ゴジラ誕生物語 (文研じゅべにーる・ノンフィクション)

著者 :
  • 文研出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784580821965

作品紹介・あらすじ

映画『ゴジラ』とその誕生のドラマ。世紀を越えて、今なお話題のつきない映画『ゴジラ』(1954年)の魅力をさぐり、初めての本格的な特撮怪獣映画にかけたスタッフの信念と若き「ゴジラ野郎」たちの情熱、そして手作りともいえる映画制作のおもしろさを語りつくします。

感想・レビュー・書評

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  • 熱い。児童書とは思えないレベル。良い本でした。

  • 図書館で借りて読み。
    最後まで読めなかったがこんどまた借りよう。
    ゴジラ好き3歳児Aが表紙を見て盛り上がっていた。
    ラジオで言ってたが今年はゴジラが生まれてから65年らしいぞ。

  • 「ゲテモノ映画」
    かつてそう呼ばれた映画があった。
    それがかの有名な『ゴジラ』、その第一作目である。

    『ゴジラ』は東宝による大作映画として上映される予定にありながらも業界としての評判は最悪、まともにスタッフを集めることも難しかった。
    映画の監督となった本多猪四郎も、
    「こんな映画を撮ったら、今後まともな映画が撮れなくなる」
    と言われ、仕事を受ける際に躊躇するほどであったという。

    そんななか、この映画の重要な特撮パートを担当したのは、当時映画業界で戦争映画の特殊効果を担当しながらも立場としては低いカーストにいた円谷英二と、映画の製作経験が全くないズブの素人たちだった。

    この本には彼らの奮闘の日々、そして驚くべき撮影テクニック、アイデアの全てが詰まっている。

    まさに全てのゴジラファンと特撮ファンに向けたノンフィクションの決定版と言える内容だ。

    蔵書無し
    H29 11/28 ビブリオバトル準チャンプ本
    銀の4号

  • ★★★★☆
    世界でもっとも有名な日本の怪獣ゴジラ。
    さいしょは「戦争・核兵器の恐怖を背負ったおそろしい存在でした。CGではなく様々な工夫をこらして撮影した、第一作のゴジラの舞台裏をみる。
    制作者たちのゴジラへの愛情が伝わってくる。
    (まっきー)

  • 予想と違って超面白かった
    ゴジラは単なるパニック怪獣映画ではなかったのね
    特撮を一から作り上げたのが円谷組なのかあ
    やっぱりワンマンと手足が新しいものを生むのかもしれない
    ああ天才には奴隷として尽くすしかないのよね
    ゴジラ見たことないけどなんでか泣きそうになった
    コンファゴが日本に一台しかなかったなとか驚きだし、伊福部さんが放射線障害とかしらなかったし、てかN響が音楽だったとか驚きの連続
    これは観るしかないな
    しかしまた同じことを繰り返そうとしている日本はやっぱりバカだと思う

  • 映画を作った様々な人々の熱い情熱を感じることのできる一冊で、特撮の技術や、スタッフの意気込みには脱帽。
    それ以上にゴジラという映画に込められた反戦・反核・平和への願いを考えずにはいられない。
    一度見たことのある映画だが、見返してみるとさらに感慨深い作品となりそうだ。

  • 最後まで興味深く読み終えた。
    円谷英二による特撮映画『ゴジラ』(1954年10月完成、翌月封切り961万人観客動員)がどのようにして生まれ、どのように作られたかが沢山の写真とともによくわかる。
    敗戦9年目の物のない時代、はじめての特撮映画を手作りで創りあげたスタッフ、ゴジラ野郎たちの情熱、凄まじい仕事ぶりに脱帽した。
    おりしも敗戦9年目、世界は東西冷戦時代へ。
    各国で核兵器が開発され、1954年3月には第五福竜丸がアメリカの水爆実験で被害を受けた。
    水爆実験により目覚め巨大化した怪獣ゴジラには反核・反戦・平和のメッセージがこめられていることを深く知った。
    これは映画を観なければ!

  • ゴジラを知らない人はまずいないでしょうが、ゴジラとはどんな怪
    獣かと聞かれて正確に答えられる人も少ないのではないでしょうか。

    ゴジラは、水爆実験によって巨大化した水生古代生物、と映画の中
    では説明されます。この年3月、ビキニ環礁でマグロ漁をしていた
    第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びて被爆する事件が起きますが、
    それをきっかけに構想されたのが映画『ゴジラ』でした。水爆実験
    という設定が出てくるのはこのためです。

    広島、長崎での原爆に次ぎ、水爆まで経験させられるという理不尽
    さに対する怒りと、放射能への恐怖(「水爆マグロ」等、食品の放
    射能汚染が問題になります)。当時の日本人が感じていた怒りと恐
    怖を象徴する存在が、ゴジラでした。

    上陸したゴジラは、焼け野原から復興したばかり東京の街を滅茶苦
    茶に破壊し尽くします。ゴジラの圧倒的な破壊力を前に、人々はな
    すすべがありません。でも、ゴジラが完全な悪役として描かれるか
    というとそうではないのです。悪いのは水爆実験をした人間じゃな
    いか、という問いかけが根底にあるから、何が悪なのか一義的には
    決まりません。結局、この映画を作った人達は、ゴジラを通して、
    そういう人間の矛盾を描こうとしているのですね。そのことが、物
    語に深みを与えています。

    当時、全編特撮による怪獣映画には前例がありませんでした。だか
    ら、悪戦苦闘の連続です。加えて、制作期間はたったの8ヶ月!

