- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591121535
作品紹介・あらすじ
「今夜と明日の晩だけ-明後日になればきっと払えるからね」。簡易宿泊所の常連にして無銭飲食の常習者、ナルザワ先生の恬淡たる生き様(尾崎士郎『鳴沢先生』)。冬間近い北海道で出会った零落の旅役者一座に、同情の念を禁じ得ない私。自らの放浪体験に題材を取った長田幹彦の出世作(『零落』)。病床に臥せった故郷の老母に思いを残しつつ、男は遊興にふける。美しい春の風景が胸に沁みる(近松秋江『惜春の賦』)。浮浪、落魄、そして漂泊-仮の宿に人生を託した男たちの物語。
感想・レビュー・書評
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いずれも大正〜昭和初期の作品だが、旅ものという設定もあって、描かれる主人公たちが一体どのようにして飯を食っているのか見当がつかない。おそらくは作家的な仕事をしているのだろうが、長期に渡って旅から旅へ、ブラブラ日々を過ごしながら孤独感に苛まれていても、現代からすると羨ましくはあってもまったく同情共感できるものではない。若くしてFIREした人みたいに見えてしまう。
まぁしかしどれも美文であり、読めば旅情を誘われることはまちがいない。49/100詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「鳴沢先生」
なんとも滑稽なお話だこと。
作り話を楽しむうちに、どんどんエスカレートしてゆく。
このナルザワ先生の存在自体が作られたものであることが示唆されるような結末だった。
まさに、酒の席の戯れ話だな。
「零落」
流れるような文章に、情景があふれているようだった。
一人一人の人生を持ち寄って、温めあい支えあっているか米納な一座。
旅に疲れた主人公にとって、そこは居場所となったのだろう。
例えそれが零落であったとしても、ぬくもりのあるところに人は寄るのだ。
「惜春の賦」
面白くなかった。
ふわふわしているだけの男の話。 -
尾崎士郎『鳴沢先生』
長田幹彦『零落』
近松秋江『惜春の賦』 -
尾崎士郎「鳴沢先生」安宿に集う人々の人間模様。やはり昭和初期にも男と女の色々なことはありふれた話であったことを感じた。
長田幹彦「零落」気ままな旅で北海道に渡って逗留していた作者が、旅役者の一行と親しくなり、年老いた役者から話を聞き込むうちに彼の人生に思いを馳せる。三作のうち一番読み応えがあった。
近松秋江「惜春の賦」気の合う二人の男が旅を重ねる。主人公は岡山の実家に病床の母を訪ねる。そうこうしているうちに電報で相棒に呼ばれ京都に向かう。
当時の作家の作品に光を当て、私小説から、本質的に変わるもののない人の心を読ませてくれる。