- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569847337
作品紹介・あらすじ
人工知能が持ちえない「真の知性」とは何か。羽生善治・新井紀子・井上智洋・岡本裕一朗らとの対話から探る「AIの先」
感想・レビュー・書評
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AIに関して、一見すると関わりの低いように見える著者と様々なジャンルの業界の方々の対談を通して、AIに関してだけでなく、現代社会に欠けているものが伝わってくる書籍。
AIというテーマを通して、現代社会のあらゆる問題が浮き彫りになっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2020年発刊であるが、2019~2023年頃までの間に生成AIが爆発的に進化・浸透したため早くも既に時代遅れの感がある。
4人の専門家との対談本だが、さほどケミストリーが起きていない。
お互いを尊重し、それぞれの主張をしているが、お互いの情報と主張を出し合っておしまいになっている印象。
養老孟子の主張は過去の著作から一貫していて、身体性が重要、脳化(=情報)社会に偏るのは不適切というのが主軸にある。
AIに関しても物によっては使えばいいと受け入れてはいるが、諦念の様相が強く、基本的にはAIもロボットも自動運転車も自分とは関係ないし不要だし勘弁してくれ、といった旨の発言が多い。
必要性という文脈で言ってしまえば勿論AIなど不要になってしまう。
歴史を見返せば火薬、電信、核兵器など、軍用すると有利になる技術は押しなべて積極的に開発され、その技術のおこぼれが社会の利便性を高めてきた。このことを鑑みても、他国との関係の中では否が応でも開発実装が必要となってしまう。
ファイティングポーズを取る相手には身構える。
環境破壊や国同士の緊張感を高めるネガティブな側面があるため技術開発は慎重性が求められる。
ただ思うにそれ以上に、建設的なAIの活用を勧められるように、前提として他者理解・他国の文化や価値観を相互に理解することは重要である。
不毛な開発競争とそれによる負の側面を軽減してくれる。
養老氏が「地に足のついた」ことを重視するのは、オフライン、対面、現実で他者と向き合って触れ合うことによる非言語的コミュニケーション情報や、他者の命を感じることで他者理解がより進むメリットを知っているからだろう。
デジタルネイチャーの中であっても有機的・質量的観点を持って生きたい。 -
女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000068480
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●原因と結果が必ずきれいに揃うという世界観で仕事をしてる方が悪い。
●医療でも、将棋でも、コンピュータにとっては、限られた空間の中に存在している特徴を見出すという点では同じ。
●深層学習は特にそのプロセスで何が起こってるのか分かりにくい側面もあります。ですのでこのようなブラックボックスをどう評価するかと言う課題だと考えているのです。根拠のわからないものを許容できるかどうか。
●眠る生き物は、たぶん意識を持っている生き物だと。
●哲学は、最初に前提を問う学問だと思っている。基本的には、自分たちが生きる時代に一体何が起こっているのか、問い直しをするという学問なんです。
● Googleの猫。人間が闇雲に無秩序に画像を見せられただけで猫を認識することができるのか。どうも遺伝的には、身近な動物はあらかじめ概念の枠ができているのじゃないか?
●トロッコ問題なら功利主義と義務論と言う形に置き換えて考えられる。最近の流行は「徳倫理」。
●人生を、経済的、合理的、効率的に生きると言うなら「生まれたら即死んだらいいだろう」って言うことになりかねない。
● AIが1番苦手なのが危機管理。想定外の事は統計データにほとんど現れないので学習のしようがない。 -
第1章 AIから見えてきた「人間の可能性」(羽生善治×養老孟司)
「局面」で切れない自然をAIが扱えるか?
「脳化社会」の矛盾が明らかに
人はパンドラの箱を開けてしまう
物事のブラックボックス化
画一化の弊害
第2章 経済はAI化でどう変わるか(井上智洋×養老孟司)
AIは格差社会を拡大させる
車社会とAI化はつながっている
AI化の本質
身体性が置いてきぼり
不老階級と役立たず階級
第3章 AIから人間を哲学する(岡本裕一朗×養老孟司)
AIが哲学する日は来るのか?
概念を作り出す
トロッコ問題にまつわる誤解
功利主義・義務論
概念を作り出すことが哲学の仕事
第4章 わからないことを面白がれるのが人間の脳(新井紀子×養老孟司)
AIに負ける子どもたち
ポピュリズムに利用されるインターネット
統計の嘘とAIの限界
わからないことを面白がる -
対談本だが、AIを語るほど工学に精通しておらず、あくまで抽象論として文系目線で、哲学者や棋士、経済学者相手に議論されている。だからAIに仕事を奪われるかどうか、という受け身な発想になるのかな。それに対して、60億以上いる世界人口があって知能があるのに、更に頭脳を増やして意味あるの?と養老先生。お得意の持論は良いのだが、相手が養老先生に気を使い過ぎて議論にならない。衝突を避けながら、養老先生に合わせる形で探り探り主張している。それが次第に面白くなってくる。
例えば、正規分布や偏差値を批判的に議論する箇所で、高血圧といった外れた存在を標準化させる事が必要なら、東大生のような偏差値の高い存在も補正して馬鹿にしないといけないだろう。それを聞いて羽生さんは笑うが、先生は別に冗談を言っている訳ではない。頭脳と肉体の目標基準が異なるのはダブルスタンダードではないと思うのだが、議論は発展しない。
それと本対談には、トロッコ問題やサピエンス全史、アルファ碁の話がよく出てくる。AIの壁、つまり限界領域は、このように心を探る問題と、無機質なゲームルールの中で最上の成績をもたらす分野とで区分されるのかも知れない。そういう意味では、壁の内側にいる対談本である。その象徴的な編集を無自覚的にしている様が面白かったのだ。 -
最近、養老さんにはまる。
養老節で巷にあふれるAI論を退けるのが痛快。
将棋で人とAIと戦わせてどうする。徒競走とバイクの勝負のようなもの。
この色づく秋、都会の公園でも変化する。
画面の中の変化とは違う空間を感じる世界。
AIよりも5Gとその先、VRによるメタバースが木々のゆらめく空気感を再現できるのか、気になる。
テクノロジーにより、空間内に全ての感覚情報再現できたとき、人は何を感じるのだろう。 -
2020I043 007.13/Yo
配架場所:C3 -
プロ棋士、経済学者、哲学者、数学者と養老先生との間に交わされる対話。AIと人間の近未来はどうなる?
「だいたい、食べ物に点数を付けて、それを参考にしようというのが、生き物として終わっていると思います。」(P205)