さらさら流る (双葉文庫)

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  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575523942

作品紹介・あらすじ

28歳の井出菫は、かつての恋人に撮られた自分のヌード写真をネットで偶然発見する。親友の百合や家族、弁護士の助けもあり、写真を消去するために動きながら、菫は元恋人・光晴との日々や彼自身を思い起こす。彼と一緒にいたとき、私が私でなくなるような感覚にいつも陥っていた……。
ひとりの女性の懊悩と不安をすくいとりながら、一歩ずつ自分の身体を取り戻す姿を描いた会心作。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『さあ、見て、と言うように、軽く手を広げ、何も身につけない身体を差し出している』というあなた自身の写真を偶然にもネット上に見つけたとしたらどう思うでしょうか?

    『人気モデルの問題写真が流出』、といったニュースがネット上を駆け巡る今の世の中。かつて『ボーイフレンドや女友達と水着姿で浜辺ではしゃいでいるただのスナップ』として撮った写真が、まさかの後の世に、その人に社会的制裁を加えるかのような事態の起点となってしまうことが往々にして起こりうる現代社会。私たちが日々生きていくのも常に緊張感と隣り合わせでなければいけないと考えると、なんとも窮屈なものです。

    仲の良い者どおし、何気なく撮りあった写真、それがその後の人生にまさかの影を落とすことになろうとは誰も思いはしないでしょう。大好きな恋人に『離れている間も、菫の裸を見たいんだよ。お守りみたいに大事にする』と言われれば関係性によっては心が一瞬なりとも揺らぐ感情が生まれることだってあるかもしれません。しかし、まさか、そんな行為が『自分はそんなにも愚かだったのだろうか。あの男を信じたことは、こんな罰がふさわしいほどの過ちなのだろうか』と、悔いる未来へと繋がるとは思いもしないでしょう。一方で、そんな行為を、結果論から『どうしてそんな莫迦なことしたの?』と一刀両断する気持ちもわかります。今の世の中、情報が伝達するスピード、そして伝達する範囲は想像を絶するものがあります。しかし、だからといって一概にそんな写真を撮らせた人物を非難できるものでしょうか?そんな人物は非難されるに値する人物なのでしょうか?

    この作品は、『彼は確かに生涯を通じてのパートナーだった』という彼に撮られた写真をネット上に見ることになった女性の物語。『こうしている今もあの画像がどんどん拡散され、世界に流れ出し』ていくことに恐怖する一人の女性の物語。そして、それはそんな女性が『私、自分の裸を取り戻したいの』と再び歩みを始める瞬間を目にする物語です。
    
    『せっかくなら川を辿って、歩いて帰らない? 介抱してくれたお礼にうちまで送らせてよ』と急に言われ目を丸くするのは主人公の井出菫(いで すみれ)。『この川のずっとずっと上流が玉川上水と繫がってるはず』と、京王線沿線にある我が家まで渋谷駅の地下を流れている川が繋がっているという垂井光晴の説明に聞き入る菫。そんな光晴は『暗渠(あんきょ)ってわかる?』とたくさんの川が蓋をされてきた歴史を語ります。大学の『東京名所探求会』の飲み会に参加していた二人。『居酒屋の男女兼用のトイレで吐いてしまった彼をみんなで介抱し』てあげた数十分前のことを思い出す菫は、既に自宅には連絡済み。しかし、『午前まで繁華街に居たことなどないから』不安な面持ちで、すっかり回復した彼と歩きます。『光晴くんのことが気になっている』という菫は、光晴との会話を楽しみながら歩みを進めます。『泊まってうちの家族に会っていってよ』と誘うものの『いや、常識的に考えて、まだ会ったこともないのに、そこまで甘えられないよ』などと話している内に、『はい、渋谷川の支流、宇田川に会えました!』と光晴が説明するポイントまで到達しました。そして、その場でしばし佇む二人。場面は変わり、『ポスターに起用する予定の、十九歳の人気モデルの問題写真が流出したらしい』という話を小耳に挟み、『芸能人に限らず、あらゆる隠し撮りや流出画像を無差別に集めた場所』でその真意を確認する菫は、二十八歳。『大手コーヒーチェーン』の『広報部宣伝課』に勤めています。件の写真が大したものではないことを確認し『今は騒いでいても、みんなすぐに忘れていってしまいますよ』と『明日の朝、宣伝課の篠田課長に伝えよう』と思う菫。しかし、そんなサイトをスクロールすることが止められなくなった菫は、サイト内に大量に存在する写真を見て『彼女たちはこんなところに自分の裸体が晒されていることを知っているのだろうか』と考え込みます。『その時、なんの前触れもなく、よく知った瞳とぶつかった』という菫。『それがいつ撮られたもので、誰にどう乞われ、その時、どんなことを感じていたか。どんな気持ちでカメラに笑顔を向けたか』が、『すぐにわかった』という菫。そこには『こちらを見つめている』自分自身の姿がありました。『さあ、見て、と言うように、軽く手を広げ、何も身につけない身体を差し出している』目の前の菫。『控えめな大きさの、離れた乳房』、『陰毛がふさふさ濃く、下腹部の広範囲を覆っている』というその姿は『今も毎日、トイレや浴室で、目にしているもの』です。一方、そんな姿形を『揶揄する見知らぬ誰かのコメント』が目に入り『反射的にパソコンを閉じた』菫は『彼と別れた年だから、たぶん二十二歳の時のものだ』と思います。新鮮な空気を吸いたくて外に出た菫は立ちすくみます。『この足の下には、隠れた水の流れがある』と『暗渠』の上を歩いた過去を思い出す菫は『十八歳の春、人生で最初に、それを菫に教えたのは、あの男だった』と思い出します。そんな菫が、ネット上に流出した自らの裸体写真の存在に苦しむ姿が描かれていきます。

