- Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582833119
作品紹介・あらすじ
文明国標準としての辞書、国民統合の象徴、戦後国語教育…「私の辞書論」を超えて、辞書と批判的につきあうための基礎作業。ことばは誰のものか、ひとはなぜ辞書を引くのか。
感想・レビュー・書評
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辞書はどのような意図で作られ、どのように人々に受容されていったのか。ここには編纂する側の論理と使う側の論理とがある。だが今日に至るまで両者は決して交錯することはなかった。本書はそのズレを追っていく。
辞書は文明の象徴であり、辞書なき国家は文明なき国家である。明治の辞書編纂はそんなコンプレックスから始まった。しかしそうして出来上がった立派な辞書も普及しなければ意味がない。広辞苑のような中型辞書が広く一般家庭に普及したことで、その目的は一見果たされたように見える。が、実際には本棚の肥やしになっていることがほとんどで、たまに使うときも江戸時代以来の伝統である字引的用法でしか使われることはなかったとする。
近現代の日本において、辞書を引くことの習慣が十分に根づかず、そのためそれを通じたことばの規範化もあまりうまくいかなかったというのは、書名から想像していたのとは真逆の結論だった(そして平凡な結論でもあった)。結局のところ、辞書が国民に「政治的猛威」をふるったことはただの一度もなかったにもかかわらず、なぜこのような誤解を与えかねない書名を採用したのだろうか。私なら『辞書の社会史』とするところだ。
それにしても、一大国家事業である辞書編纂が、民間の手によって行われた(国家の介入がなかった)ことは、今考えると不思議である。民間作成の欧米辞書に単に倣っただけなのだろうか。国定辞書を作ったほうが、「正しいことばを決定する権利を国家が握っている」ということを効果的に示威することができたと思うのだが…。詳細をみるコメント0件をすべて表示