- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784535587533
感想・レビュー・書評
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1 『ゲゲゲの鬼太郎』という“定点”
「妖花」が生まれるまで原作の「妖花」
第一シリーズの「妖花」
一四年後に再び映像化された「妖花」
アシア・太平洋戦争の語り方
大胆に脚色を施した第四シリーズ
「記憶」の時代の第六シリーズ
2 『桃太郎 海の神兵』の同時代性と断絶
「状況」の時代のアニメ
『桃太郎海の荒鷲』の制作
『桃太郎海の神兵』はどのような作品か
評論家・大塚英志による評価
同時代性と戦後との断絶
3 少国民世代、「戦争」を描く
60年代に誰が戦争を語ったのか
1930年代生まれ=少国民世代
『巨人の星』に刻まれた戦争
『サイポーグ009』の祈り
戦記ブームとアニメ
ロボットアニメと第二次世界大戦の記憶
類例のない『遊星仮面』
4 『宇宙戦艦ヤマト』の抱えた分裂
リアルなメカ描写はどこからきたのか
特撮の影響により深化する表現
「戦艦大和」から「宇宙戦艦ヤマト」へ
軍艦マーチに象徴される価値観の対立
ストーリーの下敷きはドイツ軍史
10代と40代、ふたつの世代の「ヤマト」
5 誰も傷つかない「戦争ごっこ」の始まり
『ヤマト』と『ガンダム』の距離
過去の「戟争」との”繋がりと断絶“
「未来戦争」の位置づけ方
『ガンダム』のリアルを構成する要素
誰も傷つかない「箱庭」の戦争
戦争を描くことへの反響
6 「ポスト戦後」時代の戦争アニメ
戦争のサプカルチャー化
「リアルロボットもの」というジャンル
高橋監督はなにを描こうとしたか
キリコという主人公像
「なにもない」世代の描く戦争
「消費」と「等価」
1960年前後に生まれたスタッフ
教条的反戟主義者、カイフン
たわむれのひとつとしての「戦争」
7 ポスト戦後の中の「過去の戦争」と「未来の戦争」
児童文学として執箪された戦争文学
『火垂るの墓」が現代に送る視線
『メガゾーン23』が描く新冷戟の空気
第三次世界大戦を“リアル“に表現
8 『紅の豚』の苦悩、『パトレイバー2』の現実
冷戦を描いたアニメ
『紅の豚』の背後にあったもの
湾岸戦争から『バトレイバー2』へ
『バトレイバー2』が描いた三つの戦争
柘植による戦後日本の批評
体験、趣味、そして……
9 冷戦後の「アニメと戦争」を構成する三要素
「新しい戟争」を描く作品
サブカルチャー化の極点
『ガルバン』の立っている場所
”自衛隊アニメ“の歴史
ポスト冷戦の「アシア・太平洋牲争」
人気シリーズのその後
10 二一世紀にアジア・太平洋戦争を語ること
『風立ちぬ』の描こうとしたもの
二郎たちを待つ「近代化の破産」
戦争責任をめぐる批判
徹底した考証をもとに画面を作る
変更された台詞をめぐって
「被害」と「加害」の関係詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アジア・太平洋戦争の戦時下の日本で、アニメは新聞やラジオと同様に戦意昂揚のプロパガンダを担い、「桃太郎海の神兵」などで戦争を描いた。この時代を生きた人びとは、戦時の「状況」を知り、出兵の見送りや空襲を「体験」した世代である。戦後復興を経て、1960年代に至り、泥沼のベトナム戦争を背景に、再び戦争や米平連などの反戦運動が取り上げられるようになる。それは、少国民として生きた世代の戦争体験をした水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の「妖花」に代表されるシリーズとして戦争が「証言」される時代になる。1970年代に入ると、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、時空要塞マクロスなど、実在の戦争から架空の戦争へという大きな変化が生まれる。一方で、1970年後半から「ガラスのうさぎ」や「対馬丸」など、太平洋戦争を題材にした作品が多数制作公開される。1990年代に入り、冷戦終了の世界情勢の影響を受けた作品として「紅の豚」などが上映され、「萌えミリ」や「艦隊コレクション」など、美少女とミリタリー要素を組み合わせた作品へと移行していく。2010年を迎えて、あらためて「記憶」の時代としての、宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」、や片渕須直監督の「この世界の片隅で」などの作品で、戦前の生活を丁寧に描き出し、記憶考証を行う。
普段何となく見ている映画、動画のアニメなど、あらためて歴史的背景とした時代考証としてのアニメを整理する上で、読むと納得の1冊ではないだらうか?
