- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560094907
作品紹介・あらすじ
人生の旨味と苦味と可笑しみを洒脱な筆致で描く、著者92歳の到達点!「ある受刑者」「サンドイッチマン」「記憶喪失」ほか全13篇。
感想・レビュー・書評
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いくつかの短いお話というように本当に短い話が連なる作品集。古いフランス映画でよく見たオムニバス形式のような趣きがある。好きな人は好きなんだろうな、と思った。『イシュマエル』と同時に読んでいたせいか、やや物足りなさはある。
でも(読書の醍醐味だと思うんだけれど)いくつかの素敵な表現に出会えた。
例えば、シューマンのピアノ曲集を聴き、元恋人を思う場面、や「彼にとっては、音楽が感情や感動の推進力なのである」
という表現や、
文学的野心に満ちた青年が持った野望についての描写。「第一章が書き終わっていないのに、彼の頭のなかには五百ページの物語がハンダースばかり、すでに浮かんでいるのだた」
こういう描写のある小品集、ご興味ある方はぜひ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ショートショートのようなサイズのお話の短編集。それぞれにノスタルジックに寂しくてどこか可笑しい。
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孤独の静けさがきこえる
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===qte===
長い物語のためのいくつかの短いお話 ロジェ・グルニエ著 皮肉と哀愁漂う人生の断片
2023/6/3付日本経済新聞 朝刊
わが国でも読者の多い短編の名手グルニエの、生前最後の作品集である。わずか4ページの作品から、最長でも二十数ページの短い物語が、あわせて13編収められている。それぞれ独立した話が並んでいるが、通底するいくつかのテーマが見えてくる。
老いや、記憶とその欠落は、誰も避けて通れない。「夫に付き添って」では、アルツハイマー病で老人ホームに入所している夫を見舞った妻が、それまでの夫婦生活を追想して感慨にふけり、帰ろうとすると夫の頬が涙で濡(ぬ)れていた。ところが現実には、ホームにいるのは妻で、夫が見舞ったことが、最後の一文で判明する。
「記憶喪失」では、公証人事務所に勤め、今は引退した男が、かつての同僚だった女性たちとの恋愛関係の細部が思い出せなくなって絶望する。自分が過去を忘れたのではなく、「過去のほうが自分のことを忘れかけている」。90歳を過ぎてこの短編集を刊行した作家にとって、快楽の記憶が失われるのは悲痛な体験だろう。
中年あるいは初老の男が、寂しさのなかで年下の女性に思いを寄せる、という物語がいくつかある。カフェ・レストランの楽団で毎晩演奏している男が、一夜を共にした娼婦に心ひかれ、その後彼女を探しまわる(「チェロ奏者」)。書店員の男が、同僚の女性と不倫の恋を続けるが、やがて女が愛想をつかして離れていく(「動物園としての世界」)。通俗小説に堕しかねない素材だが、グルニエの手にかかると上品な皮肉が効いて、そこはかとない余韻を残す。
その他、男同士の微妙な友情とその亀裂、夫婦間のすれちがい、ありえたかもしれない、しかし実現しなかった男女の情念などが、さまざまな状況をとおして描かれる。うまくいかない人生の断片を巧みに切り取り、結末はときに宙づりのままで、そこにユーモアの混じった哀愁が漂う。
短編とはいえ、それぞれの作品には語られない部分、空白の時間があり、読者の側がそれを想像力の働きで、みずから補いたい欲求に駆られてしまう。いわば書かれなかった長い物語が立ち現れてくるのであり、それがタイトルの意味につながる。流麗な訳文と、懇切丁寧な「訳者あとがき」を味わっていただきたい。
《評》仏文学者 小倉 孝誠
(宮下志朗訳、白水社・2860円)
▼著者は19年フランス生まれの小説家。邦訳に『編集室』『ユリシーズの涙』など。2017年没。
===unqte=== -
人生のちょっとしたエッセンスとして、短い物語が必要なときってあるよね。