- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594068080
感想・レビュー・書評
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「毒親」も、ずっと関心をもっているキーワードだ。著者の家庭は、両親ともそれぞれ異なるタイプの毒親で、とくに長女の著者はヤングケアラー的な役割も負わされてきた。
子どもの人格、人生に、親というのは否応なしに影響を与える。それが「親ガチャ」で決まるという恐ろしさ。
著者は、遠回りをしたけれど、自分の置かれた状況を客観視し、マンガという表現方法でそれを吐き出し、自分の人生をリセットさせた。
精神科医の解説にもあるように、「(こころの)病理は世襲する」が「運命は変えられる」。
想像を絶する困難だろう。たどり着けない人もいるだろう。
でも、1人でも多くの人が、世襲の鎖を断ち切って幸せになることを応援したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
親は有難く、親は重い。
子供は親にしたがって生きていくしかないから。自分が親になってから急に、親に対しての寂しさとか理不尽さとかそういうものが溢れだしてきて辛かった。だけど、全ての経験で今の自分が出来上がったこと、それを認めてあげたい。 -
耳子さんの克服のきっかけが、自己啓発や心理学や、「スピ系」、「あの世系」の本と実践だったということにすこし立ち止まらせ考えさせられるものがあった。
生まれる前の魂がクリアすべき課題を作って、環境を選んで生まれてくるという考え方を知って、耳子さんは自分の人生を肯定することができたという。
「無理をしすぎても義務を果たそうとしてしまう。できないを口にできない。」
アダルトチルドレンの漫画家耳子さんが、どうやって「生きづらい」人生を克服して、本当の意味での「自立」を果してきたか・・・よりも、ここまでの道のりを「コミックエッセイ」という形で振り返ってきたスタイルが、「文章」よりも、堅苦しくない伝わり方。
話は変わるが、
スピ系で、親や家庭問題を克服する物語や体験談は、自分のいたカルトで散々耳にしてきて、その当時感動していた自分がいるので、自分の中が分裂するような混乱を覚えたりしたのだが、
間違っていたのは、すべてを自分の中に取り込もうとする教祖、教団であって、スピ系が悪いのではない。「毒親の乗り越え方」自体は、普遍的に心ある人が研究して書いているのだ。
偉そうな態度の信者達や教祖にむっときたりつい反射的に反応してしまうこともあったが、「ああ、彼らも間違いを通して学んでいる最中なんだな」と思うと、「ほっておこう」と思えるようになたりしました。
本当に、人生無駄なことはないし、もう終わりなんてことはない、学びだなあ、と本書を読みながら膨らませていた考え。 -
妹と弟にはそうでもないのに、長女だからと全て背負わされてしまったタイプの毒親育ち。
でも妹は放置ぎみで弟は過干渉な気がするので、それぞれに悪影響があったのだろう。
母の呪縛を解くために、スピリチュアルな本などで考え方を変えようとするのはいいが、やはり頑張りすぎてしまうようなので宗教などにハマらないか心配になってくる。 -
毒親のもとで育ったという松本耳子さんのコミックエッセイ
なかなかのハードな人生なんですが…
耳子さんの語りがおもしろすぎて
笑って楽しく読めました。
だってね、
お父さんの戸籍がなかったことからスタートして
いきなりのバブル生活
でもって、いきなりの破産状態
気分次第のお母さんに
ヤクザな借金まっみれのお父さん
あと、私が好きだったのはおばあちゃんの包丁の話かな…
もうね、耳子さんがグレないでちゃんと生きていたことは、それだけですごいよ!
あとがきでご本人が書いているのですが
「不幸自慢にはしたくなかった。
頑張ったドヤ顔自慢にはしたくなかった。
親に対して恨みつらみをぶちまけるつもりもないし、
責めるつもりもない。
それが世間では「毒親」という恐ろしい呼び名の親であっても、自分の親はやっぱり好きなんです。」
この部分にじ~ん!
