倫理21

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582702248

作品紹介・あらすじ

子供の犯罪は親の責任なのか?具体的な問題を通して、いかに生きるべきかを徹底的に問う。戦争責任とは?環境への責任とは?そして、未来に対するわれわれの責任とは?21世紀の新しい世界を構想する思想が、ここにある。

感想・レビュー・書評

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  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/25462

  • 第十章「非転向共産党員の「政治責任」」のみ読了

  • 少年による犯罪が続いています。それに対して、すぐテレビでは「今の教育が悪い」「親の育て方にも問題があるのでは」などと言われます。もちろん正しい一面もあるとは思いますが、それだけで片づく問題ではありません。脳の障害という可能性もあるし、いろんな環境要因がからんでいると思われます。さてそれでは親は責任をとらなければならないのでしょうか。私にはその質問に答えることはできませんが、個人的な直感としては、親が被害者の遺族に対して何らかの責任はとるべきだが、だからといって、親が社会から「抹殺」される必要はないと思います。それでもきっと「世間」は許さないのでしょうが。本書の大半は哲学の話です。ざっとみても、カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル、フロイトなどの名前が見つかります。私自身哲学は嫌いではないですが、そんなにしっかり勉強したことはありません。こんな本は読めそうにありません。だけど、目次を見ると、最初にあげたような具体的な話がたくさんのっています。それにつられて買ってしまいました。もちろん、タイトルにもつられています。「倫理」ということをこれからしっかり考えないといけないと思っています。それは現在に対してだけではなく、過去や未来に対しても責任を持つということです。具体的には環境問題や遺伝子組み替え技術などがあるでしょう。それらに対し、自分の生き方の中で、どのように考え、取り組んでいけばよいのか。本書の「はじめに」を読むだけでも、ヒントが得られるような気がします。
    同じく柄谷編著の「可能なるコミュニズム」(太田出版)は21世紀の経済を模索している。マルクスなんて読んだことのない人間にとって、かなり難解ではあるが、何か具体的な可能性を見つけ出せた気がする。柄谷さんが「具体的には何をしたいのか」と問うていたところが印象的だ。

  • カントと時事。

  • 自由とカント

    当時の社会問題・状勢と重ねながら倫理哲学についての思考を重ねる。
    それぞれの民族性はあるにして、日本特有と思われる思考に「子の不始末を親・庇護者が謝罪する」というものがある。
    けれど、この行為により子の自由を侵害しているのだと著者は述べる。自由と責任が表裏一体なら、謝罪により責任を償う行為は自由の侵害にもなる。
    「自由である」状態を定義するのは難しく、人は外部からの刺激を受けて思索なり行為なりをとるわけで、真に自由であるためには「自由であれ」という命令の下でしか達成できない。

    外部の刺激、というとまず他者が想定されるわけだが、以外にも人は「対話が可能であり、共通の価値観を持つ者」という限定者のみを想定して他者を語るから混乱が生じる。
    歴史を紐解くと、今ここに存在する他者というのはごく限られていて、書物を通して去来の人物との対話やまだ生まれぬ未来の人物も当然他者として想定できる。
    この関係の非対称性こそまさに典型的な他者である。
    すると、これらの他者とは対話すらできないわけだ。
    にもかかわらず、死者の印象が変わることは往々にしてある。それは死者が変わったのではなく、我々自身が変化したためだ。
    死者は変わらないことによって、我々の変化を明るみに出す。

    あと、
    ・戦争の責任(責任の所在、天皇の扱い)
    ・責任の4つの区別(刑事上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上の罪)

  • 示唆に富む良書。ですが私の読解力では咀嚼に時間を要しまして(とほほ)でも噛り付いてでも読みたい内容でした。

  • 半分くらいまではぐいぐい引きこまれて読んでいたのだが、後半戦争責任の話題が前景化してくるとつまらなく感じてしまった。

    でもまあ元々そういう本なので、2010年夏のM.サンデル東大講義での戦争責任の話題を思い出しながら読んでいた。
    こう目次を俯瞰すると、1章の「親の責任」に関する話題から最終章の「世代間倫理」の話題まで、綺麗に接続されていることがよくわかる。
    ちょうど今、カントの勉強をしているところなので、基本軸にされているカント倫理学の参考にもなった。

