信長家臣明智光秀 (923;923) (平凡社新書 923)

著者 :
  • 平凡社
3.61
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本棚登録 : 107
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582859232

作品紹介・あらすじ

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公・明智光秀の生涯を追う。信長研究の最新成果を知り尽くした著者だからこそ得られた知見をもとに、本能寺の変までを描ききる決定版!

感想・レビュー・書評

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  • 明智光秀について史料に基づいて忠実に書かれているという点では評価に値するが、私が求めていたのとは若干異なっていたのでこの評価に。
    でも、明智光秀が織田信長の家臣としてどのような働きをしていたのかはよくわかった。

  • 確かな記録が無いので、玉石混交の残された資料から類推するしか無いからこそロマンがある。
    謎が多い明智光秀なだけに、色々語られてきたが、本作は比較的論理的に説明がされている。
    それでも謎は謎。

  • 「信長家臣明智光秀」金子拓著、平凡社新書、2019.10.15
    231p ¥924 C0221 (2020.09.09読了)(2020.09.02借入)
    「本書は織田信長の家臣としての光秀の事跡をたどろうとするものである。よく知られるとおり、光秀の前半生には謎が多く、出自や信長に仕えるまでの経歴がわかるような良質な史料はほとんど残っていない。」(10頁)
    光秀が生きた時代の手紙、日記、細川家がまとめた史料等を基に光秀の事跡をたどっています。小説などと違って、時代を動かす戦の場面だけではないので、ちょっと面白みには欠けるのですが、史料から確実に言えることはどんなことかを知る上ではいいと思います。
    この本を読む限りにおいては、光秀が、信長から信頼されかなり重要な地位にあったように思われます。秀吉より地位として上だったようです。
    本能寺の変のきっかけとなるものの中に
    「もともと稲葉氏に仕えていた斎藤利三と那波直治を光秀が召し抱えたことにより、美濃の有力家臣稲葉貞通から抗議があり、信長の判断により直治が稲葉家に戻されたという問題」(199頁)
    があるそうです。
    「諍いのなりゆきとして、信長が光秀を殴打した」(206頁)
    このことが、本能寺の変の原因の一つではないか、ということです。怨恨説です。

    【目次】
    はじめに
    明智光秀の人物像を考える/光秀を語る史料/本書の構成
    第一章 織田信長と足利義昭のはざまで
    ふたりの主君に仕える/義昭と信長に仕えるきっかけ/上洛直後の活動
    五ヶ条の条書をめぐって/条書の不思議/条書の作成過程
    光秀があたえられた所領/信長のもとでの軍事行動/宇佐山城主として
    延暦寺焼討ちと光秀/坂本城主光秀の元亀三年/義昭の敵対/二重政権の象徴
    第二章 「天下」を維持する
    明智光秀と京都/所司代村井貞勝との協業/大和駐在/東美濃危機の背後にて
    苦難の摂津・河内攻め/しばしの休息/河内高屋城・本願寺攻め
    長篠の戦いと光秀/越前一向一揆攻め/越前から丹後・丹波へ
    第三章 明智光秀と吉田兼見
    明智光秀と吉田兼見をむすぶ細川藤孝/吉田家と光秀・藤孝/吉田接収騒動の不思議
    『兼見卿記』にみる光秀の城/光秀と兼見の血縁・地縁/光秀の大病
    馬揃えをめぐる光秀と兼見の関係
    第四章 明智光秀の書状を読む
    光秀文書の特徴/負傷や病気を気づかう書状/他の武将との比較
    病気見舞を受ける/自筆文書の特徴/主君への敬意/文人光秀の教養/書状の明晰さ
    第五章 明智光秀と丹波
    惟任日向守という名乗り/室町・戦国時代の丹波/義昭・信長政権と丹波
    丹波支配への布石/光秀の丹波入国/越前攻めと小畠永明
    越前平定後の丹波・丹後仕置/なぜ光秀が丹波と関わったのか
    波多野秀治の逆心と荻野直正らの帰順/義昭の動向と光秀大病の原因
    丹波攻略の拠点亀山城/多紀郡への出陣/八上城攻め
    光秀に期待する領主たち/丹波制圧/光秀の丹波攻略
    〈年表〉天正3年から7年までの明智光秀の行動
    第六章 織田信長殺害事件
    信長殺害事件の経緯/天正八年・九年の光秀/信長殺害の動機
    長宗我部氏の問題/斎藤利三・那波直治の召抱え/稲葉家との確執を語る史料
    信長による光秀殴打/家康の饗応/なぜ光秀は主君を殺害したのか
    光秀は謀叛の理由をどう説明したのか/信長の死に方/光秀の年齢
    おわりに
    主要参考文献

