新書367差別原論 (平凡社新書 367)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582853674

作品紹介・あらすじ

「差別は自分と関係がない」、そう思う人が多いかもしれない。けれども、ひとをあるイメージで決めつけ、からかい、軽蔑する。そんなことはないだろうか。いってみれば、自分と世の中を繋ぐ一つの形が差別なのだ。さまざまな"構え"や"ぎこちなさ"を捨てれば、差別と"わたし"の生き生きとした出会いが生まれる。この問題と向き合うときの姿勢を語り、具体的に差別とつきあう方法を提案する。

感想・レビュー・書評

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  • 『「あたりまえ」を疑う社会学』を買ったのと同時期に購入したと記憶。レポート課題だったのか、線が引いてあります。でもその当時から、かなり読み込んだし、今でも繰り返し繰り返し読み返すことが多く、読み返す度にじっくり読み込んでしまう本です。

    私は差別について考えようということで何か読むならこの本一択だと思っています。どんな特定の差別について扱うにしろ、「差別をどう捉えるか」「差別とどう付き合うか」の基本はここにあるようにも思います。

    差別と一口に言っても様々です。
    「部落差別」のように過去の古い歴史が絡むものもあれば、「浮浪者差別」は現在進行形のその人のあり方に向けられています。
    性差別でも、「セクハラ」は男性・女性の区別が前提で、いわば「性の扱い方に関する差別」と言っていいと思いますが、「セクマイ」となると、男性・女性の区別はおろか、既存の性の扱いすらも離れた存在として、まさに生きている自分とその生き方を認めるか認めないかの差別になってしまいます。「性のあり方に関する差別」とでも申しましょうか。
    「ハゲ」だって気にする人には立派な差別です。「チビ」もそうでしょう。女性が「3高」と言って理想の男性像三つの中の一つに高身長を入れ、さも身長が高い男は素晴らしいと持てはやす風潮には暗に「チビ差別」があります。
    この本はそういった色々ある中のどれかに絞って書いている訳ではありません。「部落差別」が分量は多めですが、女性差別やゲイ差別、障害者差別など、分量の差はあれ必要に応じて十分扱っています。かと言って、どんな差別もひとくくりに「なくそう」「よくない」と言っている本でもありません。

    「差別をなくそう」とは言わない代わりに筆者が言いたいこと。それは「差別は『なくそう』と言ってなくせるようなもんじゃない。それほど根が深いし、日常のいたるところに根を張っているのだ」ということ。そして、「(特定の差別を扱って)『もうこんな偏った考えは古いし間違ってるし、今時そんな差別なんてないよ』『この辺じゃそんな差別なんてもはやないだろう』というのは決めつけであり思い込みにすぎない」ということだと思います。差別は起きてしまうものであり、「いま、ここ」の現実の出来事として起こるものという指摘、全くそうだと思います。

    ここに詳しくは書きませんが、私は「差別」で死にかけたことがあります。当時付き合ってた彼女と性差別に関する口論がキッカケで、自殺名所の某駅ホームに一緒に身投げしかけました。あの時の自らを思うに、動悸が止まらなくなるほどの大変切羽詰まった心理状況に置かれていましたね。差別が絡むとこんなにも人間関係に関して冷静になれないものかと思い返す度につくづく痛感させられます。

    私もそういう体験を経た今になって、つくづく「差別は根が深い」ことを繰り返し繰り返し思い知らされ、毎日のように反吐が出る思いをさせられる日々です。人権感覚とか言いますが、それを持つということはこんな感じなんじゃないかな。「あぁ、また人とは違うということでこんな扱いを……」というのを嫌という程味わい続け、どこに行っても苦虫を噛み潰し、砂を噛むような気分から抜け出せない。
    まぁ、差別や人権に真面目に取り組めば、そうなりますよ。
    だからこそ、そういう暗鬱から逃れられる「ジョーク」はいい特効薬だったりするんですよねー。

  • ・差別に関してだけではなく、人生のあらゆる場面にも応用できるという意味で、非常に示唆に富む一冊。
    ・差別はいけない、とは一言も書かれていない。私たちは日常的に何らかの差別をしている。それに気付いていなかったり、それを隠蔽する「装置」(例えば、「今のは失言だった」)を利用したりすることで、差別と無関係なつもりで生きている。実際、「○○差別反対」というメッセージを受け取るとき、私たちは自分が「差別者─被差別者」の二項対立の外にある「普通の人」であるというイメージを知らず知らずの間に想起し、「そうだね差別はダメだよね。よくわかる。でも自分はごく全うに生きていて、直接的な加害者じゃない。当事者同士で解決に励めばよい」という結論を下している。そして当事者同士でも、苦情を申し立てる被害者に対して、加害者は「紋切り型」の謝罪を行って終了、ということが往々にしてある。その苦情が、「生きた言葉」での対応を求めていたとしても。だから差別の上っ面にある「苦情→謝罪(あるいは賠償など)」の流れが確認されるだけで、なぜ差別をしたのか、その差別をしている自分をどう思うのか、などといった根本的な部分には踏み込まれない。
    ・感覚的に把握できる要旨だが、言語化するのが難しい。私たちはありとあらゆる場面で「カテゴリー化」を行うが、なぜそのカテゴリーに分けるのか?そしてそのカテゴリーに住み着く自分をどう思うか?そのカテゴリーに住み着くことは本当に必要なのか?など。だが、私は自分の選ぶカテゴリーについて日々自問自答することが、より楽しく面白い人生に繋がりうると感じている。例えば、今自分は、何らかの分野で「世界に通用する人材」になりたいと考えている。なぜ世界なのか?なぜ上を目指したいのか?なぜバリバリ働く人生がよいのか?このままのペースで進む人生のどこに自分は不満を感じているのか?…ちょっと問いのレベルが浅いが、これを深くすることも含めて、自分の人生を今一度真剣に考えてみたいと思った。