  •  この本は凡百の本よりも格段に面白い。柄谷行人の本はこれが初めて。
     主としてカントを土台に倫理とは何かを論じている。著者はまずカントの立場に立脚して、人間を「自己原因としての自由」を持つ、すなわち自律により動いている存在とした上で、倫理の問題、環境問題、戦争責任などについて触れていく。そして、最後に至っては、資本主義からの脱却、社会主義への移行を唱え、その移行は自律的なものによる、すなわち倫理的な問題なのだとしている。
     『倫理21』とは21世紀、あるいはそれ以降においてなされる倫理的行為(=社会主義への自発的移行)を示したものであることが分かる。
     柄谷行人はただの左翼でも半端なマルキストでもない。彼は『認識せる、真のマルキスト』なのである。

    【補足】僕自身は左というよりもむしろ保守的な考え方をするのだが、この本はそんな立場抜きに面白かったのを覚えている。


  • <P>
    柄谷行人の『倫理21』を、Y君はもう読んだのですね。<BR>柄谷は最近カントのことをよく引き合いに出していて、この本はその柄谷のカント解釈のまとめにもなっていると思いますが、柄谷のカント解釈を云々する力は僕にはないです。きっと柄谷のカント解釈なんてとってもクセの強い、哲学プロパーの人には鼻持ちならないようなものだろうと思いますが。哲学などというものは、結局は自分の関心に引きつけて読まなくては意味のないものでしょうが、哲学を学問としている限りは、それなりの流儀で、それなりの扱い方をしてやらないとつまはじきされてしまいます。しかしわれわれとっては、そんなことは結局どうでも良いことです。<BR><BR>さて、『倫理21』の内容に関してですが、しばらく前に読んでいていま詳細にそのことを書く準備が整わないので、簡単にしか感想を書けないと思いますが、どうせ書くならもうちょと準備してきちんと考えて書きたい、そう思わせるほどにこの本のことは面白いし、価値があると考えている、というのがまず最初の評価です。<BR><BR>おそらくポイントは、一方で「主体」とは想像的なものであり「自由」はその意味では存在しないにも関わらず、「義務あるいは至上命令」に従うことにおいてのみ、それ(「自由」という理念)は存在すると書かれていることの意味をどう理解するか、ということにあるでしょう。「統制的理念」という柄谷の最近のキーワードがそこに絡んでくるのでしょうが、きっとこれは必ずしも新しいことを言っているのではないにも関わらず、我々にはとても新鮮で新しく感じ、新たな(こういって良ければ)闘争の空間を開いてくれているように感じます。<BR>というのは、われわれが長い間かかずらってきたのは、「主体」というものが想像的な産物であり、「自由な主体」などというものは存在しないという主題であって、そこでわれわれ「知識人」が(というのはもちろん二重の意味でシニカルに書いているのですが)なし得るのは基本的にはその現実を批判することであり、その批判の可能性が、すなわち闘争の空間の可能性であったと思われるのですが、そこのところに、ぽっかりと別の空間を柄谷が開いて見せてくれているように思われるからです。<BR><BR>したがって、われわれとして(というのは、構造主義的な--と柄谷に書かれている──「主体理解」にかかずらってきた者としてという意味になりますが)検証しなければならないのは、もういちど立ち戻ってその想像的な「主体」理解と「統制的理念」のもとにおける「自由な主体」の関係を問うことでしょう。これもきっと新しい問題ではなくて、「古い問題」に属するのでしょうが、それを再び持ち出してきているのが、もしかしたら新しいということなのかもしれません。<BR>柄谷のこの本においては、「想像的な主体」を捨象して、「自由な主体」をある原則のもとに論じることが可能であり、あるいはそうすることだけが可能であり、またそうしなければならない、ということになるでしょう。<BR>ひょっとしたら「実践的」という言葉の意味をこれまで自分はよく知らなかったのかもしれない。というのも最近メルロ・ポンティの昔好きだった文章の中に「実践的」という言葉を見つけて、そう思って読み返すと、この言葉はカントに由来していたのかと思われるからです。これももうちょっとよく調べてみないと分からないことですが、そのように考えてみることはメルロ・ポンティの言葉をあらためて刺激的に見せます。<BR><BR>時間がないので、今日はこれだけのことしか書けません。また機会があれば、もう少しまともなことを書いてみたいと思います。<BR>では、また。<BR></P>

  • 主にカントと責任についての論考だが、講演を基にしたものであるためか時事問題もからめていて分かりやすい。

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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