こうしてイギリスから熊がいなくなりました (創元推理文庫 F-シ 10-2)
- 東京創元社 (2022年11月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488594046
作品紹介・あらすじ
まだ電灯もオイル・ランプもなかったころ、森を忍び歩く悪魔として恐れられた「精霊熊」。スポットライトの下、人間の服装で綱渡りをさせられた「サーカスの熊」。ロンドンの下水道に閉じ込められ、汚れを川まで流す労役につかされた「下水熊」。――現在のイギリスに、この愛おしい熊たちはいません。彼らはなぜ、どのようにいなくなったのでしょう。ブッカー賞最終候補作家が皮肉とユーモアを交えた筆致で紡ぐ、8つの奇妙な物語。
感想・レビュー・書評
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短編集だけど順番に繋がってはいる。熊たちの漫画のような行動はさておき、一部ノンフィクションのような気もする。タイトルから連想されるようなおとぎ話というよりかは、どちらかと言えば神話めいている。「イギリスの熊神話」的な。ひょっとしたら世界中の神話も、こうやってフィクションとノンフィクションをミックスして出来ているのかな…
とりあえず今掴めているのはこれくらい。あとは読んできた内容・情景が蜃気楼のように今も脳内でゆらめいている。自分の頭において、ここまでレビューに困る作品は久々かもしれない。
現にイギリスには野生の熊が生息しておらず、本書では彼らがいなくなるまでの経緯を時代ごとに辿っている。語りのスタイルが(恐らく)著者の想像に史実を加えたものであるため、神話めいて見えるのはそのせいかもしれない。
灯りが発達していなかった時代に夜の悪魔として恐れられていた「精霊熊」、人間の格好で危険なパフォーマンスを強いられていた「サーカス熊」、ロンドンの下水で雨水などを川に流す労役につかされていた「下水熊」など、本書では8種のイギリス熊が登場する。
全体的な印象としてはみんな賢くて、獰猛で、静か。
知恵が回り、時には非情に手を下す。ラスト2章の「夜の熊」「偉大なる熊」においては、どこからともなく現れ人間にすら気配を感じさせない静けさをたたえていた。こうやって振り返ると、彼らはグレートブリテン島にしばし降り立っていた神の化身とすら思えてくる。
化身でいうと、人間のフリをして生きていた「市民熊」が自分にとっては強烈だった。
そのシチュエーションはさることながら、何でそうなったのかが読んでも分からず…。思わず訳者あとがきと解説に助けを求めてしまった。(ある程度助けになったので、他のお話でも混乱した際はここに駆け込むことをお勧めしたい)
「市民熊」は終始潜水服に身を包み、素顔を見せなかったという潜水士(あるいは潜水熊?)ヘンリー・ハクスリーと、人間の相棒ジム・ストゥーリーの物語。潜水士をしながら、いったい彼は何を見てどう感じていたのか…。挿絵を参考にしても、潜水ヘルメットをされていては何も伝わってこない。
人間のフリをしていたというのはあくまで推測みたいだが、熊が熊で在れなくなった原因から考えていく必要がありそうだ。
昨年日本国内でも、熊が住宅街で発見されたり住民を襲撃するといった事件が多発していた。熊と人間との共生を巡って、人間同士の意見が対立する様子もメディアでよく報じられていた。
動物園くらいでしか熊に会ったことがない自分には何も意見が出せず、読後の今もどうすれば良いのか分からずにいる。
ただ一つ。
本書を通して伝わってきたのは、天下の大英帝国でも共生に四苦八苦していたこと。
国中から熊がいなくなるとはどういうことなのか…。そう思いを巡らす読者の心に影を落としていくことだろう。 -
「イギリスの熊たちが、愚かな人間たちによって古代から近代にわたり辿ってきた苦難を、シニカルかつ寓話的な語り口で描く八編のクロニクル 」(解説)。「精霊熊」「罪食い熊」「鎖につながれた熊」「サーカスの熊」「下水熊」「市民熊」「夜の熊」「偉大なる熊」。
訳者あとがきによれば、「現在イギリスには野生の熊が存在しない。それは熊が娯楽の対象としても食料や毛皮の原材料としても優秀だったために乱獲されてしまったことが大きな原因のようだ」という。イギリス人は、11世紀に熊が絶滅してしまった後もヨーロッパから熊を輸入して闘わせては楽しんでいたという(ブラッド・スポーツの流行)。一方でパディントン・ベアをはじめとして愛され続ける英国発の熊キャラクターたち。この本は「あまりにも悲しいイギリスの熊たち(Bears of England)に対する、ミック・ジャクソンなりの追悼や贖罪の物語、叙事詩ではないだろうか」とのこと。