  • 知識が身につくと言うよりも、メッセージが伝わってくる本。
    書名が書名だけに告発的で深刻で啓発的な本なのかと思いきや、読んでみると思いのほかソフトな語り口だった。

    内容の骨子としては、いわゆる「差別」と称されるものが我々の日常にこっそり潜んでいて、多くの場合我々自身が看過してしまっているという話。「差別はいけない」などのフレーズの背後にある「自分たちには関係ない」(自分たちは差別することもされることも無い「普通の人」)という認識の危うさが浮き彫りとなる。つまるところ、カテゴリーによってその人の人格を判断するような決めつけこそ警戒すべき人の心性というところだろうか。この点で、本書での指摘というのはいわゆる「差別問題」というものに限定されるものではなく、生き方や人との付き合い方についての示唆を含んだものであると感じられた。

    常に自らの立場を疑う。
    著者の主張はそういうことだと理解したのだが、これはある種の向上心を持たない人間には全く無意味な提案だったりするようにも思われた。書中において過去の失敗談や、著者自身の育ってきた環境などがふんだんに織り込まれているのは、「どうして自分がこのように考えるようになったのか」をwhyではなくhowの形で具体的に説明するための工夫なのだろうか。

    著者の姿勢はそのまま一つの「モデル」である。
    故に、選ぶ側の自己決定のあり方―そもそも自己決定という行動は可能なのか―にまつわる問いが今後溢れてくることになるだろう。

    などと考えさせられる書物。なかなか良い。

  • 眠気をさっ引いてもオモロなかった。

  • (「BOOK」データベースより)
    「差別は自分と関係がない」、そう思う人が多いかもしれない。けれども、ひとをあるイメージで決めつけ、からかい、軽蔑する。そんなことはないだろうか。いってみれば、自分と世の中を繋ぐ一つの形が差別なのだ。さまざまな“構え”や“ぎこちなさ”を捨てれば、差別と“わたし”の生き生きとした出会いが生まれる。この問題と向き合うときの姿勢を語り、具体的に差別とつきあう方法を提案する。

  • 「普通」を、「いい人の自分」を、「常識」を思い切り揺さぶる本。
    誰かが正解と言っていることが本当か、疑問を呈すことを忘れるな。
    苦しさとともに、笑うことも忘れるな。
    難しいことを要求してくる本。
    清濁併せのみ、その上で、前に進むのだ。

    印象に残った箇所。
    ・ゲイである私たちを認めることが第一。
    ・この「仕方のなさ」や「本気でない」姿勢は確実に彼らに伝わり、人権問題を考えることは「仕方のない」こととなってしまうのである。
    ・二分法と「普通であること」の権力があわせて用いられるとき、「普通の存在」「普通の人間」=「差別とまったく無関係の存在」という図式が、かなりの説得力をもって、私たちの日常に降りてくるのである。
    ・(ジダンの頭突き)差別という行為が与える本質的な人間存在への痛み。
    ・言葉一つという差別が、人間存在の奥深くまで、一瞬のうちに侵入し、その人を完膚無きまでに痛めつけるのだと。
    ・「からかう」「わらう」という営みが、いかに「からかわれる」人に痛みを与えているのか。
    ・24時間テレビの過剰なカテゴリー化。
    ・障害者の反対語は、健常者ではなく、非障害者。
    ・中学生の同性愛者狩りの戦慄の理由。
    ・私たちが深く考えることなく、”普通に安住すること”は、差別にとって、この上なくよい”こやし”となるのだ。
    ・第一子の出産時の心拍数。第二子の出産時のへその緒の太さ。
    ・ジョークの本質は、差別を笑い飛ばすこと。

  • 「差別」というと、なにか取っ付きにくい印象があるが、
    この本は、題名に反して著者の体験談が多く入っており読みやすい。

    読みやすい中にも「差別」とどうとらえ、
    自分自身と関わりのある問題としてつきあって行くか、
    という事に焦点をあわせて、紹介されている。

    最後に、著者が「面白いと思った本」として多くの参考文献が紹介されており、更なる学習に役に立つ。

    以下、章ごとのまとめ。

    1章 ""差別の日常""という主題

    まさに、この主題がこの本のテーマである。
    距離をつくってしまいがちな「差別」というトピックに対して
    日常的にだれにでもあること、またそれを認めることで、
    「何か」を見つけられるのではないか?