    「さらさら流る」というこの作品。作品冒頭に東京都渋谷区の地図がまず掲載されています。その見出しに書かれた言葉は『暗渠MAP』。『蓋をしたり、埋設してある川とか水路』を指すという『暗渠』という言葉。『東京オリンピック前に、街の景観を整えるために、たくさんの川』が『暗渠』にされたということが物語の冒頭で垂井光晴の口から語られます。渋谷という街は行ったことのある方ならお分かりの通り、はっきりとした谷底です。一方で古今東西、そんな谷には川が流れているものですが、その谷底にあたる渋谷駅の周りには川を見ることができません。しかし、それは存在しないのではなく、光晴の説明通り、蓋をされ今やすっかり地下に埋設されてしまって『暗渠』となった『渋谷川』、『宇田川』の上に私たちの暮らしがあります。そんな普段意識することのない『暗渠』を辿っていくという物語冒頭は、土地勘のない読者には若干の苦読を強いる部分です。この辺りの言葉や雰囲気感はまさしくNHKで放送されている”ブラタモリ”の感覚です。『今は地下で裏原宿を流れている川が、どこかで明治通りをくぐって、宮下公園の方に下って』、『そもそも、渋谷川って、新宿御苑が源流なんだよね』、そして『玉川上水はあくまで水道だから、厳密にいえば川じゃないけどね』といった表現が頻出する物語は、好きな人にはたまらない話題なのかもしれませんが、渋谷を知らないわけではない私でも、少し食傷気味。すっかり集中力が落ちてしまって、柚木さんの作品の読書では初めて流し読みをしてしまいました(苦笑)。

    そんな物語は、それから六年の歳月が経過し、大手コーヒーチェーンの広報部に勤務する今の菫に場面が移り、かつ数多の裸体写真が掲出されているサイトの中に『こちらを見つめている』自分の姿を見つけるという衝撃的な場面の登場で一気に緊迫感を帯びてきます。あなたは、自らの無防備な姿が自身の認識に全くない形でネット上に晒されていることを知ったとしたらどう思うでしょうか?改めて言うまでもなくネット上の空間は世界に繋がっています。認証を求められない限り、誰もが自由にそこにあるものを見、自分のものとすることも可能です。そんな空間に出てしまった瞬間に『光晴にだけさらした肌も乳房も、ただの観賞物として消費されて』しまうだけです。また、『全部消せるのはいつかわからないし、そもそも全部消せるかわかりません』というのが現実であり、一度流出してしまうと取り返しのつかない現実が待っています。

