- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584121856
感想・レビュー・書評
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当時、日本一サムライが居た藩が薩摩。幕末当時、日本の全人口が3千3百万人。士族が188万人で6%弱。薩摩は人口87万人に対して、サムライが20万人も居て、比率が4人に1人。明らかに軍人都市。これで琉球貿易の裏会計で儲けた金に、キレもの島津斉彬。将校に西郷隆盛。天下狙うな、というほうが難しいわな。
愚直で馬鹿正直な松平容保の会津藩が、ココってタイミングに病死した孝明天皇と、いざって時に逃げた徳川慶喜のビンボークジ引かされたのがよ〜く分かる。一方で長州の遺恨も凄まじい。小物と滅多斬りされる木戸孝允か、、、。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
幕末の薩摩と会津を書いた本。
副題の「なぜ袂を分かったか」に迫っているとはあまり思わなかったが、
会津と薩摩の関係について書いた本のため、
やはりその辺りは分かりやすかった。 -
薩摩藩はあんまりおもしろくないですね。。←
立場がいまいちはっきりしない。
長州のほうが幕府や会津藩に対してひどいことしてるけど、
まだ調べるならやりがいある気がする。笑
会津戦争中の会津と薩摩の関わりがもっと知れたらよかったかなーと思う。 -
幕末期、或いは最大の“キー”であったのは薩摩であったのかもしれない…そんなことが感じられた…何処までも“正直”であった会津に対し、薩摩は「幕府の排除」を最終目的に、会津や長州や土佐といった諸勢力を巧く操り続けたのかもしれない…
これは非常に興味の幅を広げてくれる一冊である。 -
市立図書館が毎年恒例秋の整理期間に突入して、しばらく貸し出しできないので、家にある読んでない本(主にダンナ様が買ってきたやつ)を物色していて、これ見つけちゃったので読んでみた。会津と薩摩の因縁はいろんな本があるしいろんな説があるし、歴史ってどうしても調べて本にした著者の思い入れが入ってるから、政治的に人道的にどっちがいい悪いとか鵜呑みにはできないんだけれど。でも知らないこともたくさん載っていて興味深く拝読いたしました。この本のスタンスは、長州が悪であり、会津は幕末の犠牲になった雄藩であり、薩摩は会津の敵になってしまったけれどもそれは時代の流れがそうさせたことで、薩摩のことも高く評価している、そういう視点。だから薩摩藩民としてはキモチよくは読めました。桐野利秋も、人斬り半次郎の鬼剣客説は否定してますね。桐野利秋の生家、うちの実家のすぐ近くなので小さい頃からちょっと思い入れがあるんですよね。友人が末裔だったりもして。長州はだいぶ否定的意見が書かれてるからなんともいえないけれど、会津藩が幕末に徳川とともに身を沈めたのは、それはそれで美しい義の物語なんだよなあ、とあらためて思います。ああまた壬生義士伝読みたくなってきた。でもわずか百数十年前、人の一生二回分くらい遡った日本は、まさに命張って国や家を守ってたんだよな。政治責任を追及されれば文字どおり血祭りにあげられたり、事件の責任は上層部が切腹して詫びたり。100年後は人権なんてどう変わってるかわかんないね。まあそれはともかく、会津の松平容保ファンには必読の書、幕末の薩長VS会津徳川 の関係がいまいちわかんないなーという方の指南書としてもオススメ!です。
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購入:2008/07
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2008.7.19読了