エセ- (1)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560025741

感想・レビュー・書評

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  • ミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592)はルネサンス期のフランスの思想家。
    彼の名前を聞いただけでなんだか難解な随筆をイメージしがちなのですが、とても読みやすくて面白い。もちろん翻訳者宮下さんの涙ぐましい努力に支えられてのこと、感謝感激です!

    モンテーニュは三十代後半で現役を引退し、飽くなき自己探求のために「エセー」を書いていますが、その動機を探ってみると、どうやら古代ギリシャの教えと格言にありそうです。その教えとはこんな感じ……。
    「……おまえの内側をみて、おまえを知り、おまえ自身につかまるのだ。ほかのところで浪費されている、おまえの精神や意志を、おまえの中に引き戻せ。おまえは自分を流出させ、こぼしてしまっているぞ。精神を集中して、自分でしっかり支えろ……」
    わわわ~なんだかぞわぞわしますね。

    この本を読んでいると、モンテーニュは「自己探求」からはじまって、次第に「人間(存在)」とは何か? を深く思索する内面旅行に出かけているように思えます。もしかすると、たびたび生きることに迷い、ときにはうんざりし、いずれ迎えるであろう死について悶々としていたのかもしれない(だって古代哲学者ルクレティウスが多数引用されていますものね~)。そして菜園でキャベツの世話をしながら、「ク・セ・ジュ?」(わたしは何を知っているのだ?)とぶつぶつし、方丈の庵よりはるかに広くて見晴らしのいい塔におこもりして、つれづれなるままに「エセー」を書いていたのかしら……そんな楽しい空想に浸ってしまいます。

    この本は通読もいいのですが、毎晩寝る前にぱっと開いた個所を少しずつ読むのも楽しい。おおかた日記のような感覚で読めます(ただ第4巻「レーモン・スボンの弁護」は正直かなり忍耐がいるので、辟易したらさらりと読み飛んでもいいかも。ここでモンテーニュを断念しちゃうのはもったいないので~)。

    古代ギリシャ・ローマの賢人や書物を幅広く紹介しながら、彼自身の思考や意識の移ろいを自由奔放に語っていて、軽妙で楽しげな雰囲気が行間から伝わってきます。冷静沈着なモンテーニュですが、ときどきハイテンションになったり怒ったりしているところもあって、それもまた人間味が出て素晴らしい。読んでいると、「私の本はどうだね?」と肩をたたいて尋ねてくるような気分になります(私の好きなゲーテみたいに…笑)。

    不思議なことに、「エセー」を読むうちになぜか日本の随筆「方丈記」や「徒然草」が懐かしくなります。時代も場所も言葉や文化も違うというのに……なんとも名状しがたい不思議な自分を発見して、これまた面白い(^^♪

    ちなみにこんな感じです。面白そうでしょ~

    第1巻の1章~25章
    *人は異なる手段で同じような目的に到達する
    *悲しみについて
    *われわれの情念はわれわれの先へ運ばれていく
    *本当の目的がないときには、魂はその情念をいつわりの対象に向かってぶちまけること
    *包囲された砦の司令官はそこから出て交渉すべきなのか
    *交渉のときは危険な時間
    *われわれの行動はその意図によって判断される
    *暇であることについて
    *うそつきについて
    *口のはやさと口のおそさについて
    *さまざまな予言について
    *ゆるぎのないことについて
    *国王たちの会談における礼儀
    *理由なしに砦にしがみついて罰せられること
    *臆病を罰することについて
    *恐怖について
    *われわれの幸福は死後でなければ判断してはならない
    *哲学するということは、死に方を学ぶこと
    *想像力について
    *一方の得が他方の損になる
    *習慣について
    *同じ意図から異なる結果になること
    *教師ぶることについて
    *子どもたちの教育について

  • コロナ禍で読書の時間が増え、この機会に古典を読んで有意義な時間を過ごそうと手に取った1冊。読みやすさを重視した翻訳に助けられ、楽しく読み切ることができました。とても16世紀に書かれたとは思えない、現代にも通ずる本質を見通したご意見の連続で、まさに今語りかけられているような気持ちになります。この1巻で特に印象に残ったのは哲学と教育に関する章。哲学は本当は陽気で元気いっぱいで楽しくて茶目っ気たっぷりのものと説いたり、教育は子どもの自発性を促すものと説いたり、当時の主流に対するアンチテーゼを提示している点が興味深かったです。

  • 仕事の休憩時間の愛読本。びっくりする内容が淡々と平易な文章で語られていて、何とも面白い。勿論モラリストとしての随想もあり、時代を選ばずに読み継がれているのも納得の古典。だからフランス文学はやめられない。