親に文句ばっかり言っている子供たちよ~
この本を読め~
いや、そういう私こそ親に文句ばっかり言ってるよね…
ホントすみません。 -
読了しました。「毒親」「AC」「機能不全家族」を正面から扱ったコミックエッセイは『母がしんどい』『ゆがみちゃん』と来てこれで3冊目です。
何だろうなぁ……毒親本でありながら、「正直さ」が足りないように思えてならない読後感でした。
描くのも語るのも言葉を失うほどの、壮絶な、大変過酷な人生を歩んできたように、読みながら感じました。しかし、そうでありながら、そのことを大変あっさり描かれている。複雑な家庭環境、両親の離婚、妹さん弟さんのこと、借金、両親の死別……。沢山、「ありえへん」ことが、あったろうかと思います。ただ、それ以上に、やはり「傷ついた」「絶望した」「どうにもならなかった」「死ぬほど恨んだ」、そして、何より「悲しかった」と、そうなんじゃないかなぁ、と。こんな風に僭越ながら思いを致した次第です。
こんなことを言うのも、そのような憎悪とか悲しみという感情の描写が、甘いと言いますか、随分あっさり描かれているように思ったからです。実際にどうされた、こうされたという話に、緊迫感がないんですね。具体性がないんですね。もっと言えば、それぞれの出来事に対する扱いが異様に軽過ぎますね。「今振り返ればああだった」「あのときは分からなかったけど実際に起こっていたのはこういうことで」云々と、まるで本から借りてきたような分析臭い見方をして、過去を評価してお話を作ったような、奇妙な感じを覚えました。一つ一つを、何か力ずくで、カチッカチッと割り切って描いているように思います。私なんかは、その裏側にもっと割り切れない問題が山のように積まれていないだろうかと、これまた僭越ながら勘繰ってしまいます。
そして、最後の「両親の「呪い」が解ける」という箇所ですが、この著者は毒親から解放されたことのきっかけを読書体験、そしてスピリチュアルに依っていますね。ここは私自身と著者とで考える立ち位置が違うせいだとも思いますが、p.111のような「感情のデトックス」は、確かに解放感はもたらしてくれますが、所詮は一時的であって根本的な毒親からの解放にはつながらない気がしますね。「寂しさ」も「恨み」も「怒り」も「悲しみ」も「恐怖」も「不安」も「罪悪感」も、そも毒親に関係なく生きていれば誰だって一生付きまとうものだからです。生きている限り、寂しい時、人を恨んだ時、怒りが湧いた時、悲しい時、恐い時、不安な時、罪悪感に駆られた時、必ずあるのですが、その度毎に常に亡霊のように毒親のことが思い出されるとしたら、これは呪いが解けたといえるのか。「浮かんでくるたびに感じて昇華」していたと描かれていますが、それが結局は「自分に都合が悪いからごまかしている」に過ぎなかったということになっていなければいいなぁ、と思いました。確かに負の感情ではありますけれども、その負の感情として見てきたものに対して「何故そうなったのか」「だからこそ、何をしなければならないのか」を向き合う歩みとして、両親を「毒親」として見ることが大切になってくるんじゃなかろうか。決して、自分を肯定して欲しい、「かわいそうな私」として見て欲しい、というような承認欲求を満たすために、両親を「毒親」認定しているのであれば、それは間違い、明らかなごまかしと言わなければならないと、そう思います。
私も承認欲求が強い人間ですから、なかなか正直に自分のことを描けずに間違い、ごまかしを繰り返す一方で、権威のある書物にはついつい引っ張られて、八百万の神頼み、あの世がどうだ、現世ではこうだという話にまでついつい感じ入ってしまう人間なのでよく分かるんです。分かるからこそ、その点が正直感心しなかった。「あの家庭は事実どうだったのか」「何が本当の意味で両親を毒親にさせていたのか」「事実自分はどう悪かったのか」の考察が不徹底だとまで感じました。個人的にはそこが肝心だと思うんですけれどね。 -
あとがきが好きだった
いいこと書いてある!
人生をあなたが輝くために使ってください
素敵な言葉!!
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たくましく生きていらっしゃる
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心理
家族 -
条件だけ見たら(習い事とか)恵まれてる家庭だけど、それだけに精神面で機能不全な家庭で、きっと両親も残念だっただろうな。自らミッションを課して生まれてくる、同意!