- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784534055828
感想・レビュー・書評
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先日妻と二人で東京都内の街歩きをしました、正確には、生まれて初めて借りて乗った、電動アシスト付き自転車を使ってですが。文京区辺りを回ったのですが、その時に気付いたのは、坂の多いことです。
指定されたコースを回るのですが、あの坂の多さに、徒歩はおろか、普通の自転車では諦めていたことでしょう。と同時に、東京の地名には「xx台」という所が多いことも改めて気づきました。
地理も歴史も好きな私にとって、この本のタイトル「東京の地理と地名がわかる事典」は興味深く読むことができました。今度街歩きするときには、地形と地名に注意して回ってみようと思いました。
以下は気になったポイントです。
・武蔵は漢字二文字だが、万葉集では「牟射志」と3文字であった、それが律令時代の713年に発布された「二字好字令」によって、地名はすべて二字に統一された(p12)
・明治になるまで、古代律令制によって成立した五畿七道が日本の行政区分であった、五畿とは、山城・大和・河内・和泉・摂津のことで、畿内とも言った。七道とは、東山道・東海道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の七道で、これを63か国に区分していた、幹線道路の名称でもある(p10、13)
・上野国の新田駅から南下して、武蔵の国府(府中市)へ通じる道が、東山道武蔵路である、そして同じ道を北上して足利、そして下野国の国府(栃木)へ向かう、武蔵国が東山道に属していたために遠回りが必要であったので、771年に武蔵国を東海道へ移管した(p16)
・江戸の70%は武家地、15%が寺社地、町人地はわずか15%に過ぎない、現在の23区のおよそ3%に、1678の町がひしめき合っていて、今の人口密度の4倍以上の6万人であった(p30)
・1868年7月1日に、江戸府が設置されたが、その2か月後、東京府に改称された。1869年に明治天皇が京都から東京へ移ったので、東京が事実上の首都になった。1871年に戸籍法ができ身分制度が廃止されて、武家・寺社・町人地の区別がなくなり全体を東京府が管轄した(p64)
・大区小区制に代わって登場したのが、1878年に制定された「郡区町村編成法」、郡と区には官選による郡長と区長を選任、郡の下の町村には民選による戸長を置いて、一定の地方自治を認めた、これにより11大区103小区から、15区6郡となった、これ以外に区がおけたのは、京都の2区、大阪の4区のみ(p67)
・東京府に成立した85町村のほとんどは村で、町になったのはわずか9町(宿場町の内藤新宿、板橋、千住、新宿(にいじゅく)及び、品川・淀橋・巣鴨・岩渕・南千住)(p71)
・1932年に東京都は周辺の5郡(荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾)82町村を編入し、そこに20区を新設した、それまでの15区と合わせて35区からなる大東京市が誕生した、2回目の国勢調査で大阪市に抜かれて以来、日本一の大都市に返り咲いた(p72)