    この驚異的な仕事を成し遂げたチームの中心メンバー達は、意外に
    若くありません。企画の発案者であるプロデューサーの田中友幸は
    44歳。 特撮監督を務めた円谷英二は53歳。本編監督の本多猪四郎
    は43歳です。

    普通に考えたら、ぼちぼち守りに入る世代ですよね。でも、彼らは
    人生を賭けて新しいことに挑戦してゆくのです。それができたのは、
    恐らく戦争の経験があったからなのでしょう。30代、40代という脂
    の乗った時期に敗戦を経験したことが、歴史に残る作品をつくる原
    動力になったのだな、ということが本書を読むとよくわかります。

    福島を経験した我々は、後世に対して何を残すことができるのか。
    そんなことを考えさせられる一冊です。また、これまでにない新し
    いものをつくるとはどういうことなのかを教えてくれる一冊でもあ
    ります。是非、読んでみて下さい(映画『ゴジラ』も是非!)。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    円谷は給料の半分を撮影技術の研究費につぎこんでいたため、生活
    は決して楽ではなかった。当時のキャメラマンは、そんな円谷を見
    て言った。
    「あいつのやっていることはわけがわからない。いつもだらしない
    かっこうで、ずぼらな生活を送っている。ツブラヤじゃない。ズボ
    ラヤだ」

    本多はある光景を思い出した。それは広島の光景だった。原爆に焼
    かれ、草木も茂らない静まりかえった街。
    「あんなむごいことが二度とあってはいけない。この作品にそんな
    メッセージをこめることはできないだろうか」

    話し合っているのは、アルバイトの主婦や美術大学の学生たち。本
    当の素人集団だ。田中は映画関係者だけでなく、いろいろな立場の
    人から、アイデアを集めたかったのだ。

    撮影所の中では、相変わらずキワモノ的な目で見られていた。
    「ゴジラなんてわけのわからんものが、うまくいくのかよ」
    そんな声をスタッフは聞き流し、ハードな毎日に耐えたのだった。
    「今に見ていろ。きっとみんなの目を画面にくぎづけにしてやる」
    逆境をバネにする、みんなの思いは同じだった。

    「どうせこわされるんだから、中なんて作る必要がない」
    そんな声もあった。たしかに一瞬にしてこわされてしまうビルの中
    身など、だれにも見えないように思う。けれど、内部を作りこんだ
    ミニチュアと、何もないがらんどうのミニチュアとでは、そのリア
    ルさが格段にちがうのだと円谷はくり返し言った。

    とにかく様々な工夫をこらさなくては、先へ進まない仕事だった。
    「キワモノ」「ゲテモノ」と呼ばれ、どんな仕上がりになるのか見
    当もつかない映画だ。恵まれた環境を与えられるはずもなかった。

    「放射能が火でないことはわかっている。映画的なウソである。し
    かし、目に見えない放射能を、目に見えるカタチにしなくては、核
    兵器の恐ろしさを伝えることができない」

    自分の仕事が終わったから、あとは関係ない。そんなふうに考える
    人間は、ほとんどいなかった。だれにも「手伝わされた」という感
    覚はなかったのだ。何より「この映画を完成させたい」という願い
    と熱意を持って、進んで作業に取り組んだのである。『ゴジラ』の
    制作に関しては、すべてのスタッフが徹夜続きの連続だった。

    悪いのはゴジラ?ちがう。ゴジラは出てきたくて出てきたわけじゃ
    ない。巨大になりたくてなったわけじゃない。放射能(白熱光)を
    はきたくてはいているわけじゃない。本当なら、海底の奥底で平和
    に暮らしていたかったのかもしれない。では、たたき起こしたのは
    だれ?巨大にしたのはだれ?ただ陸へ上がって歩いているだけなの
    に、殺そうとするのはだれ?いつもワリをくわされているのはだれ?

