雑食動物のジレンマ 下──ある4つの食事の自然史

  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492043530

作品紹介・あらすじ

完璧な食事とは何か?トウモロコシ農場から、食品科学研究所、肥育場、有機農場、狩猟採集の森までを追い、私たちがいつも口にしている食べ物の正体が明らかに。-そして、最後にたどり着いたシンプルな問いへの驚くべき答えとは?ジェームス・ビアード賞最優秀賞(食関連著作部門)、カリフォルニア・ブック賞(ノンフィクション部門)、北カリフォルニア・ブック賞(ノンフィクション部門)受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • ハリーポッターシリーズの翻訳家、松岡佑子さんが教鞭をとっていらしたモントレー国際大学院。田丸公美子さんと米原万里さんの著書にすっかり興奮し、十代の頃から憧れていた同時通訳において最高峰の訓練機関を目指そうと心に決めたのです。先日友人とオープンキャンパスに赴き、そこでお会いした、日英英日通訳の指導をされているラッセル秀子先生の訳書ということで「雑食動物のジレンマ」を知りました。とても興味深い本だったのですが、何をもって翻訳をされた先生に堪能致しましたと感想をお伝えすればよいものかと思案にくれております。

    「夕食は何にしよう?」雑食動物ゆえに何を食べればいいのか迷ってしまう。本書はこのシンプルでありふれた問いへの、複雑で長い答えです。

    私たちは自分が口にするものについて一体何を知っているのでしょうか。つきつめると、私たちが食べているものは何か、それは一体どこから来たのかという、さらにシンプルな二つの疑問が浮かんできます。探究心と好奇心の赴くままに食の本質を探る旅にでたジャーナリストの著者は、手段を最大限に合理化し、穀物や家畜を巨大な規模の単一栽培・飼養で生産することで成り立っているアメリカ食品産業の現実を目の当たりにします。

    食物を効率よく手ごろな価格で提供するために発達した技術は、今や人間の食べるという日々の行為を、自然界の一部を肉体と魂に変換する営みからすっかり切り離してしまいました。雑食動物の食を巡る調査は、地球最大規模の工業的農産物であるトウモロコシの流通に始まり、オーガニック野菜の生産や牧草農業の現場を経て、狩猟採取の体験、そして元来の食物連鎖に完璧に基づいた食事の実践にまで及びます。著者の熱意が伝わる長編です。

    アメリカで生活していると、国民総摂食障害という表現もあながち誇張ではないように思えてきます。気の毒なほどに肥満している人を見かけるにつけてもそうですし、とにかくアメリカでは食に関するすべての選択が混乱のもと。控えるべきは脂肪か炭水化物か。三食しっかり食べるか少しずつ何食も食べるか。ローフードか調理済みか。オーガニックか工業食品か。肉を食べるか菜食主義かそれとも絶対菜食か。スーパーの棚は食品の特殊性を示す奇抜なラベルでいっぱいです。サプリメントが健康なダイエット食品だと考えられ、食事の二割が車のなかで済まされ、小学生の三割以上が毎日ファーストフードを口にするという統計もあります。

    本書はアメリカの読者に向けたものですが、日本人にも共感できる内容です。「健やかで幸せな食生活」 の概念にとり憑かれ、数年ごとに新しく発見された栄養素を崇めたかと思えば、他の栄養素の魔女狩りを行うマスコミ、ジャーナリストに食品の出どころを調べてもらい、栄養士に食材を選んでもらおうと奔走する人々、楽しみや伝統という昔ながらの知恵をもとに食卓を囲む機会の減ってしまった家庭、常識もしくはインチキを書き連ねただけのダイエット本が氾濫する様子は、とても他人事とは思えませんでした。