・東京府と東京市の二重行政を一元化し、軍事体制を強化するのが「都制」の最大の目的であった。国と都が直結したことで、東京都の予算の多くが軍事費に拠出されるようになった。しかし敗戦後1947年には、地方自治法が施行され、それまでの軍制による東京都は廃止、地方自治法に基づく普通公共団体としての東京都が設置された、官選による東京都長官は公選による都知事になり自治権が復活した(p76)
・地方自治法では、23特別区を市町村と同等の自治権を有する「基礎的な地方公共団体」と規定していて、大阪等の大都市にある行政区とは異なる。行政区は、市の下部組織に過ぎず、区議会議員も存在しない、東京23区はそれぞれ独立した自治権をもった23市の集合体である(p78)
・合併対象になったのは、旧東京市の15区、15区に隣接する人口減少の激しい9区で、合計24区が統合されて11区になり、そのまま存続した11区と合わせて22区となった、板橋区は分割されて、練馬区が独立して合計23区となった(p80)
・北多摩郡は1970年に武蔵村山市になって消滅、南多摩郡も1971年に稲城・多摩市になり消滅したので、西多摩郡がのこっている。東多摩郡は東京府の管轄、残りは神奈川県が管轄。東多摩郡(中野、杉並)は南豊島郡(淀橋、渋谷)と合併して豊多摩郡となり東京市に編入(p88)
・1965年の889万をピークに人口は減少し続け、1995年には800万以下となった、バブル崩壊により都心回帰となり、2015年には923万人となった(p96)
・東京は思いのほか起伏が多い、地形が複雑である。大きく分けると台地と低地からなる、23区の東半分が下町低地、西側が武蔵野台地、その西が多摩丘陵、関東山地となる(p121)
・東京に坂が多いのは、河川の浸食によって形成された谷底平野が、武蔵野台地に複雑に刻まれているから、この台地と谷の高低差に坂が生まれる。武蔵野台地の東端には、上野台・本郷台・豊島台・淀橋台・目黒台・荏原台・久が原台(総称して山の手台地)、文京区・新宿区・千代田区・港区には坂が多い、都内だけで3000以上と言われている(p122)
・山手線は、東京・有楽町・浜松町・品川は、ほぼ海抜0メートル、五反田8m、目黒29m、渋谷15m、原宿32m、新宿37m、池袋33mである(p123)
・銀座は昔は1~4丁目まで、現在の銀座の範囲は、銀座の東側の、木挽町1-8丁目、銀座5-8丁目、銀座西1-8丁目を含む(p163)
・明治時代は東京が日本最大の酪農地帯であった、全国の乳牛頭数の50%以上が東京都心で飼養されていた、中心6区だけでも100か所の牧場、乳牛は3000頭以上いた。(p167)
・観音霊場が33か所なのは、観音菩薩が33の姿に化身して苦しみから救ってくれるという観音信仰から(p204)
・日本一高いビルは、現在は横浜ランドマークタワー(1993,296m)を抜いて2014年に完成した、あべのハルカス(300)であるが、2027年には東京駅前ビル(
390m)が完成する予定(p216)
・品川駅から渋谷、新宿、池袋を通り、田端駅までの20.6kmが正式な山手線の区間で、鉄道建設資材の運搬をする品川線(品川~赤羽)をルーツとしている。品川線開業時には、品川・渋谷・新宿の3駅のみ、2週間後には目黒と目白が開設されて5駅となった(p217)
・東京には、都心・副都心(7か所:新宿、渋谷、池袋、大崎、上野・秋葉原、錦糸町・亀戸、臨海副都心)以外に、「新拠点」という地域もある、品川・羽田・秋葉原である。(p232)
2018年6月18日作成詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アメリカで最も権威のある旅行雑誌の1つコンデナスト・トラベラーCondé Nast Traveler 2017年東京が魅力的都市1位