    『「性被害に遭った女の子がどう立ち直るか」というテーマを、じっくり書きたかった』と語る柚木麻子さん。そんな柚木さんがこの作品の中で取り上げられたのが物語中、親身に相談に乗ってくれる坂咲という女性が写真流出のことを相談されて『井出さんがそんな写真を誰かに撮らせるような人には思えなかったから。どうしてそんな莫迦なことしたの?』と語った言葉の先にある考え方でした。『写真を流出された被害者にも落ち度があったのではないか』というその発想。世の中で何かしらの事件が起こると、その被害者の責任を追求しようとする声が起こりがちです。この物語の坂咲も決して菫のことを突き放すようなタイプではありません。しかし、この問題では上記の通り、菫のことを慮るよりも前に『撮らせたのはあなたなわけだし』と、菫の落ち度を責めます。このことについて『自分や家族、親友には絶対に起こらない問題だと信じたい思いがあるのでは』ないかと続ける柚木さんは、『だからこそ被害者の落ち度を探してしまうのではないでしょうか』とまとめられます。本来、辛く悲しい思いをしている被害者をさらに鞭打つ感覚、それは私たちが被害者を一種見下す思いの先に、何かしらそんな被害者との間に一線を引こうとする感覚から生まれてきているようにも思います。私自身を振り返っても、日常のニュース報道等で、第三者的に被害者に対して冷たい視線を送る感覚を感じることがあります。犯罪被害者が向き合わなければならないのは、そんな無数の非難の目、『なんの落ち度もない彼女が、浅ましい存在として徹底的に貶められ』てしまうという厳しい現実を改めて怖いと感じました。

    そんな物語は、実は写真を流出させられた菫視点だけの物語ではありません。『自分だけが知っているはずの彼女の真実が、あらゆる人間に共有されていた』と、まさかの写真流出の事実を知らされた光晴にも視点が移動します。さらには、過去と現在、つまり、『暗渠』を巡って深夜の渋谷の街から自宅へと二人で歩く過去の菫と光晴の姿にも場面は繰り返し移動します。そう、過去の菫と光晴、今の光晴、そして今の菫という三つの視点が次々に切り替わりながら物語は進んで行きます。物語冒頭に『暗渠』巡りで集中力を欠いた方も、間違いなくこの凝った展開に集中力を一気に取り戻す、それがこの作品の魅力です。そんな物語に込められた強い思いを柚木さんはこんな風に語られます。『被害に遭った方には「自分を責めないでほしい」という気持ちはとても強くある』。しかし、その考えを押し付けたくはないと語る柚木さん。『何かしら心に残ったり、時間を置いてでもこの作品に込められたものが届いたりしたらいいな』と続ける柚木さんの強い思いがこめられたこの作品。ネット上への意図せぬプライベート写真の流出といった次元を超えた深い物語がここには描かれていました。

    『誰にも知られたくない一瞬が、世界中で見られるアルバムに記録され、未来永劫、菫を責め続ける』という厳しい現実を前に立ちすくんでしまった菫のそれからが描かれていくこの作品。そんな菫が葛藤の中から『私、自分の裸を取り戻したいの』という思いへと一歩ずつ歩みを進めていく様を見るこの作品。『暗渠』という存在を物語世界に重層的に重ね合わせながら、主人公たちの心の在りようを映し取っていくこの作品。

    『私は誰かを、世界を、自分を信頼するということを、決してあきらめない』。

    再び前を向いて力強く宣言する菫の眼差しを感じるこの作品。ネット社会の怖さを改めて感じるとともに、人が再び立ち上がっていく姿の力強さ、美しさ、そして尊さに心囚われた、そんな作品でした。

  • 別れた彼氏に裸の写真をネットに流された菫が、その写真を削除しながら立ち直っていく話。
    これは出だしから菫の気持ちを思うと辛かった。。。
    自分の裸を世界中の人が見ている、今すれ違った男性も私の裸を見たかも、って思ってしまう菫が可哀想で可哀想で元カレに怒りが沸き上がります。そんなボロボロの菫をさらに会社の同僚が傷つける。家族が写真の流出を知ったら家族が悲しむだろうと思って傷つく。脱け殻のようになっていく菫を抱きしめてあげたかった。
    幸い、友達と家族が菫に寄り添い問題を解決していくのだけど傷ついた心はなくなったわけではない。これは本当に女性が負うリスクが大きすぎる。自衛するしかないのだろうけど、男がクソすぎる。写真を人に見せると女性がどんな気持ちになるかの創造力が決定的にかけている。
    最後は少しだけ希望が見えて終わったけど最後まで苦しかった。

