- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582762785
作品紹介・あらすじ
13世紀後半から14世紀にかけての「文明史的」「民族史的」な転換期。鎌倉幕府法の世界と、商業・金融の発展により激動し始めた社会の矛盾の中で中世社会はどのように変質していったのか。
感想・レビュー・書評
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古い本だが、さすが大物揃いだけあって論点がわかりやすくまとめられている。
網野善彦の話は、異形の王権以降のようだが、問題意識は同じ。
佐藤進一はあまり発言がないが、ついていけなかったのか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本中世史の代表的研究家である佐藤進一・網野善彦・笠松宏至の鼎談、網野・笠松の中世史の概説、網野単独の論考、そして「平政連諫草」・「誡太子書」・「吉田定房奏状」・「北畠顕家奏状」の4史料の読み下し・注解を収録する。従来の「農本主義」的な世界観・歴史観からは捉えきることのできない商人や海、山の勢力が南北朝動乱の原動力になったという網野の捉え方は鼎談や解説論文でも見取り図として描かれているが、それに対する佐藤・笠松が各々の視点から検証していく様が鼎談からはよく分かる。とりわけ、笠松は繰り返し網野が注目するような社会現象・集団が、当時の裁判システムにおいてどの沙汰に属するのかという質問を繰り返しながら、そうした集団における紛争解決の手法を捕捉するべきことを説いており、法制史的な見方と社会史的な見方が生産的な議論に生かされている実例を見る思いがする。
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佐藤進一 網野善彦 笠松宏至
「 日本中世史を見直す 」
1章は 中世史に関する 鼎談。三者に 相違点があって面白いが、わからない言葉が多いので 訳注が必要。どのテーマにおいても 佐藤説が 一番わかりやすい
鎌倉→建武→室町の中で変化した 共同体の仕組み(国司と守護、武士の主従関係、官司請負制の撤廃、自治的村落など)について、三者とも高い問題意識を持っている?
後醍醐政権の成立経緯
*佐藤説〜専制国家をつくる=公家と武家の制度を壊す
*笠松説〜北条政権からの連続
後醍醐の政治、支配原理
*笠松説〜「地頭→百姓」を「主人→下人」に取り込む→天皇が「主人→下人」の上の位置を占めようとした
*佐藤説〜一天万民
貨幣紙幣発行計画
*網野説〜後醍醐は 商業金融の人など(はずれ者)を組織化し政権が成立→はずれ者を登用したため 発行が計画された
*佐藤説〜貨幣は天皇がつくるものという理念から出たもの
分権(守護)について(佐藤説)
*後醍醐政権〜国司と守護の並列→国司の統治権の強化→守護を官僚化
*守護=地頭の領域的支配権と主従性的支配権の両面を持つ
*南北朝期は 守護の権限強化〜半済分給権限、裁判権など
*官司請負制の撤廃〜後醍醐の極端な集権制
相伝と遷代(笠松説)
*地頭→百姓の関係は相伝〜永続性あり、モノの媒介あり、対等〜統治権に含まれる
*主人→下人の関係は遷代〜モノを超えた精神的支配関係〜主人権に含まれる
*中世社会に 相伝が進行〜相伝は秩序と安定をもたらす
*職の遷代化は 復古的→天皇以外は 全て遷代でいい に行き着く
はぐれ者の世界(網野説)
*遷代と相伝、官僚制と封建制などの世界の外の非農業的な世界→後醍醐は注目していた
2章 後醍醐天皇と足利尊氏〜建武の新政から南北朝の動乱へ
王権の危機感に対する後醍醐の策=専制化、独裁化
*天皇の地位を例外として、全ての職を遷代化
*官司請負制の否定
*職の体系の破壊→職の体系からはみ出た甲乙人、悪党のエネルギーを時代の表面に噴出
*宋風の官僚制、密教など新奇なものを取り入れた
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中世史の研究状況が鼎談で語られるⅠ章は苦痛だったけど、Ⅱ章の「後醍醐と尊氏」Ⅲ章の「転換期としての鎌倉末・南北朝期」はオモシロイ。
なかで「悪」の観念の変化はなるほどで、かつては、人の意思を超え、統御できないものが「悪」とされていた。だから人の欲望を無限に拡大する銭は悪であり、それに扱う商業も蔑視されていた。その価値観が変わったのが中世なのだと。中世は商業・金融主義に社会を移行させるだけの礎を有していたのかもしれない。家康が農本主義に逆戻りさせなければ、日本の社会はどうなっていたんだろう。 -
学生時代の教科書で、後醍醐天皇といえば、
「鎌倉幕府を倒したものの建武の新政は3年で挫折」レベルで
さらっと書かれて終わりですけど、
専制政治への改革がもたらした破壊力たるや凄まじいですね。
官司請負制を廃止して家格は無関係に、内裏は無礼講となってゆく。
鎌倉幕府の土地を中心とする儒教世界から、
拝金主義の貨幣社会へ移り変っていく独特の気風は、
現代社会を考える上でもたくさんのヒントを持っているのじゃないかと思ったりします。
今までは年貢=米のイメージが強かったのですが、
鎌倉末期には田畑の売買は銭で行われ、
年貢・公事も銭に代えて為替手形で送られていたというのが驚き。
宋元銭が浸透して、読み書きそろばんも広まったのですね。
大田文で田地に賦課していたのを、
後醍醐の時代には貫高から一定の比率で所得税を徴収しようとするのも、
いかに利益・貨幣価値を意識していたかということなんでしょうか。
室町ともなると有徳人は富裕者を指すようになり、
利子付き手形も出回り、土倉や借上が活発に活動し、
現代に通じる雰囲気があります。
Ⅲ部に
「「農本主義」を「文明」「徳」とし、貨幣と商業・金融を「未開」「悪」とする見方は、世界の諸民族・諸国家にもかなりの普遍性をもつとともに、中国文明の影響をうけたアジアの諸民族に固有な在り方でもあり」
とあり、欧米資本主義との真逆っぷりに感動しました。