明治以前 古代律令制の五畿七道 畿内は「山と山城(やまじろ)の世界」…大和・山城・摂津・河内・和泉 ゴロの並びは大和(奈良県)から逆時計回り 七道は63か国
万葉集では当て字 牟射志→713年 二字好字令
七道駅路 畿内と諸国を結ぶ道、30里(16キロ)ごとに馬屋
東海道(海沿いの道)→当初は相模から三浦半島を渡って上総、下総、常陸へ 東京・茨城の利根川を渡るのが困難
東山道(山沿いの道)→武蔵は東山道に属していた
東山道武蔵路(むさしみち) 東京都府中と上野国の新田(足利市の近く)
室町時代の武将 1457年太田道灌・江戸城(今の本丸当たり) 各地に道灌の銅像あり
1950年 秀吉・関八州を家康へ
江戸城のすぐ北側に神田山20メートルほどの台地→切り崩して日比谷入江を埋め立て・平坦地は神田駿河台(駿府から連れてきた家来の住居)
1657年 明暦の大火 本郷丸山の本妙寺(巣鴨5丁目へ移転)・恋の病で死んだ娘の振袖、古着屋で買った娘が死・振袖を焼いて供養→強風で出火 隅田川には日光街道(国道4号線)の千住大橋のみであったため死者多数→両国橋建設へ 隅田川が武蔵と下総国(両国を繋ぐ橋)、都市改造し市街地が対岸へ 国境を10キロ東の江戸川へ
1772年 明和の大火 目黒行人坂付近から出火
1806年 文化の大火 泉岳寺前から出火
明暦の大火の頃 回向院・死者10万人の万人塚→多くの参拝者→芝居小屋、盛り場、回向院の境内で勧進相撲 1909年両国国技館
江戸 朱引(今の23区の20%位の範囲)☆御府内?、代官の支配、江戸町奉行の支配?…江戸時代の政治体制の知識が必要
☆江戸時代以前 荒川…埼玉越谷、春日部、越谷で古利根川(東京湾へ流下)と合流、最下流が現在の隅田川 利根川の付け替えもあり
1621年 渡良瀬川 利根川へ付け替え
1654年 鬼怒川 利根川へ 瀬替え
1910年台風 荒川大氾濫 1930年荒川放流水路完成 北区岩渕水門から東京湾まで24キロ・幅500メートル☆常磐線から見えるスポット要確認
1965年に隅田川に名称変更
多摩川 138キロ 江戸時代は玉川 玉川上水(美称・羽村から四谷大木戸までの43キロ)
明治時代外国船対策 海堡(かいほう)3基建設 千葉の富津岬、横須賀の観音崎(東京湾の狭まっている箇所)
1867年11月大政奉還 1868年5月江戸城開城→7月1日江戸府 1869年東京へ遷都 東京府、品川県、小菅県、大宮県(3県は2年余り存在)→1871年廃藩置県で消滅
1878年11月群区町村編成法
1889年4月1日市制町村制 全国で31市(☆下関の旧名称赤間関)5月1日に東京市(32番目)10月1日名古屋市
1947年 35区から23区へ 東京新聞が新設される区の名称を一般公募(多くの区で公募上位でも採用されず)
伊豆諸島 江戸時代は幕府の直轄地・流刑地 江戸との航路あり・交易盛ん 1878年1月東京府へ編入
小笠原諸島 1593年信濃武将・小笠原貞頼発見 明治時代 軍事上重要なので東京府へ
東京の西部地域(三多摩…北南西多摩)→神奈川県の管轄地帯だった 今の中野区・杉並区→東多摩郡
玉川上水の水源を東京が確保するため説・コレラ患者の汚物廃棄事件 1873年国が申請を却下
1893年 三多摩は政府と敵対する自由党の地盤強固、神奈川県議会も自由党支配→自由党の勢力を分断化するため、三多摩を東京へ
P91当時の三多摩地方は純農村地帯・独立させれば人口25万人程度の全国一の弱小県になっていた☆政府・神奈川県知事を脅かす自由党の勢力と矛盾?