    敗戦から9年。戦争の痛手は、人々の生活にも心にもなお影を落と
    していた。本多の描く「逃げまどう人々」に、空襲で焼き出された
    自らの姿を重ねる観客も多かった。

    本編の監督をつとめた本多猪四郎は、原爆で荒れ果てた広島の光景
    を目の当たりにしていた。本多は『ゴジラ』の制作に入るとき、田
    中と円谷の三人で
    「撮影にあたり、われわれ自身、荒唐無稽の怪獣映画との照れの気
    持ちを絶対に持たないこと。原爆の恐怖に対する憎しみと驚きの目
    で作っていこう。現に目の前に、原水爆実験で蘇生した、とてつも
    ない怪獣が日本へ、東京へあらわれたらどうするか、その現実感の
    ねらいを忘れないで撮影しようとかたく申し合わせた」と記してい
    る。

    この水爆実験で発生した大量の死の灰を浴びて、無線長だった久保
    山愛吉(当時40歳)が亡くなったのは、半年後の9月23日、す
    なわち『ゴジラ』公開の一ヶ月半ほど前のことである。久保山は死
    の直前、「原水爆による犠牲者は、わたしで最後にしてほしい」と
    いう言葉を残した。この事件をきっかけにして、日本国内に強力な
    反核運動が起こる。

    日本が原発開発への第一歩を踏み出したのは、奇しくもゴジラ誕生
    と同じ1954年だった。「原子炉築造」のための調査研究予算が衆議
    院を通過した3月4日は、第五福竜丸事件の直後で、報道される前
    だった。この事件のあと、反核平和の住民運動が高まりを見せるが、
    一方ではアメリカの意向を受けて、一部の政治家やメディアによる
    「原子力の平和利用」キャンペーンが推進され、原子力はエネルギ
    ーや医療などに利用可能な技術として、好意的に受け入れられるよ
    うになる。三度の被爆経験にもかかわらず、なぜ日本で原発が受け
    入れられたのか。むしろ、被爆国であり、悲惨な経験をしたからこ
    そ、平和利用に希望を託したのかもしれない。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ●[2]編集後記

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    週末、南相馬に行ってきました。避難指示解除準備区域に指定され
    た小高地区の住民達との話し合いの場に参加するためです。5月の
    第一回に続き、第二回目の集まりでした。

    震災から二年以上がたって、今更話し合いでもなかろう、という意
    見もあるでしょうが、二年間、完全に時が止まってしまった原発周
    辺の住民達にとっては、これからのことについて、集まって話し合
    う機会すら、これまでほとんどなかったのです。

    勿論、話し合っても、状況の難しさがわかるだけで、何も解決しま
    せん。放射能問題は、本当にどうしようもなく難しい。難しさの前
    になすすべもなく呆然とするしかないのですが、そうしていても人
    は年をとっていきます。子どもはどんどん成長するし、老人達は身
    体が動かなくなってゆく。判断できないけれど、判断を停止してい
    ては、どんどん事態は悪化するばかりです。

    選びようがない中で、選ぶことを迫られている。それが小高地区の
    住民の抱える悩みの根本です。人生は、結果を見通すことができな
    い中での選択の連続ですが、それにしたって何か拠り所が欲しい。
    拠り所があることが、希望がある、ということなのかもしれません。

    ある住民の方は、子ども達が住めるようになるまで、あと何十年も
    かかるかもしれない。その頃には自分はもう土の中だろうけれど、
    でも、自分が生まれ育ってきた土地に、50年後でもいい、自分の子
    孫達が住んでいてくれたらなあと思う、と仰っていました。未来が
    描けなくなってしまった土地に生きてきた人々の不幸は、過去から
    未来への時間の流れが途切れてしまうことなのですね。それは、先
    祖代々の命のつながりが断たれる、ということでもあるのでしょう。

    どこに生きていても、命はつながっていけるし、そうやって人は住
    む場所を広げてきました。でも、特定の場所と強く結びついてしま
    うのも、また人の命の性質なのかもしれません。命が場所とわかち
    がたく結びついていること。それが東北の凄さであり、同時に、難
    しさなのでしょう。

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著者プロフィール

山口理(やまぐちさとし)
東京都に生まれる。28年間の教師生活を経て、執筆に専念。自転車で日本縦断し、富士山頂を走り回り、また時には徒歩で利根川の河口から源流まで歩き通すなど、腰の落ち着かない作家である。ただし最近は、寄る年波のせいか、車を使って愛犬とふたり(?)で日本一周の旅をするという、軟弱者に成り下がった。
 登山も常に単独行で、あまりの知られていない山や、登山者の少ない山を選んで登る、といった偏屈な一面がある。(プチ遭難の経験あり)ペットとして、臆病な柴犬の「こゆき」と、凶暴ネコの「たまご」を飼っている。
 主な作品に、『直樹の学校戦争』(小学館)、『風のカケラ』(汐文社)、『時のむこうに』(偕成社)、『ぼくの一輪車は雲の上』『ゴジラ誕生物語』『リターン!』『ロードキャンピングカーは北へ』(いずれも文研出版)など多数あり。

「2022年 『生き抜け!遭難の五日間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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