- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492046326
作品紹介・あらすじ
「思えば遠くへ来たもんだ」という歌があるが、
まったく「思えば長生きしたもんだ」である。
太宰治は「生れて、すみません」とか「恥の多い生涯を送って来ました」
と言っていたが、私にもその感がある。
フーテンの寅さんのせりふに「それを言っちゃあおしまいよ」というのがあるが、
私はいまもその「おしまい」ばかりやっている。
夜は自己嫌悪と自責の念で七転八倒、身もだえしている。
講演の時に「ペンネームの童門は、ろくなことをしないので、
ドーモスイマセンの意味です」と言って笑いを取っているが、
そう言いながら「本心だ」と思うことがしばしばある。
そういう繰り返しをしながらも私がしぶとく生きてきたのは、
「いてもいいだろこんな奴」と、反省のたびにつぶやいてきたからだ。
***
本書は、90歳になっても「生涯現役、一生勉強」をモットーに
作品を書き続ける歴史小説家が自身の体験をもとに描いた、
年をとるほどに人生が楽しくなる痛快エッセイです。
ワイシャツの袖のボタンをはめるのに20分かかる。
前立腺肥大、白内障、脚力の衰え…、カラダのほうも不調が続く。
後期高齢者ってつらいなあとつぶやきながらも、
歴史だけでなく、市井の人々からも学び続ける「生涯現役、一生勉強」の姿勢に、
後期高齢者でなくても、毎日をたくましく生きるヒントがもらえます。
「生涯現役、一生勉強」──、学ぶことがあるから人生は面白い。
感想・レビュー・書評
-
90歳までは、まだかなりあるけど以前講演をきいたり、鷹山の本を読んだりしたことがあったので読んでみた。相変わらず、切れのいい年齢を感じさせない人生学だった。見習いたいものだ。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
瀬戸内寂聴みたいな浮世離れしてて説教じみた内容かなと思いきや割と現実的でしっかりした内容かなと感じた。
あまり響いてはこなかったけど。
基本学者なのかな、この人。 -
1927年生まれ、童門冬二(どうもん ふゆじ)著「90歳を生きること」、2018.11発行。生涯行うべき一文字は「恕(じょ)」だとか。相手の身になってものを考える優しさや思いやり、素晴らしいですね。私もほんの時折、相手の身になって考えることもありますがw。90歳になって、指の神経が鈍化、ワイシャツのボタンをはめるのに20分。手のひらも弱くなり拍手しても音が出ない。ネクタイが結べなくなる。脚力が弱まり外に出ようという気力がなえた。いろんな健康法をされているようです。手足のグーパー、手足の握手もされてるようです!