2001年1月 保谷市と田無市→西東京市
東京都2187.65平方キロ 東京23区 626.7平方キロ(28.7%) 大田区60.66平方キロ 世田谷区58.05平方キロ 台東区10.11平方キロ
馬場→武家時代のクルマの駐車場 高田馬場(駅から1キロ程度離れた場所に654M×54Mの馬場があった)
山の手→山の手前(山に近い小高い土地の意) 下町(江戸城下の町)
山手線のホームの高低差 秋葉原15、上野17、田端20、駒込30、巣鴨21、池袋33、新宿37、原宿32、渋谷15、目黒29、五反田8、品川2、東京3
道玄坂→鎌倉初期の武将・和田義盛一族の残党、大和田太郎道玄が居城していた名残
☆飯田橋駅近く 神楽坂由来…神楽を演奏したから・聞こえたから説/時間帯によって一方通行が逆転(車の自動運転技術の問題点)
東京23区の最高地点 愛宕山(港区愛宕1丁目)・NHK放送博物館・山頂にラジオのアンテナ 家光「愛宕神社正面の鳥居をくぐりこの石段を馬で駆け上がって来い」丸亀藩の家臣曲垣平九郎→出世の階段
戸山公園にある箱根山(庭園を掘った残土で築いた人工の山)
硫黄列島(北硫黄島、硫黄島3.5平方キロ・最高地点916メートル、南硫黄島)
山と山に挟まれた細長い窪地→谷 谷に水が流れている箇所→渓谷 等々力渓谷(豊富な湧水・大地を侵食・不動の滝)、御茶ノ水駅付近の神田川も絶景ポイント
日本水準原点→憲政記念館の構内に設置24.5メートルの高さ(東京湾の平均海面を標高0メートル・地盤が安定している場所)→1923年関東大震災86ミリ沈下、24.410メートルに改正→2011年東日本大震災24ミリ沈下、24.3900メートル☆2つの震災でもあまり被害なし・東京に下宿するなら参考にすること・首都直下地震を煽り過ぎのメディア
日本経緯度原点 東経139度44分28秒8869 港区麻布2丁目・アフガニスタン大使館近く→明治時代に海軍の観象台
都営地下鉄4路線、東京地下鉄9路線☆違いは?
1458年太田道灌が江戸城を築城中、吉祥と刻んだ刻印発見、城内にお寺建立
1591年家康が江戸城大改築、水道橋の北詰に移転(神田川に架かっていた門前の橋が吉祥寺橋)
1657年明暦の大火・神社は本駒込3丁目へ、門前町の住民の移住先が武蔵野の吉祥寺
明治時代・牛乳を飲む外国人の影響・腐りやすい牛乳→都心部で酪農盛ん
戸越銀座商店街(品川区・1.3キロ・浅草線の戸越銀座駅)1923年関東大震災、銀座のレンガ敷き道路を国がアスファルト化、戸越商店街が不要のレンガを貰い排水・下水工事→銀座に感謝の意
1873年西郷隆盛下野、1877年死去 1898年銅像建設・高村光雲・死後21年経過・高さ370センチ・明治天皇の信頼が厚かった西郷の汚名を解く
鹿児島市の銅像8メートル 霧島公園の銅像10.5メートル
ソメイヨシノ、小松菜→東京の地名由来
湯上りに着る綿の入った着物・丹前→江戸時代神田に風呂屋街、堀丹後守の屋敷前にあった「丹後殿前の風呂」→丹前風呂、湯女(ゆな・接待係)の気を引くために着飾った着物・丹前風
628年漁をしていると投網に聖観音像、小堂を建てた(浅草観音)→浅草寺の始まり
645年勝海上人が開基、観音堂建立
江戸時代 幕府により祈願所、背後に吉原遊郭があり江戸随一の盛り場へ 浅草神社(東照宮、大国主命を合祀)→今の江戸三社祭
1873年浅草寺の寺域が公園に指定
1890年凌雲閣(地上12階、高さ52メートル、基礎を入れて66メートル)
関東8か国を坂東(足柄山、箱根の坂の東の意)武蔵、相模、上総、下総、阿房、常陸、上野、下野
坂東三十三カ所 観音霊場
1926年国際陸連の会長来日、日本でオリンピックを開催する機運高まる
1931年東京市議会、オリンピック誘致に関する議案が採択
1936年7月IOC総会で1940年の東京オリンピック開催決定
1937年7月盧溝橋事件、日中戦争
1938年7月オリンピックの開催を返上することを閣議決定
1959年5月オリンピック開催決定 原宿駅近く山手線を跨ぐ五輪橋「世界はひとつ」地球儀 -
東京で暮らし、東京のあちこちに行き、土地柄を知っていく中で、地理や地名に強く興味を持ったので読んだ。
歴史的な背景から未来のことまで、大変興味を満たしてくれる本だった。 -
色々なことがかかれており、参考になる。