  • あけましておめでとうございます!
    今年はもっと1冊1冊丁寧に読んでいけたら、と思います。

    さて、新年1冊目。・・・新年なのにちょっと重い話。

    かつての恋人・光晴に撮影されたヌード写真をネットで発見した菫。恋人との日々を思い出しながら、不安と戦い、前に進む女性の姿を描いた物語。

    立ち直るって難しい。
    しかも、自分の裸の画像が世の中に出回っているという状況から立ち直るってこんなに簡単なのかなと思ってしまう。
    ヌード写真の流出から時間をかけて前に進んでいく菫の姿を、時間をかけながら自然の力で汚れを浄化していく川に重ねたタイトル『さらさら流る』なんだろうけど、(実際、物語の軸のひとつに川がある)かなりしんどいだろう。
    物語のなかで、菫はとくに感情を大きく爆発させることもなく静かに沈んでいって、友人の百合や家族に助けられながら穏やかに自分を取り戻していく。大々的に「わたしは被害にあいました!」と言うわけでもないその姿は、(それにはかなり勇気がいるだろう)やはり日本的かな、と。
    被害にあった側が遠慮というか申し訳ない思いをしないといけない気になってしまうのは、よく考えるとおかしいのかもしれないけどね。と、言いながらも、わたしはヌード写真を撮らせた側にも少し否があると思ってしまうのですが・・・

    「画家はモデルに、自分の姿を見出すって何かで読んたことがある。鏡みたいなもんなんだよ。だから、もし菫が私に勇敢さや才能を見出すなら、きっとあなた自身もそうってことなんだと思うよ」
    菫も言っているけど、光晴の弱い部分が被写体の菫に写って、あの写真を生んでしまったんだね。

    そのなかでも、すごく共感できたのはこの文。
    「何か愉快なことがあってほおがほころんだ次の瞬間、あの画像が目の前を走っていくのだ。こんなふうに和んだり、リラックスしている暇は、お前には一秒もないのだ、と見えない誰かに常に責められている気がする。」
    おまえはこんなことで笑っている場合じゃないんだって突きつけられる感じ。ずっと頭の中に問題が残ってしまっている状態。こういう感覚が、立ち直りを難しくしている原因のひとつなんだろう。

    そして、こちらは考えさせられた文。
    「キャンパスで、就職活動で、職場で、菫は数え切れないほど、そのダブルバインドに直面した。頑張れ、でも暑苦しいのはだめ。魅力的であれ、でも性的にだらしないことは許されない。厳しい時代を生き抜け、でも絶対に周囲を驚かすようなことをするな―。」
    【ちょうどいい】が求められる世の中。その【ちょうどいい】がわからなくて困っている人もたくさんいるだろう。実際、わたしも仕事で【ちょうどいい】を教えないといけない場面がよくあるけれど、上手く伝わっている気がしない・・・というか、自分でもわかっていないんだろうな・・・

    社会と個人を考えた1冊だったかな。


    「でも、川は空の下を流れていくものだ。
    たとえその時は淀んだ汚い水でも、心がけ次第で、時間はかかっても自然の持つ力がいつか浄化してくれたのではないだろうか。先ほどの湧き水を思い浮かべると、その確信は強くなる。澱も淀みも光を浴びて、次々と湧き上がる力に押されて、さらさら流れていってしまうのだから。」

  • かつて、元恋人に撮られた裸の写真を、インターネットの中で見つけてしまった。
    そこから、菫の生活は一変する。

    ただ、この話は菫を単に可哀想な女性という側面だけで描こうとはしない。
    ズタズタに傷付き、人の視線に怯えながらも、もう一度世界に繋がる勇気を持とうとする。

    そのことが、半分分かって、半分分からない。

    菫に、その強さを与えたのは、何なのか。

    光晴の自己陶酔的な自虐と、そのために誰かを犠牲にし続けるスタンスには腹が立つし。
    彼女が一変した生活の中からも、立ちあがろうと前を向くことが、気に入らないわけじゃない。

    でも、自分なら絵になろうと思えない。
    そういう乗り越え方を、思いつかない。
    だから、光晴は、どうして菫の絵が「分かる」のかも全然分からない。

    むしろ簡単に分からないでくれとさえ、思う。

    裸の写真を不特定多数の人の眼前に載せるという行為に対して、登場人物たちは様々な思いを述べる。
    どれを取り上げるということはない。
    ただ、現代アートの展覧会のワークショップに、セックスワーカーを呼んで物議を醸した出来事を思い出した。

  • あり得る話だと思う
    人の人生や育ちの環境は
    様々であるが、
    幼い頃からの家庭の世界は
    人格形成に多少なりとも
    関わってくるとは感じる
    百合が、とてもいいと思った
    あんな力になれる人になれると
    いいなと思った
    自分を見つめて
    自信を持って、
    生きてゆけたら
    とてもいいと思う

