばれることになる元帥が生まれたのは英仏百年戦争の最中である。
    ジルは、西フランスに広大な領土を持つ貴族の嫡男として生まれるが、両親を早くに亡くし、後見人の祖父が亡くなって、ますます莫大な遺産を相続する。

    当時のフランスの戦況は劣勢も劣勢で、狂王のシャルル6世の統治不能から国も乗っ取られかねない状況下であった。
    后の、イザボー・ド・バヴィエールは、息子は不義の子であるというような発言をし、6世亡きあと、のちのシャルル7世は王太子と呼ばれ、田舍貴族たちの擁護を受けつつ、シノン城に閉じこもっていた。

    そこへ、神のおつげを受けたというジャンヌ・ダルクという小娘が現れる。
    ただ見捨てられた存在に成り下がっていたシャルルにとって、この奇妙な田舍娘の出現は、物珍しい出来事であったに違いない。

    シャルルは、若い大貴族のジル・ド・レをジャンヌの護衛に当たらせ、ジルはジャンヌと共に出兵する。
    奇跡のような勝利戦が続き、オルレアンを解放後、ランスで王太子シャルルをシャルル7世として戴冠させる。
    戴冠を実現させてもジャンヌは、戦をやめようとしなかった。
    決定的な負け戦の前に、ジル・ド・レは姿を消したといわれている。
    しかし、囚われて火刑の決まったジャンヌを救おうとルーアンに乗り込み、その望みを果たすことができず、黒こげになるジャンヌをジルは目撃したとか。

    ジャンヌ・ダルクという少女は、聖性を纏っていたという。数々の奇跡や勝利を目の当たりにしたジル・ド・レは、ジャンヌとの日々をどのように過ごしたのだろう。

    ジャンヌが処刑されたあと、彼は自分の城に閉じこもった。
    そして聖堂を建てた。
    その聖堂は、ジョット、ルーベンスなど多くの画家も主題にして描いている、ヘロデ王の幼児虐殺によって殺された幼児の御霊を安らかにするために建てられたものだった。
    イエス降誕を恐れてヘロデは、ベツレヘムの2歳以下の男児を一人残らず殺させた幼児虐殺は、新約聖書の中でも悲惨さが特に漂う箇所だ。

    その聖堂に未成年の聖歌隊をおき、ジルは特に彼ら少年を可愛がったという。

    そんなジルが、なぜ、数多くの少年を惨殺するようになったのか。
    錬金術、黒魔術に興味を持ち、イタリア人の黒魔術師が城にやってきてから、黒ミサはますます、異常性を増し、幼児、少年を生贄にするようになったと言われているが、ジルはもともと男色者であったと言われており、儀式という意味だけではなく、少年を残忍な方法で殺害する時、性的快楽が伴ったのも間違いないようだ。

    ユイスマンスは『彼方』で、主人公をジル・ド・レの一代記を書く小説家として設定し、彼の筆を借りて、ジルの生い立ちから栄光、悪行、ジャンヌと同じ火刑で生涯を終えるまで
    を生々しく描いている。
    友人の医者、サン・シュルピスの鐘撞き夫婦(ユゴーの創造したカジモドとは全く違うキャラ)浮気な夫人などを登場させて脇を固め、
    ブーランをジョアネ博士として登場させている。

    ユイスマンスは『彼方』執筆の資料や情報を得るためにブーランに近づいたと、澁澤は『悪魔のいる文学史』のなかで述べているが、ユイスマンスのそういう傾倒の兆しは、たぶん『彼方』執筆以前に芽生え、ブーランとの交流によりより深まったといえるのかもしれない。

    ブーランに好意的なユイスマンスは、文中でブーランと敵対関係にあったガイタを叩き、ブーランが死亡した際は、フィガロその他の紙上で、ブーランの死因はガイタの呪いにあったと発表し、争いが繰り広げられた。