    2章 差別とはなんだろうか

    著者による差別の再定義。しかし、明確に決めつけるのではなく
    どう考えれば向き合う事ができるか、という点に重点をおいている。

    3章 差別したひとと差別を受けた人の対話
    「確認、糾弾」という営みについて、その重要性と
    意味について説明する。
    「出口の無い」質問を考え、「いま、ここ」に向き合うことが
    差別を具体的に考え感じ何かをみつける「入り口」である。

    4章 差別を学び、目をひらく
    差別に関する2種類のセミナーについての比較
    事柄と「距離」を置かず、自分に関わる問題としてとらえることが重要

    5章 性的なからかいに対抗する
    頻繁におこる性差別に対して、あたりまえを疑問視する。
    おもわず差別してしまう瞬間に対抗することが重要。
    いかに、そうした姿勢をつくれるかが、差別の日常を生きる基本である。

    6章 決めつけ、思い込み、を崩す
    日常的に差別を考えることの手がかりとなるのが「カテゴリー化」
    様々な権力により「カテゴリー化」が行われている。
    決めつけ、思い込みと向かい合い、自分の中の問題理解や知識を思い返すことが大切。

    7章 「差別」を生きる手がかりにする
    だれでも差別をする可能性がある。
    普通であることは、差別をしない事ではない。
    当たり前であることを疑い、「いま、ここ」に向き合う

    〜淡々と「わたし」を見直し、「わたし」を作り替え続ける。
    その営みが差別を考え、差別を'' 意味なきもの’’にしていく原点であり、""ちから””なのである〜

  • 我々は常に差別をしてしまう可能性をはらんだ日常を生きているーーー差別的日常ーーーという考え方。周りとの一体感をもつために、意図せず、気配りのために発言した言葉が、「ゆがめられたカテゴリー」を知らず知らずのうちに、押しつけている。さらに、差別を自分とは関わりがなく、対岸で起きている出来事と考える態度を、多くの人が、罪なく、多くは無意識的に、見せている。

    健常者という言葉は、自分たちが障害者ではないことを示すために用いられるのであって、それは、健常者の反義語である「非健常者」という言葉の持つ意味と同義ではない。

    差別してしまう可能性と隣り合わせで生きている私たちが、常に、自己点検し、自分を少しずつでも変え続けようと努力すること、そしてその前提として、誰もが差別問題の当事者になり得るということを意識しているかどうかが大切ということだ。

  • [ 内容 ]
    「差別は自分と関係がない」、そう思う人が多いかもしれない。
    けれども、ひとをあるイメージで決めつけ、からかい、軽蔑する。
    そんなことはないだろうか。
    いってみれば、自分と世の中を繋ぐ一つの形が差別なのだ。
    さまざまな“構え”や“ぎこちなさ”を捨てれば、差別と“わたし”の生き生きとした出会いが生まれる。
    この問題と向き合うときの姿勢を語り、具体的に差別とつきあう方法を提案する。

    [ 目次 ]
    第1章 “差別の日常”という主題
    第2章 差別とは何だろうか
    第3章 差別した人と差別を受けた人の対話
    第4章 差別を学び、目を開く
    第5章 性的なからかいに対抗する
    第6章 “決めつけ”“思い込み”を崩す
    第7章 「差別」を生きる手がかりにする

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • とかく運動論や法律論で語られがちな
    「差別」について、
    社会学の立場から丁寧に書かれた本。

    被差別の方へのインタビューや参与観察を通して
    日常のやり取りに潜む「差別」、
    そして起きてしまった「差別」との向き合い方が
    見事に暴き出されていた。
    ディフォルメされていない、
    ありのままの会話の記述が非常に生々しく、
    読んでいて非常に印象的であった。

    とりわけ印象的だったのが、
    差別は『起こってはならないもの』ではなく
    『起こってしまうもの』として捉えるべきだということ。
    また主語のない「人権を守ろう」が
    「差別の当事者」となりうる意識を失わせてしまうこと。
    このことは差別問題を取り扱う著書では
    意外に見られない主張であるため
    読んでいてとても新鮮で、かつ衝撃的であった。


    本文については、上記のとおり非常に価値ある内容である。
    しかし「おわりに」で取り上げられている
    最近のいじめ問題に関する論の展開が
    あまりにも漠然としていたのが非常に残念。
    「いじめ」の定義の曖昧さを指摘しながら
    著者なりのいじめの捉え方が記述されていないし、
    そもそも「差別」を扱うこの著書の締めくくりで
    いじめを取り上げる必要性があるかどうかも疑問であった。

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著者プロフィール

日本大学文理学部社会学科教授

「2023年 『新社会学研究 2023年 第8号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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