なお、ここからは、個人的な話しになるが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を映画館で見て、なんとも理解しがたく、結局5回映画館に足を運んでも理解が深まらなかった。そこで、エンディングに感謝の言葉が流れる、堀辰雄の「風立ちぬ」「菜穂子」を2度読みし、堀越次郎の自伝と戦争指導部批判を読み込んで、やっと消化できたように思う。映画「風立ちぬ」は、縦横に難しくも、平和を大切にした作品であると再確認した。
また、本編で指摘がある通り、宇宙戦艦ヤマトの第1作で、ガミラス帝国の街並みを壊滅的にした破壊した直後の甲板で、雪は叫んぶ。「私たちは何ということをしてしまったの。私にはもう神様の姿が見えない」。古代はつぶやく。「勝つものもいれば、負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる。負けた者は幸せになる権利はないというのか。今日まで俺はそれを考えたことはなかった。俺は悲しい。それが悔しい。ガミラスの人も、地球の人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった。我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か、くそでもくらえ!」」と戦争の愚かさを訴える。しかし、帰路にガミラス・デスラーの再攻撃を受け、徹底交戦を行い撃破する。以降、シリーズは、敵に打ち勝つ、戦死による自己犠牲、自爆・自沈と言った、特攻とも言える攻撃も継続する。さらば宇宙戦艦ヤマトでは、日ロ戦争の二百三高知で肉弾突撃をする際の白タスキ隊を編成して艦上白兵戦を行うなど、戦争美化の要素が少なからずあることも付け加えておきたい。 -
優れた作品ほど時代を反映しているんだと思った。制作者が魂を込めて作ったからこそ、その人や世代の価値観、戦争感がでるんだなあ
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歴史学者の成田龍一さんが提唱する時代の4区分※をベースに、戦中戦後のアニメの中に内在する日本人にとっての戦争意識を浮き彫りにした作品です。
※ 1:戦争が実際に行われていた「状況」の時代。2:語り手も聞き手も戦争体験がある「体験」の時代。3:戦争を知らない人が聞き手となる「証言」の時代。4:戦争体験のない人が多数を占める「記憶」の時代。
紹介されたアニメの殆どがYouTubeで視聴できたため、都度確認しながら読書しました。
読了までに時間がかかりましたが、アニメの確認は理解に役立ちました。
記載のアニメの中で一番腑に落ちた作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』の「妖花」でした。
時代が変わる都度、主体と客体の時間間隔がどんどん開いていきます。
どのように表現すれば、戦争を自分に繋がる問題として理解できるのか。それを明確に表した作品だと思いました。
そもそもどうして戦争がなくならないのか。民族宗教気候の違いといった想像できる原因はともかく、もっとシンプルな源はどういうものなのだろう。
それは、あの人が嫌い、あの人ずるいななどの、自分にとって理不尽に感じるものなのかなと思いました。
となると、このような感情は大なり小なり皆がこの種を持っています。ゆえに、戦争の「種」を根絶することは難しいのかもしれません。
アニメは、双方の立ち位置を踏まえて、リアルを突き詰めて描くこともできますし、デフォルメして描くこともできます。シビアな部分を薄めることも濃くすることもできます。
アニメは戦争の証言をナレッジし、戦争の「種」の芽吹きを抑止するチャネルでもあるのだと感じました。
現代ではインターネットが普及し、アニメの鑑賞を即座にシェアできる環境にあるため、アニメが単一的なプロパガンダになることはあまりないかと思いますが、以前として戦争の「種」のスイッチを持っています。
その不穏さが丁寧に記述されていた本でした。-
>戦いのために捧げてよい命はひとつもないと思います。
全くその通りだと思います。
>正義なんてものは明確に存在しない