    ☆関連図書(既読)
    「謎とき本能寺の変」藤田達生著、講談社現代新書、2003.10.20
    「秀吉神話をくつがえす」藤田達生著、講談社現代新書、2007.09.20
    「本能寺の変431年目の真実」明智憲三郎著、文芸社文庫、2013.12.15
    「信長の棺」加藤廣著、日本経済新聞社、2005.05.24
    「秀吉の枷(上)」加藤廣著、日本経済新聞社、2006.04.18
    「秀吉の枷(下)」加藤廣著、日本経済新聞社、2006.04.18
    「明智左馬助の恋(上)」加藤廣著、文春文庫、2010.05.10
    「明智左馬助の恋(下)」加藤廣著、文春文庫、2010.05.10
    「鬼と人と(上巻)」堺屋太一著、PHP文庫、1993.05.20
    「鬼と人と(下巻)」堺屋太一著、PHP文庫、1993.05.20
    「国盗り物語 一」司馬遼太郎著、新潮文庫、1971.11.30
    「国盗り物語 二」司馬遼太郎著、新潮文庫、1971.11.30
    「国盗り物語 三」司馬遼太郎著、新潮文庫、1971.12.20
    「国盗り物語 四」司馬遼太郎著、新潮文庫、1971.12.20
    「下天は夢か 一」津本陽著、講談社文庫、1992.06.15
    「下天は夢か 二」津本陽著、講談社文庫、1992.06.15
    「下天は夢か 三」津本陽著、講談社文庫、1992.07.15
    「下天は夢か 四」津本陽著、講談社文庫、1992.07.15
    「秀吉(上)」堺屋太一著、日本放送出版協会、1995.12.21
    「秀吉(中)」堺屋太一著、日本放送出版協会、1996.04.30
    「秀吉(下)」堺屋太一著、日本放送出版協会、1996.10.12
    (2020年9月16日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    天正10年(一五八二)六月二日、世にいう「本能寺の変」が勃発、織田信長を討ったのは彼の家臣・明智光秀だった。いまだ謎めく謀叛の動機―。その解明のカギは「主君」と「家臣」という二人の関係にある。光秀の足跡を追いつつ、人物像にも触れることで、信長殺害までのいきさつに迫る。日本史史上、もっともミステリアスでドラマティックな事件。「なぜ光秀は主君信長を討ったのか」。

  •  NHK大河ドラマに便乗して出版される歴史本は、玉石混交というより大半が「石」だが、厳密な史料批判と研究史を踏まえた本書は数少ない「玉」であろう。著者がアカデミズムの正規のルートを経た専門の歴史学研究者であるから、というだけではもはや信用ならない嫌な御時世だが(実際本書の著者と同じ勤務先の別の研究者は、最近すっかり商業メディアに毒されおかしくなっている)、本書は原則一次史料(文書や日記)に即して、不明な点は深追いせず、確実に判明した史実から明智光秀の人物像や歴史的位置を慎重に考察している。光秀は同時代では例外的に病気や怪我を気遣う内容の書状が多いという指摘など興味深い。ただし「本能寺の変」に関しては二次史料を多用した「怨恨説」の焼き直しで疑問が残る。

  • 当時の書簡や記録から明智光秀の実像を浮かび上がらせている。小説やドラマからイメージしていた戦国武将の姿がよりリアルになったように感じる。大河ドラマ「麒麟がくる」を観るのが、また楽しみになってきた。

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著者プロフィール

かねこ・たく 1979年生。岩手医科大学附属病院岩手県高度救命救急センター。

「2022年 『DMAT看護師になりたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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