森恒二と言えば「ホーリー・ランド」が代表作。非常に内省的で、引きこもりがちな主人公ユウがボクシングを覚え、夜な夜な不良をボコボコにする「ヤンキー狩り」を繰り広げる。暴力と暴力のぶつかり合い、命のやりとりの中で自分が生きていることを実感出来る場所として夜の街が「ホーリー・ランド」とタイトルされている。
しかし物語は、ユウが暴力・肉体のぶつかり合いから精神的成長を遂げそうになったり、社会と関わりを持ちそうになる度に、タイトルに引っ張られるように夜の街の暴力に引き戻されるという展開だった。僕も読者としてもユウが純粋な暴力の塊となるシーンに何故か高揚は感じた。だけど、いくら「あしたのジョー」的に真っ白になるまで戦おうと、それは単なる路上暴力であり、端から見れば「ホーリー・ランド」と呼ぶのは無理があった。
多分、作者的には格闘技(スポーツ)を通しての成長物語を超える何かを描きたかったのだとは思うが、残念ながら物語は一種の袋小路に入って終わったように思えた。「ホーリー・ランド」というタイトルも、「なるほど、こういう物語だからこのタイトルなんだね」と読者を納得させるだけの収め方も出来ていないように思う。
今回の「自殺島」は、ほぼユウと同じような性格(見た目)のセイという少年が主人公である。何回も自殺未遂を繰り返す彼は病院で差し出されたある書類にサインをする。命を絶つことを望む契約書。「もうすべてから自由になりたい…」と昏睡状態に陥るセイ。しかし、再び目が覚めると、そこは見知らぬ、絶海の孤島だった。周りにいるのは同じように送られてきた自殺未遂者達のみ。そこは生きる権利を放棄したものが送られる「自殺島」だった、というような導入部。
繰り返し自殺島に送られる以前に感じていた生きる事への疑問、孤独感が語られてはいるが、基本的にこれはサバイバルの物語となっている。「ホーリー・ランド」のユウが頭が真っ白になる状態で路上ファイトを繰り返したように、たまたま弓矢に深い知識を持っていたセイは自ら弓矢を作り、森に入り、動物を狩ることに没頭していくことになる。
ここで、一つ編集と作者のこの作品を始めるに当たっての会議(?)が頭をよぎる。全部、こっちの想像だが。
作「ユウはさ、結局、どんなに強くなってもどこにも到達出来なかったよね…」
編「まあ、タイトルが、路上ファイトこそ『ホーリー・ランド』なんだって宣言しちゃっているからねぇ」
作「そう思うとあのタイトル失敗だったよね」
編「まあ、でも、路上ファイトでユウが獣のようになっちゃうシーンが一番面白かったのも事実だし」
作「まあ、そうなんだけど…。あのユウが獣みたいになって、頭が真っ白になって、敵を狩るシーンがそのまま、一つ大きな意味を持てる展開にしたかったんだよね」
編「そりゃ、そういう設定にすればいいじゃないの」
編「例えばさ、サバイバル。絶海の孤島かなにかでさ。動物を狩る。ヤンキーじゃなくて。生きる為に。仲間を助ける為に」
作「…なるほど」
みたいな。つまり、「自殺島」は「ホーリー・ランド」のリライト、袋小路に入らない為にはどうしたらいいか、ということから考えられた設定のような感じがしたのだよね。逆に言うと設定にそれ以上の意味はあまりなく、「島の謎」めいた話とかはあまり出てこない。ひたすらサバイバルとセイの狩りを通しての心情の変化が描かれていく。
ただ、主人公の内省度、暴力没入度、堂々巡り度は相変わらず強く、これだけの舞台を与えられても果たしてセイはなにがしかの所に到達出来るのか、読んでいて若干不安になる。果たしてセイくんはどこかに到達できるのか、「到達できないかも?」と思わせるところが、実は森恒二の最大の魅力だったりするのかな。