- Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532167080
作品紹介・あらすじ
勝者の裁きだけでなく、敗者の反論も残されている国立公文書館資料は全国民必読の「歴史の書庫」。感情論も政治的解釈も越えて、史実で史観のゆがみを正す時。判決後60年、遂に現れた原資料昭和の戦争史はここから始まる。
感想・レビュー・書評
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これまで閲覧が難しかった裁判資料なども基にした解説と鼎談。裁判過程に数々の疑問点があることは認めつつ、東京裁判にあたって収集された資料により発見された歴史的事実があるという歴史的意義を見出すという内容。
半藤一利の話で、終戦間近の陸軍の反乱を描いた、「日本のいちばん長い日」の演劇か何かを観に来ていた当事者たちが、「まだあのことは知られていないようだ」というような意味のことを話していたのを聞いたことがあるというのは興味深い。
松岡外相は、オットー独大使との会談において、蒋介石との和解を提案されるも、「徹底的にやっつけなければならない」と主張。また、日ソ中立条約調印時に、対独戦勝利のために日本を戦争に引きずりこみたかったはずのチャーチルによる、「日本は、英独戦の帰趨が判明するまで結論を出さない方が良いこと。また、米英海軍に勝ち目はあるか。これらを考えれば、英国との提携の必要がわかるでしょう」という申し入れについても、聞く耳を持たなかった。日本の事情があるにしろ、敵味方(?)双方の穏便な提案をこうも頑なに否定してしまうと、日本が、最後まで戦争回避を望んでいたという主張も説得力が弱まり、心象がよくない。こういう雰囲気が当時あったのだろうか?
太平洋・豪州・中米をも帝国領土とする、まさに世界の半分を日本が支配しようとする「大東亜戦争に依る南方占拠諸地域善後処理方策大綱」の中の「大東亜共栄圏における土地処分案」。もちろんこれは国策ではなく、軍の一部で作成された資料だが、「欧米植民地支配からのアジア解放」という大義名分が霞む代物であった。
指導者たちの国際法感覚の欠落。日露戦争の開戦の詔勅には「国際法にもとらぬように行動しろ」という意味の言葉があるが、太平洋戦争の開戦の詔勅では「国際法を遵守」という文言を、東条英機が削ってしまった。また、東条英機は、捕虜収容所において、「捕虜を使役せよ」という訓令を発しているが、捕虜の待遇は国際法で保障されるはずだった。確かに、当時の日本は捕虜に関するジュネーブ条約を批准していなかったが、だからといって条約から大きく外れる行為が国際的に許容されるはずもなかった。
東京裁判では、真珠湾攻撃は、騙し討ちとは認定されなかったというのは初めて知った。
捕虜は、一般的には、栄養面では、国民より恵まれていた。しかしそれでも、国際的な基準からは後退しており、非難の的となった。
荒木貞夫元陸相と、英国の劇作家、バーナード・ショウとの会見録
ショウ「欧州大戦以後、戦争は国民戦争となり、ガスなどが使用されるまでにいたった」
荒木「実に恐ろしいことだ。もしガスを使うなら、これを吸えばたいへんよい気分になって半年なり眠る、しかし目を覚ませば闘争心など霧散して平和な世界になって皆笑っている、こんなガスを作ればよいと考える」
松井石根は教誨師に「(南京戦の)慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった、と。ところが、このことのあとで、皆が笑った。甚だしいのは、ある師団長のごときは、'当たり前ですよ'とさえ言った」と語った。
日中友好を望んでいたという内容の遺書もあるが、彼自身は、部下の南京虐殺のかどで、殺人の訴因で死刑となってしまった。
戦後の、国をあげての文書焼却が、被告人の弁護を困難にした。
東京裁判については、日本人として、もの申したいこともたくさんあるけど、同時に、受け入れなければならない事実というのもたくさんあったな、というのが、読み終わった後の印象。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日経の連載記事に加筆し纏められた一冊。
東京裁判について、肯定的にも否定的にも軸足を置かず、只管史実として追いかけた良書。
A級戦犯の定義は一般に云われるものとは違うことや、判決文でパールハーバーは奇襲ではない、と明確に断じられていた件など、ハッとする読者も多いのでは?
持論だか、学校の歴史教育は近代史から遡るべきだ。土器の名前なんぞ覚えてる場合ではない。 -
国立公文書館蔵の東京裁判関連資料を紹介し、それについて著者が鼎談するという形式をとっており、読みやすい。しかし、保阪・半藤は先の大戦に関する現存の代表的著作者だと思っていたら、結構びっくりするようなことを言っている。所詮研究者ではなくジャーナリストあがりということ?
戦犯のA~C級の「級」について、保阪が「もともとの原文は「クラス」、あるいは「カテゴリー」なのかなあ。」(知らないのか!?)と言うと、半藤が「原文を見なければわからないけれど、クラスでしょう。」(原文を見たことないのか? しかもホントは「カテゴリー」だし)と応じる(p.119)とか。国立公文書館のサイトで史料の全文(もちろん全資料のではないが)が見られることを知らない(p.344)とか。
それに、感情論を排して虚心に読むとうたいながら、ぜんぜんそうじゃないんだよね。(東京裁判で、西欧の帝国主義に異議申し立てしてほしかったとか、東京裁判批判(異なる法体系を適用されたこと)してほしかったとか、連合国側の戦争犯罪を告発してほしかったとか。(心情的にはそりゃそうだと思うが、著者らの心情的願望ありありで・・・。)) -
(まだ読んでる最中なので)
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A級 平和に対する罪 B級 通例の戦争犯罪 C級 人道に対する罪 A級戦犯=最大の責任者という理解は正しくない A,B,Cというのは分類の記号にすぎない 人道に対する罪はナチスのユダヤ人虐殺を想定したもの 日本書紀の「奄八紘而為宇」(奄に手へん)(あめのしたをおおひていえとなさむ)により、世界を一つの家とする意味。大東亜共栄圏建設のスローガンに使われた 米国が重視した真珠湾はだまし討ちが認められないことになった。パールの判決書 時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、まだ理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所をかえることを要求するであろう