これは古くか...>戦いのために捧げてよい命はひとつもないと思います。
全くその通りだと思います。
>正義なんてものは明確に存在しない
これは古くからある「不可知論」という物です。単純に全部、何時でも正義の味方である人は居ないですが、「真理は無い」「正義は無い」と言い切ると人権の側が負けます。
誰しも「正義」というコトバを簡単に振り回し、人を殺める。
その最たるものの戦争は偶発するのではなく、時間をかけて準備されると思っています。
オリバー・ストーン氏がネット上で無償公開している動画「Ukraine on fire」と「Revealing Ukraine」をご覧いただければと思いますが、ロシアの侵略にある意味口実を与えた(そんな口実は通用しない)ウクライナ人同士の殺し合いも、周到着実な準備の元にヤラセで行われていました。
私は日本のタカ派サブカルチャーもそういう目的の道具だと考えています。
ご自身が好きで仕方ないアニメや漫画を批判されると頭に血を登らせる方々も少なく無いのですが、大人ならば一歩も二歩も引いて事実に基づいて考える必要があると私は考えています。
それが戦争を繰り返さない一歩と思います。2022/08/09 -
2022/08/11
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「ご教授」なんてとんどもございません。
ロシアの侵略戦争を止めさせ、日本がこれから戦争を始めるのを防ぎ、戦争を無くすために、私達も少しずつ...「ご教授」なんてとんどもございません。
ロシアの侵略戦争を止めさせ、日本がこれから戦争を始めるのを防ぎ、戦争を無くすために、私達も少しずつ何とか致しましょう。2022/08/11
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歴史をたどりながら、アニメは戦争をどう描いてきたかをひもとく。「状況」の時代、「証言」の時代、「記憶」の時代という指標を掲げ、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」、「超時空要塞マクロス」、「紅の豚」、「風立ちぬ」、「この世界の片隅で」など具体的な作品をあげて、制作者の思想と社会状況の変化を追う。アニメ評論を通して時代をとらえようとした意欲作である。
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アニメにおける戦争の扱いがどのように変わってきたか、そしてその扱いの変化はなぜ起こったかを歴史に沿うようにして解説した本である。
自分が知っている戦争アニメは「この世界の片隅に」と「はだしのゲン」と「風立ちぬ」程度だったので、野球アニメとして名高い「巨人の星」が実は戦争に影響された作品であることや、湾岸戦争という日本人が直接的には関係していない戦争をテーマに入れた「パトレイバー2」のような作品があることを初めて知った。 -
アニメやゲームなどのフィクションがなぜ戦争を用いてきたか。なぜ用いなければならなかったのか。ということに、いちオタクとして長らく疑問に思っていました。
本書ではあくまで日本のアニメ作品における分析でしたが、日本の作品群を考えるのに十分な思考を与えてくれました。
20世紀初頭から日本は世界戦争に参加し、その中で生きた人々の思いが込められていること、そして、終戦後の世代における戦争の未経験がエンターテイメント的戦争として現れてきたことが分かりました。
本書に挙げられたアニメ作品のいくつかは見たことがありましたが、それが戦争に対してどのような姿勢で描かれたかを考えたことはありませんでした。そもそも、アニメは娯楽で享楽的であり、言ってしまえば、製作者の性癖やエゴが詰め込まれた楽しけりゃそれでいいの世界だと考えていたからです。ですが、本書のおかげで自分が確かに引き込まれた世界観の中にはっきりとした意図が込められていることに気づくことができました。
今後、フィクションを見たときにそれが本書で書かれたどの象限に位置するか考えてみようと思いました。 -
自分の好きな作品の解説は興味深く読めたが、知らない作品の解説は理解が難しかった。
この本で紹介されてる作品のいくつかは見てみたいと思う。