    ガイダが亡くなり、これらは終焉を迎えたが、その後、ユイスマンスは改宗し、宗教題材の作品を発表したのち、ベネディクト派の法衣を着て死去した。

    ゾラのエピゴーネンとして出発し、自然主義を捨て、『さかしま』で退廃的世界を構築し、『彼方』で魔術やオカルティズムにどっぷり浸かった作家は、ジル・ド・レとは違い、晩年は聖なる領域に近づこうとした。

    ジャンヌ・ダルクは火あぶりにされながら「イエス・イエス・イエス」と三度、主の名を叫んだと言われるが、悪魔への生贄と称して幼児少年を大虐殺したジル・ド・レは、火に焼かれながら「ジャンヌ・ジャンヌ・ジャンヌ」と叫んだという。

    聖なるものと悪魔的なものが交錯する時、必ずどちらかに勝負をつけたがる。
    すなわち、どちらにも近づきすぎるデンジャラス・ゾーンに足を踏み入れた作家がJ-K・ユイスマンスだと思えなくもない。

  • 『さかしま』を初読した際、全身の神経が沸々と湧き立ったのを覚えている。
    ユイスマンス文学の妙味を味わうと、あと戻りはできない、常にこの世界に浸りたいとさえ思わせてくれる、そこまで強烈な読書体験だった。
    構成の乱雑さや話運びのかったるさは相変わらずあるものの、『彼方』のうちにはジル・ドレと悪魔崇拝の儀式、この二つを執拗なまで丁寧な描写で描いているというデカすぎる魅力がある。
    近代オカルト芸術の重要作なことは間違いない。
    どんだけ調べたんだよ。
    アランムーアの作品とも通じるポストモダン性。

  • 別にあるゲームに関連して読んだわけではなし。
    「たまたま」この本を取っただけ。

    感情がまるでない、文章がパッキングされた感じの本。
    なのでこういう奇怪な文章が苦手な人には
    苦痛この上ないことでしょう。
    しかもストーリーはないに等しいと来た。

    ある文学界に背を向けた男が
    青髭という存在に惹かれ、
    それをテーマにする本を書いていた時に訪れる
    様々な人の出会い。

    時にそれは、狂信的に彼を愛すものに
    取り乱されることとなります。
    どうやらその女性はかなりの訳あり。
    その訳ありがゆえに
    関係は終わりを告げますが…

    この世は不条理ばかりなのだよ。
    人は堕ちゆくばかり。

  • ユイスマンスが世を去つてから110年。代表作といへば『さかしま』、そしてこの『彼方』でせうか。
    しかしなぜ『彼方』は、創元推理文庫に入つてゐるのか。いや、確かに同文庫には「怪奇と冒険」なる一ジャンルがあつて、その一冊として出版されてゐることは承知してゐるのですが、お陰で日本の読者には、本来の『彼方』が持つ味はひが伝つてゐないやうに思はれます。例へば白水社のUブックス辺りから出てゐるべき作品かと存じます。

    まあそれは良い。ユイスマンスはその生涯に於いて、何度か文学的な転向(?)を重ねてゐます。
    まづはゾラの影響下にある自然主義文学者として、次いでペシミズム漂ふデカダン派、そして悪魔的思想を背景に神秘主義に染まり(『彼方』は、この時代を象徴する作品)、最後はクリスト教に改宗してしまふ、といふ変遷を経てゐます。

    主人公の作家デュルタルは、中世フランスの悪魔主義者・ジルドレー元帥の評伝をを物するために、現代でも生きている悪魔崇拝の数数を探求します。
    ジルドレーとは、いかなる人物か。かつてはかのジャンヌダルクに協力して、オルレアンの戦ひにて戦果を挙げた功績などがあるものの、その後は錬金術や悪魔術に耽溺、果ては少年たちを拉致してはこれを凌辱・惨殺するといふ暴挙に出た人。被害者となつた少年の数は、800人ともいはれます。