  • エリック・ホッファーが暗記出来るほど読んだという事で手にしたのですが、面白いです。 難しくなく、スッと入れるのは翻訳家の方の努力の賜物だと思います。

  • 886夜

  • かの有名なShu Uemura(植村秀)が二十台前半で肺結核を患った際、病床で読んでその後の人生に大きな影響を与えたというので感化されてみた。別名『随想録』

  • いやいや、とんでもないものに手を出してしまいました。
    私が一番信頼している読書系サイト『本が好き』でさえ、フレイザーの『金枝篇』を読んでいる人はたくさんいても、この本を読んでいる人が一人もいない!
    だれだよ、私にこの本勧めたの。

    第1巻は25章に別れていますが、20章を読み終わってまだ半分くらい。
    最初の方はエッセイと言うよりも、哲学や歴史についてを読んでいる気がしました。
    塩野七生の『ローマ人の物語』、ダンテの『神曲』、佐藤賢一のフランス史物などを読んでいたおかげで、思ったほどつらくはありませんでしたが、やっぱり知識の不足が残念だなあ。

    ”わが国では、分別(サンス)がない人間のことを「あの人は記憶力(メモワール)がない」などというものだから、それでもってわたしが、自分の記憶力のなさを嘆いたりすると、なんだか自分に分別がないことを認めたかのように(後略)”
    記憶力がないということは分別がないと判断されてしまうというところに、フランスの厳しさがあるなあ。
    日本人でよかった。

    ”われわれの宗教は、生を軽視すること以上に、確かな、人間的なよりどころをもってはこなかった。(中略)実際、失ってしまったら、惜しむこともできないものなのに、それを失うのがどうしてこわいというのか?”
    死への怖れというのは、人間が根源的に持つ感情だと思うので、それが過剰なときに恐怖を軽減するための宗教というのは有効だとは思う。
    だけど、今度はそれが行き過ぎて、来世の幸福をエサに死を軽んじさせる宗教も現れるから、何事もほどほどがいいと思うんだよなあ。
    日本の場合、行き過ぎた廃仏毀釈が、宗教と生活を切り離してしまったことで、新興宗教につけ要られる隙を作ったのではないかと最近思っています。

    ”子供にとって、遊びとは、ただの遊戯ではなく、彼らのもっとも真剣なふるまいだと考える必要があるのだ”
    「子どもは遊びで遊んでるんじゃないんだよ」by我が家の次男

    ギリシャやローマ時代の古典の引用を多用しながら
    ”わたしだって、こんな、受け売りの、物乞いするような能力は、好きでもなんでもないのだから。
    われわれは他人の知識で物知りにはなれるかもしれないが、賢くなるには、自分自身の英知によるしかない”
    と自分の言葉でいいことを書いた後、引用の羅列。
    遊んでいるのか、自虐なのか。

    ”お子さんが、知能を獲得されたら、それを浪費せずに、節約するように、そしてまた、目の前で語られる、ばかげた与太話などには腹を立てないように教育することです。なぜといって、自分の好みに合わないものには、なんにでも食ってかかるとなどというのは、不作法で、はた迷惑なことだからです”
    今の日本にこそ、必要な一言。

    ”歴史を覚えさせるよりも、それについて判断することを教えるべきなのです”
    判断するためには、歴史をある程度知らないとね。
    とはいえ、モンテーニュが語る学校への不満って、今と全然変わらない。
    規則や体罰などで子どもを縛るな、とおっしゃってます。
    ”これでは、まるで青春を閉じ込めておく牢獄ではありませんか”


    ところで、「エセー(随想録)」というので、「枕草子」や「徒然草」のような身辺雑記から発するあれこれかと思ったのですが、それよりちょっと宗教・哲学寄り。
    ちょうどフランスの宗教戦争の頃でもあり、ちらちらカトリックの影響も見えます。
    だけど、書いた当初はこれ、時事問題くらいの感覚だったのかしら。
    今読むとがっつり歴史なのですが。

    あと、最後の方で、自分が勉強をできないことの言い訳めいたことを結構長く書いてますが、誰かに何か言われたのでしょうか。
    どうしたモンちゃん、ちょっと引くぞ。

  • うーん
    ちょっとしか読まなかった。
    これを読むのは、もっとじじいになってからでいいかな。
    今はまだいいや。

  • 図書館本 954.3-Mo37-1 (100080031960)

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著者プロフィール

1533~92年。フランス・ルネサンスを代表する哲学者・モラリスト。ボルドー高等法院等で裁判官を16年間務めたのち、37歳で領地のモンテーニュに隠退する。以後家長として領地管理に当たる傍ら、読書と思索に身を捧げる。1580年に『エセー』初版(第一、二巻)を発表。ドイツ・イタリアなどへの一年半にわたる大旅行を経て、1581~1585年にボルドー市長を務める。1588年に『エセー』第三巻を刊行、同時に初版に大幅な増訂を行なう。以後も新版刊行を目指し、死ぬ間際まで加筆に余念がなかった。宗教戦争の乱世のさなかに、鋭い洞察力と自由な文体で自己、人間、生死を徹底的に探究したモンテーニュの名著『エセー』が、古今東西の知識人に与えた影響は計り知れない。

「2016年 『エセー 7』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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