- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569697758
作品紹介・あらすじ
なぜ当時の国民は太平洋戦争を支持したのか?この根本的な疑問に答えるために、本書では、戦前戦中のラジオ放送にかかわった五人の人物を取り上げる。労働=修行の思想を説いた高嶋米峰と、それを引き継いだ友松圓諦、受信機の普及に情熱を燃やした松下幸之助、「大東亜共栄圏」を広めた松岡洋右、玉音放送の真の仕掛け人・下村宏。これまで見過ごされていた「声の文化」の歴史的影響力を真正面から検証する。昭和天皇の「終戦の御聖断」の内幕も新資料から明らかに。当時世界最強のマスメディアの功罪。
感想・レビュー・書評
-
当時主流であった真空管ラジオは「真空管サウンド」と呼ばれる独特の音であり、高音は鮮明だが、低音はハッキリと聞こえないものであった。テレビ時代の政治家は二枚目であるほうが有利なのと同様、真空管ラジオ時代のラジオ出演者は、声のトーンが高いことが人気を集める必要条件だったのである。(p.103)
また統制が取れた陸軍に対し、今度は海軍が暴走し始めた。永野修身海軍軍令部総長は「大東亜共栄圏」の概念を大きく拡大しインドやオーストラリアの近くまで攻め入ることを提案した。やがて、世論と海軍に押される形で日米開戦が正式に決定した。12月6日から7日にかけての夜、東條は1人部屋の中で号泣した。12月8日太平洋戦争が始まった。(p.185)
時代の情勢は、紙と演壇で世論が形成される政治から、ラジオによって世論が形成される政治へと移った。この過渡期において、国民も政治家も、何が本当の世論で、何が国民の支持なのか、判断を誤ったといえる。太平洋戦争に至る数々の誤った政策は、こうした錯綜した世論に根ざすものと考えられるのである。(p.189)
しかし暴走する陸軍は各地で戦禍を広げる一方であった。ラジオは声高に「非常時」を叫び続けた。「非常時」であるならば、なおのこと戦争は早期に終結すべきだと下村は訴えたが、毎日のように「非常時」がラジオで唱えられると「非常時」が日常になりつつあった。(p.208)
保守的で伝統を重視する割には、歴史や伝統を都合よく解釈する傾向は、太平洋戦争の特徴をよく表している。一例をあげれば、「撃ちてし止まん」、「八紘一宇」などの『日本書紀』の言葉は、大戦中に盛んに唱えられたが、これらは『日本書紀』とは別な文脈で使われた。「武士道」も、かなりいい加減に解釈され、日本は武士道の国だと言われたものの、江戸時代を通じて武士が国民の圧倒的少数であったことは、全く無視された。松岡が多用した「日本精神」という言葉も、何を意味するのかほとんど不明であった。(p.238)
あるマスメディアが急速に普及するとき、社会に急激な変化をもたらすことがある。ラジオと太平洋戦争の関係から得られる教訓は、「新しいメディアは未知の混乱をもたらす」という事実である。この現象は、今後も起きるかもしれない。新メディアが社会に充分定着し、人々が錯覚を起こさなくなったとき、そのメディアは社会にとって有益なものになるであろう。しかしそれまでの間、我々はそうした急激な変化に対して、充分に注意しなければならない 。(p.250)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新書文庫
-
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(立花隆選)111
あの戦争 -
「教養主義の没落」→「テレビは日本人をバカにしたか」→「テレビ的教養」→
題名と一致しているのは前書き、序章、終章のみで、内容も一般論であると思う。本当の内容は戦前から戦中にかけてラジオに関わった4人の人物史である。特に玉音放送に関わった内閣情報局局長下村宏があの明石元次郎から諜報の一切を教えられたという話は興味深かった。現在、著者はその下村の伝記を執筆中という発売されたらぜひ読んでみたい。 -
小学校を中退して丁稚奉公に出た松下は、勉強したくてもできない境遇にあった。日々、様々な教養を与えてくれるラジオは、松下にとって抱いて寝るくらい愛おしいものだった。松下は受信機を普及させて一人でも多くの人にラジオ放送を聞いてもらうことを自らの使命とした。
英語で堂々と日本の立場を語る松岡の姿は日本の聴衆にとって頼もしい限りだった。 -
戦争責任問題云々よりも、ラジオ、演説に関わった昭和の要人ひとりひとりにスポットを当てたある意味伝記的な構成になっているので、読みやすいと思います。
-
2008年8月
-
僕はテレビを観る事よりラジオを聴いている事の方が多い。家の中で、車の中で、山歩きの相方に、楽しんでいる。いつ頃からラジオを聴く様になったのだろうか、時は小学校4年頃か、あの頃子供から大人まで流行りに流行ったBCLがキッカケとなり、実家にあったラジオのツマミを左右に回しながら、あっ、北海道のだ、東京のだ、九州の放送局だと、一喜一憂していた。その内、自分専用のラジオが欲しくなり、当時一番の性能を誇った、ソニーのスカイセンサー5800をお年玉で買い(すぐに5900が出て泣く事になるが)、内蔵アンテナを高々と上げ、海外の日本語放送にチャレンジ、ベリカード集めに奔走した。海外の放送を聴くのは飽きて、深夜放送を聴き捲った。大学に進む頃、再び遠方の局を聴くのに凝り、車の運転をする様になってからは、一日中飽きる事なく今に至っている。そのラジオが戦争の道具になったのを覚えたのは、5年生の頃。その頃からか、或る程度、本を読む様になってから、其の手の文献を漁る様になり、現在に至る。さて、この本の内容は如何に?で、感想は。創世紀に、というか、これは今現代の話では無くて、放送局が一局しかなくてそれが国のプロバガンダ局である場合、それが正しいかと云うと?だ。唯、そういう時代があったからこそ、今が或る。国敗れて山河在りなのだろうと、今、思う。こうして、自分の意見を堂々と云える社会となったのだから。