    さういふとんでもない奴の一代記を書くために、友人デゼルミーや鐘撞のカレー夫妻などと交流したり、シャントルーヴ夫人との不倫関係を利用して、現在に残る黒ミサを見学したりします。エコエコアザラク。それは黒井ミサか。
    『さかしま』の主人公と違ひ、デュルタルはさういふ世界に首を突つ込んでも深入りはしません。あくまでもジルドレー伝記執筆のためと割り切つてゐるフシがあります。そのせいか、扱ふ主題の割には重苦しさや嫌悪感を感じず、悦楽と共に読み終へました。まあ個人的差異はあるでせうが。少なくともこの著者の作品中では、とつつきやすい一作と申せませう。

    デハデハ、御機嫌よう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-728.html

  • 縁あって読まずにいられなかったユイスマンス。

    解説もそうだし、松岡正剛の『さかしま』への批評など、レビューは充実している印象。
    自分の感想が陳腐なのが恥ずかしい。

    自然主義小説に違和を唱え、デュルタルが題材としたのは中世フランスのジル・ド・レイであった。
    ジャンヌダルクに献身的に仕えたとも言われる彼が、ジャンヌの死後、300人もの少年達を悪魔信仰の生贄とし、また自分自身の欲望のままにする。

    ジルの所業を追う内に、デュルタルは悪魔信仰への好奇心を得る。
    時同じくしてデュルタルに恋文を送ってきた人妻と関係し、彼女のツテを頼って遂に黒ミサに参加することが適う。

    このままズブズブと悪魔信仰に傾倒しちゃう?と思いきや、人妻とは縁を切り(というか満腹で)、黒ミサについてもそれ以上のめり込むことのないデュルタルであった。

    とまあ読み終えて、そっち側に行ってしまうのだと思っていたので、あ、違ったのかと(笑)
    神の御技、奇跡の種明かしがされる中、神を見放す者がいる一方で悪魔に魅入られる者は消えない。
    そんな荒廃した世界を、神はやり直してくださるだろう、と思えることもまた信仰か。

    ジルにしても、鬼畜極まりない大量殺人を犯して尚、贖罪によって救いの道が残される訳で。
    デュルタル、ひいては、ユイスマンス自身もその危うい魅力に心惹かれ、滅ぼされかけながらも、ジルと出会うことで赦しを得ようとしたのだろうか。

    なんにせよ、ユイスマンスはこの著作後、回心し、キリスト教と向き合うそうな。

  • 再読。
    『さかしま』と続けて読むと頭がぼうっとするような気がするw
    『さかしま』の衒学的な部分は主に芸術方面に向けられていたが、本作ではオカルティズムに向けられている。尤も主人公の態度は割と一線を画しているというか、ジャーナリスティックな眼差しでオカルトを見ていて、そこに溺れようとはしていない。この『地に足が着いている』感は『さかしま』の主人公には無かったもの(不倫も終盤でちゃんと精算してるしな~)。

  • 主人公はジル・ド・レイの生涯を執筆する作者
    なんかこんなの読んでたら賢くなるかな~程度で手に取ってしまいました。
    そういうんじゃ無いのね、黒ミサや悪魔主義、ジル・ド・レイに興味があれば面白いのかな~
    『さかしま』より入りやすかったです

  • 神の裁きも救いも忘れて生きている人々。腐敗している教会や司祭。そんな時代に絶望しながら生きる主人公の小説家は、遥かなる古きよき時代を想う。中世フランス。その時代には神秘主義や悪魔信仰があった。占星術、魔術、呪詛といった超自然的現象が起こった。人は神を敬い、時には恐れ、時には冒涜した。信仰心と背徳と倒錯が隣り合わせで存在していた。そんな時代が生んだ稀代の大量異常殺人者・ジル・ド・レイ。小説家は、ジルが見た神を、狂気を、快感を、神秘を、想像する。

  • ジャンヌ・ダルクの部下として戦い、若くして元帥にまでなった男
    というより
    恐怖!小児連続殺人祭り男!「青ひげ」の元ネタとしてのほうが有名な
    ジル・ド・レ公のお話。
    そこらにさほどロマンはなく、
    人間お金があると…それがなくなると、果てしなくバカになるねえ、というお話です!

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