- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492444795
作品紹介・あらすじ
疫病と戦争で再強化される「国民国家」はどこへ向かうのか。拮抗する「民主主義と権威主義」のゆくえは。希代の思想家が覇権国「アメリカ」と「中国」の比較統治論から読み解く。アメリカにはアメリカの趨向性(あるいは戦略)があり、中国には中国の趨向性(あるいは戦略)がある。それを見分けることができれば、彼らが「なぜ、こんなことをするのか?」、「これからどんなことをしそうか?」について妥当性の高い仮説を立てることができる。それがこれからこの本の中で僕が試みようとしていることです。(第1章より)アメリカと中国というプレイヤーがどうふるまうかによって、これからの世界の行方は決まってきます。僕たち日本人にできることは限られています。直接、両国に外交的に働きかけて彼らの世界戦略に影響を及ぼすということは日本人にはできません。日本自体が固有の世界戦略を持っていないのですからできるはずがない。できるのは、両国の間に立って、なんとか外交的な架橋として対話のチャンネルを維持し、両国の利害を調整するくらいです。それができたら上等です。とりあえず僕たちにできるのは観察と予測くらいです。この二つの超大国がどういう統治原理によって存立しているのか、短期的な政策よりも、基本的にどのような趨向性を持っているのか、それをよく観察して、世界がこれからどういう方向に向かうのか、どのような分岐点が未来に待ち受けているのか。(第1章より)
感想・レビュー・書評
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街場の米中論
内田翁の新刊。出版イベント?ではないものの、直近の隣町珈琲のイベントでも言及されており、今後を占う上での指針となる。
米中いずれにも、政治的な意思決定の基盤となるような歴史的趨向性(無意識)のようなものがあり、そうした趨向性を捉えるための内的葛藤や歴史的な動きがあり、そうした内容を読み解くものである。
米中論はさながら、組織にも個人にも当てはまる内田翁の私見にもやはり唸らされた。
また、今回の読書体験は、内田翁の思考の癖を読むことができた、うれしいこともあった。P94で、自由と平等の話が出た際に、食い合わせの悪い二つを接ぎ木するものとして、博愛/友愛をフランスはもちだしたのではないか、さらにその博愛の精神とは、アダムスミスの言うempathyや、中国における惻隠の情にも近い、倫理的な呼びかけではないかとメモしていたが、まさに自分が思い、書いたことが終わりにの部分でそのまま書かれており、非常に驚き、そして喜ばしかった。
「深い葛藤を抱えている人間は定型に居着かず、一度崩れた後も復元力が強い。逆にシンプルな信条を掲げて、どんな局面でもすぱすぱと決断を下し、内的葛藤のない生き方をしている人間は、短絡的には効率的な生き方をしているように見えますが、成長がない。そして、一度崩れるともう立ち直れない。」
ここが個人的には米中論のハイライトであると感じる。
前者はまさにアメリカそのものである。アメリカは理念においても、自由と平等という食い合わせの悪いものを掲げ、そのせめぎ合いの中で常に葛藤をしてきた。無論、自由に偏る面もあったが、それでも国内に平等の流れを内包してきた。さらに、地理的にも政治的にも各州の自治を認め、その合衆国としての矜持と葛藤を持ち続けてきた。そして、まさにそれゆえに現在でも唯一の覇権国家としての立ち位置を持っている。
一方で、中国は習近平の一党独裁体制により、局所戦(コロナ対応)では強いものの、やはり内面に大きな問題を抱えている。無論、中国は平等に重きをおいている政治システムであるが、実のところ党員とそれ以外、都市と農村の格差、さらには一国二制度における資本主義の部分的な流入による経済格差、さらにはマクロトレンドとしての人口減少といういくつかの爆弾を抱えている。
その行く末は、非常に面白い。
また、こちらもマルクスの引用で、以下の文章も非常に含蓄がある。
「生きている者たちは、ちょうど自分自身と事態を変革し、いまだになかったものを創り出すことに専念しているように見えるときに、まさにそのような革命的危機の時期に、不安げに過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前やスローガンや衣装を借用し、そうした由緒ある扮装、そうした借り物の言葉で新しい世界史の場面を演じるのです。」 -
内田節全開。納得してスッキリしてもっと知りたくなる。内田先生は「大人」ですね、
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内田樹はアメリカの自由を繰り返し語り、トクヴィルに何度も立ち返る。
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筆者はあとがきで何度もした話しと言っているが、自分にとっては新鮮な内容が多かった。
・食い合わせが悪い「自由」と「平等」
フランスは、平衡を取るため(?)、「友愛」も入れた
・常備軍を認めていない合衆国憲法
・マルクスとリンカーンに交流があった
・リンカーンの再選にマルクス(第一インターナショナル)が祝辞を贈り、リンカーンが謝意を返していたこと
・マルクスはテキサスにホームスデッターとして来ていたかも
・マーク・トウェインがアメリカ共産党の原始
・アメリカ人は最悪を描くことを非難しない
日本人は非難する -
著者自身が書かれている通り、これまでの著書とも、また本書の中でも重複が多かったかな。
その中では、今後の方向として「米中露のいずれも国力が弱まっていき、自分たちの思い通りにならない」、そのため「不愉快な隣人が増えていく、その現実と折り合いをつけなければならない」という趣旨が印象に残った。
世の中ではこうやったらうまくいくと一刀両断するような勇ましい論調がもてはやされ気味だが、そんな簡単なことはない。惑わされないようにしないといけないな。 -
米中論のタイトルから、アメリカと中国について、特に米中対立、台湾問題、などが中心になっているかと思って読み始めた。
アメリカが8割、中国論が1割、米中関係が1割位の印象だろうか。初めにでもあるように、ほとんどが米国論であろうか、解決不能な自由と平等については非常に興味深い点が多かった。平等と言うのは、公権力が市民の自由に介入し、強者の権利を制限し強者の富を税金として徴収し、それによって弱者を保護し、貧者に分配することによってしか実現しない。市民を自由に競争させていたら、そのうち平等が実現すると言う事は絶対に起きません。自由の国アメリカが、世界有数の格差社会の国である事はよく言われている通りです。
それでは翻って中国はどうなのだろうか、凄まじい経済格差の社会である中国で、国民の不満が抑制されているのは、自分にもそのうち冬になるチャンスが巡ってくると言う期待があるからだと言う説明には説得力があるが、この期待が維持されるためには、中国はこれから豊かになり続けると言う成長の保証が必要である。
中国は共産主義の国であるが、日本の方がより共産主義的であるとよく言われている。では、中国において現在の様々な矛盾の解決策は、中国を共産化することというのが作者の結論。平等を達成すると言う事は、権力を持ち、富裕である人々が私権の行使を抑制し、私財の相当部分を吐き出して、それを公共財として供託することなしには実現しません。中国で権力者たちが日常的に行ってきたのは、公権力を私的用い、公共財を私財に付け替えることでした。共産党は倫理的に潔白でなければならない腐敗キャンペーンの行く先はどこへ向かうのであろうか学習塾の廃止も、共産化の一旦であり、青少年のゲームできる時間の制約も、アヘン戦争前のアヘンと同様に考えることができると言う指摘には納得した。 -
東2法経図・6F開架:302.5A/U14m//K