人と熊の奇妙で不思議な関係は、まるで異世界に紛れ込んだような感じというのだろうか。訳者あとがきを読んでやっと納得した。本書に限っては、訳者あとがきを先に読むことをオススメします。デイヴィッド・ロバーツの挿し絵もよかった。
「リバタリアンが社会実験してみた町の話」(現代の熊が如何に賢く、人の手に負えない存在かを描いたドキュメンタリー)と重なるなあ。 -
とある本屋さんが紹介していて気になった。
熊と人が織りなす、八つの短い寓話。
熊と人と言えば、ふと思い出したのが川上弘美の『神様』だった。
テイストは全然違って、この作品では人のテリトリーを離れ、放浪する熊の哀しさが漂っている。
でも、熊という生き物が持つ、ぬぼーっとした感じは共通しているような、気もする。
神様のように畏怖されたり、ペットのように調教されたりする話から始まって。
サーカスで働いたり、下水道で暮らしていたり、人間とペアになって危険な「仕事」をするという、随分と人に近い描かれ方をしている話へと続く。
熊は人の言葉を持たない。
けれど、人の思いを解する。
そして、自らの意志を暴力として振るう以外に、伝える術を持たない。
そして、この本では、熊は去っていくだけなのだ。 -
片手で癒される文庫本、大人の絵本。
イギリスと熊の関係、熊は絶滅していたとは・・・。
イラストの熊も日本のイメージとはかなり違う。
お話とイラストがシンクロして、おとぎ話のようでもあり、イギリス社会の風刺でもあり、明治期日本文学の幻想物にも近い。
挿絵のミック・ジャクソンの作品にとれも惹かれた。
子ども向けに書かれたものとは、ちょっとテイストが違うようだ。 -
イギリスが生み出した(^(エ)^)キャラは有名なのに、この国では11世紀には野生の熊は乱獲により絶滅、動物虐待ショーをするために熊を輸入していたそうだ。
そもそも人間が生み出したキャラクターたちとその生態とにこれほどギャップが激しい動物も珍しいのだが、本書に登場する熊は、熊本来の野生と我々が熊に感じる独特の神秘性を備え、8つの話に見事に収められている。(ちなみに私のお薦めは「下水熊」)
短編集ではなく、串刺しで読まないと意味がない。
話(時代)の順に、熊たちは森から町に近づき、聖性を失い、人に虐げられるようになる。いつも彼らに言葉はなく、荒ぶる野生を抑えながら運命と諦めるがごとく哀しく生きるが、チャンスを得ては逃げる。話を追うごとに人間社会に紛れ込んでいるのだが、また逃げ、最後は・・・。
イギリスの熊は絶滅したのではなかった。人間が愚かで滑稽な生き物であることを、こんな描き方で表現できるなんて!
可愛くないデイヴィッド・ロバーツの挿絵も味わい深い。クマチャンは可愛くなくていいのだ。 -
タイトルどおりの結末へ導かれる八篇。
挿絵があるので、奇妙なお伽話のような読み心地でした。
どうして熊が愛されるのか。人間性を見出そうと試み続けられ、古今東西あらゆるキャラクターになっているのか。
考えてみると確かに不思議です。 -
タイトルと表紙の絵に惹かれて借りた本。イギリスという国は、熊を絶滅させてしまった国なんだな。
表紙の絵の話は人も熊もお互い何も悪意はないのに、いや寧ろ信頼関係で結ばれていたのに、身体的理由のために、人が砕かれてしまう話。これは悲しかったな。 -
文学とか漫画での熊の表象に興味をもって手に取った本なので、訳者あとがきでの、イギリスにおいて熊を取り巻いていた状況の解説と、作者の姿勢を考察しているくだりになるほどなあとおもった。とりわけ前半の作品では、熊を「わたしたち」(便宜上)の風刺のために擬人化するだけでなく、熊をそんなふうにまなざす「わたしたち」とは何かというメタ的な視線が前景化していたようにおもう。後半は話の軸足が「わたしたち」から熊に移った印象がある(特に最後の2篇)けれど、熊を共感の対象として描くのではなくて、あくまでも異質な存在であるとした上で熊にとっての解放を書く、というのが一貫している。訳題は『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』で、他者との差異によってアイデンティティが規定・確認・強化されていくのだとすれば、熊という他者を失った「わたしたち」のアイデンティティ自体も失われるのかも。
確かにクマと聞くと北のイメージがあります!
関門海峡なら潜水熊くんでも難しそうです汗 なるほど、、クマモ...
確かにクマと聞くと北のイメージがあります!
関門海峡なら潜水熊くんでも難しそうです汗 なるほど、、クマモンは特にウェルカムですね♪