  • 雑食動物のジレンマ=雑食動物は、何でも食べられるが、危険なものを避ける能力が必要。
    単色動物は、危険なものかどうかを見分ける必要がない。
    雑食動物のほうが高度な脳が必要。
    甘さへの偏向、嫌悪感が生まれる要因。
    調理によってタピオカのシアン化物がなくなる=人間が独占できる。
    料理のルールは雑食動物のジレンマと折り合いをつけている=生魚とわさび、熱帯地方の抗菌性のあるスパイス、など。

    家畜は、人間との両立作戦。自然界で生きるすべを失った。野生の祖先は衰えた。
    パイソンは狩猟によってつくられた=人間から身を守るために集団で行動するようになり、角が邪魔になって退化した。
    全員がビーガンになっても、動物保護になるかはわからない。
    肉食を止めることは、これまで以上に化石燃料と化学肥料に頼ることになる。
    嫌悪感は、雑食動物のジレンマを潜り抜ける手段として発展した。

    完璧な食事は不可能に近い。

  • なんとなく食べている日々の食事を改めて問い直したくなる本。

    アメリカに住む人達が日々どのような食事をとっていて、その食事はどうやってやってきたのかというところに目を向け、食事として届くまでの過程を丁寧に追っている。
    アメリカの食生活に比べれば自分はまだちゃんとしたご飯を食べていると思ってほっとしてしまうが、食べているものがどこからきたのかということを気にしたことがなかった。スーパーの精肉コーナーには安い肉と高い肉があることは認識しているが、なぜ価格が違うのか、産地はどこなのかなんて全く見ていなかった。

    現代人がものを食べるまでに何が起こっているのか改めて考えさせられる。

  • ノンフィクション

  • この本は3部構成になっており、工業製品のような食品(トウモロコシを原料としたもの)、有機食品、自力で入手した食品について語られている。農家、食品加工業者、穀物業者をを含めた米国の「食」について克明に記録されている。記述は科学的かつ論理的だが、第3部は趣味的出来事の描写がほとんどで、不要だったと考える。印象的な記述を記す。
    「ワインをがぶ飲みし、チーズをむさぼるフランス人は、心臓病も肥満の率もアメリカ人よりも低いことが、食の通説を混乱させている」
    「アメリカの飼い犬の半数は、今年のクリスマスにプレゼントを受け取るはずだ。一方、犬と同じように知能の高い豚の一生について考えてみる人は少ないだろう。そして豚はクリスマスに、ご馳走のハムとして食されるのだ」
    「個々の鹿にとって狼は残忍かもしれないが、群れとしての鹿全体の幸福は、実は狼にかかっている。捕食者によって淘汰されなければ、鹿は生息地に氾濫し、飢えることになるだろう。鹿だけではなく、鹿が食べる草や、その草に依存するほかのすべての種に影響が出てしまうだろう。ある意味で、狼の良い生活や、補色の試練でつくられた生き物としての特徴は、狼にかかっているのだ。同じように、鶏の幸福は人間という捕食者の存在にかかっている。個体としての鶏は違うかもしれないが、種全体としての鶏はそうなのだ。鶏を絶滅させる確実な方法は、鶏に生活の権利を与えることにある」

  • "普段、お肉を食べるときは、切り身になっている。その切り身になる前、の姿を想像することなくおいしく食べる。
    この本では、切り身になる前の牛、豚、鶏を描くことで、私たちが食べる食事は、多くの生き物がかかわっていることを改めて考えさせられる。
    そして、自然の摂理にかなった循環型の食生活を送るには、現在の生活を根本的に変えないと不可能なほど、工業化した毎日が横たわっている。何がよくて、何が悪いかという視点ではなく、何も考えない日々に渇を入れてくれたのが、この本だ。
    シンプルな導入文にすべてが込められている。
    夕食は何を食べよう?
    この問いを深く深く掘り下げたのが本書であり、この上なく楽しめる読み物でもある。"