  • 前情報なして読み始めて「お散歩ほのぼの恋愛小説かな?」と思ったのも束の間、柚月麻子先生がそのような作品を書くわけもなく…(好き)

    過去の恋人に撮られた裸の写真の流出と、周りの協力を得ながらそこから這い上がる主人公菫。リベンジポルノというかなり重い題材ではあるが、登場人物が少しずつ自分や自分の周りの人と重なるのがさすが柚月先生だなと思った。

    「今回は写真の流出という形で表に出ただけで、根っこにあるのは「女をモノ扱いする男」という問題です」というのがいろんな人の視点を通じて描かれていて、そうなんだよな〜と。それを小学生の祐の台詞として表面化させたりするのが良かった。

    光晴がコテンパンに罰を受けるシンプルな勧善懲悪ではないところが物足りないみたいな感想もあったけど、そもそも社会の問題や、家庭の問題や、いろいろな原因があっての結果なので勧善懲悪しちゃったら途端に薄っぺらくなるからこれでいいと思う。

    菫が「自分の中にもともと強い部分があったんだ」っていう結論に辿り着けるのすごくかっこよくて好きだった。百合との信頼関係も、元々あるのにさらに深まっていくのが良かった。

  • よかった。
    元彼が、ミソジニーから抜けきれてなくて、無意識でごりっごりの性差別しながら、悪いことを悪いことだと受け止めきれずにいて、その立場から見た世界の描写が秀逸だなと思った。
    本当に酷くて取り返しのつかないことをしたのに、いつまでも自分ごととして受け止めきれない元彼の呑気さに腹が立った。実際こういうものなのだろうか。
    また、性被害に遭って男性が怖くなったり全てがしんどくなったりしている主人公の心情や行動もとても共感できるもので、読んでいて辛くなったし、でもこれを描く物語があったことに救いを感じた。
    また、性被害の加害者が、昔はかけがえのない大切な相手であった事、それと被害の落差がものすごく鮮明に表現されていて、残酷で鮮やかだった。
    最後、主人公は自分の身体を主体的に表現することによって、自尊心を回復させる。描かれる、撮られる、見られる、といった客体になる事が女性は多いけれど、ただ男を喜ばせるための受動的な存在ではないのだ、というメッセージが主人公と百合の決断や行動から出ていてそうだよなあと思った。
    主人公は最初から最後まで客体化されているという事に変わりはないけれど、撮る(描く)側と撮られる(描かれる)側の間に同意や尊重があるかという事でここまで違うのか,と思った。

  • 故意ではないが軽率な行為に寄って、昔の彼女の裸の写真がネットにアップされてしまった。
    それを見つけた彼女自身の戸惑いと絶望感がひしひしと伝わってくる。
    流布させた当人はどこまで彼女の苦しみを理解出来ているのだろう。
    彼女が立ち直っていくのが救い。

  • あらすじも知らないまま手にし、キラキラした青春小説かと読んでみたら、、、衝撃だった。主人公に同情しつつ、先を知りたくて、読み進めた。
    ストーリーもよく描かれていて、登場人物の心情もありありと伝わってくる。
    自分の中の、光も闇も、抉り取られて晒されてしまうような心地だった。
    実際には、誰も同じ思いはしてほしくない。加害者としても、もちろん被害者としても。そしてまた、自分もまた、道を見失っても、歩くことに疲れても、時には歩みが止まろうとも、目に羽虫が飛び込んでこようと、歩み続けるよう奮い立たせてくれる話だった。

  • 女性向けかなと思ったけど、しっかり男性側についても書いてあるのがすごいかな

    この著者の作品は初めてでしたが、文章がスッと入ってきました。
    物語としては帯とか後ろのあらすじだけで十分済むんだけど、登場人物の内面に重きを置いてる感じ
    その感じが好きでした

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著者プロフィール

1981年生まれ。大学を卒業したあと、お菓子をつくる会社で働きながら、小説を書きはじめる。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を書きつづける。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞と、高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞。ほかの小説に、「ランチのアッコちゃん」シリーズ(双葉文庫)、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』(どちらも新潮文庫)、『らんたん』(小学館)など。エッセイに『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)など。本書がはじめての児童小説。

「2023年 『マリはすてきじゃない魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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