  • 上巻よりこの下巻から読んだ方がのめりこめるかもしれない。やや学術・社会問題の観点から工業化された食ビジネスを掘り下げる上巻に対して、下巻は著者自ら食料を得る試みにトライする内容。それに際して生じる動物を殺して肉を得るという行為に対する道徳や倫理などの内面からのアプローチが面白い。

  • 著者を含め、一般的な食事をする人が口にする食べ物がどう処理されて、どこから来るのか-を巡る旅の本。その下巻です。

    この旅を通して、ファーストフードやス―パ-で販売している加工品など工業的に作られた食べ物と、オーガニックやスローフードなど生産者の顔が分かり、環境に負荷をかけないという哲学のもとで作られた食べ物はどう違うのか?を著者は問いかけます。

    下巻ではいよいよ、著者は狩猟を自ら手掛ける決意をします。猟銃を扱う資格を取って、森へとワイルドピッグ狩りへ出かけ、知り合いのシェフとともに解体、加工することになります。

    さて、動物を打ち殺すことが惨いと思うのか、工業製品のように、人知れず1日数百頭も肉牛が機械的に殺され解体されパック詰めの牛肉となっている事実に目をそむけて、誰がどこでどのように処理されたのか分からない肉を食べることと、本当に惨いのはどちらなのか?

    少なくとも猟では、無駄な殺しはしない。そして解体した肉や骨も利用できる物は全て利用し、無駄にしない。もちろん何千キロも離れた場所へ輸送するようなエネルギーの使い方もしない。地元で処理し、食べる。そこには自然と自ら葬った動物への感謝の気持ちがわく。著者は本書で、猟で失敗した面白エピソード(絶好のチャンスに銃に弾を込め忘れていた)なども加えながら、このような体験を、偉そうに主張することも、こうした生活を営むべきだと強制もすることなく、ただ自分が経験したかったことをやってみせ、思ったことをつづっている。

    狩猟の後はキノコ狩りに出かける。キノコは無知の状態で口にすると大変危険な食べ物であるため、一般的な生活では経験できない、死と隣り合わせの収穫物であることから、食材にわざわざ選んだようだ。無知でも失敗しないスーパーでの買い物と比較すると、それを得るための緊張感が違う。

    最後に、この旅で得た肉やキノコ、野菜などを著者自らが、彼に協力してくれた人たちを自宅に呼んでふるまわれるところで物語は終結する。

    安いものには、含まれていないコスト(低賃金労働、環境の悪化、エネルギーの無駄使いなど)がかかっているということは、私も知っていますが、それを自ら経験してまで体験してみせる人は初めてでした。

    偽善者ぶってオーガニックはよいと主張するのではなく、自ら葛藤しながら、本当に打ち殺したことが正しかったのか、食べ物を食べるには動物を殺さないといけないことに対する気持ちの整理の付け方などがつづられている部分は下巻の大きなテーマです。

  • 著者は、食や農に関して鋭く問題を指摘し続けるアメリカの著名なジャーナリスト。雑食動物たる人間は、何を食べるべきなのか?という問いに答えるために、食の流れを大地から食卓まで追跡取材する。国際・園芸をともに考えられる好著。 (松村 教員)

  • 3

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト、活動家。ハーヴァード大学英語学部でライティング、カリフォルニア大学バークレー校大学院でジャーナリズムを教える。
著書に、国際的にベストセラーになった『雑食動物のジレンマ』(東洋経済新報社)、『人間は料理をする』(NTT出版)、『欲望の植物誌』(八坂書房)、『幻覚剤は役に立つのか』(亜紀書房)など。『人間は料理をする』『幻覚剤は役に立つのか』はNetflixのドキュメンタリー番組となり好評を博す。
人類学、哲学、文化論、医学、自然誌など多角的な視点を取り入れ、みずからの体験を盛り込みながら植物、食、自然について重層的に論じる。 2010年、「タイム」誌の「世界で最も影響力を持つ100人」に選出。受賞歴多数。

「2023年 『意識をゆさぶる植物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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