日本国家の神髄 (扶桑社新書)

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  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594071837

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、昭和12年に発行された、文部省編「国体の本義」の解説書である。

    佐藤優氏は、国体の出発を日本神話に求めているが、それは、歴史の共有という点であり、今ある日本の国体からみて、日本神話から離れてもよいと、読んでいるうちに感じました。

    ここで言う「国体」とは、天皇でも、天皇制でもなく、日本人が、古来から、共通にもっていて、受け続けている、思想、習慣といった、ソフトウエアの面でのインフラとしての共通観念のことをいっている。

    結論は、日本古来の文化・根源である、国体に、西洋の優れた技術や、考えを取り込んで、土着化させることで、日本民族を発展させよう。である。

    氏が、「国体の本義」を取り上げたのは、新帝国主義国である、米、露、中、英、独、仏と同様に、新帝国主義国である、日本が国家として生き残るために必要な思想であるからである。
    くうか、くわれるかである国際社会で、生き残るためには、「国体の本義」という思想が必要であると佐藤優はいっているのである。

    国体とは、国家を成り立たせるための根本原理であり、成文化されていない見えない憲法こそが、国体である

    日本は、過去中国の文化を積極的に受け入れて、その思想を土着化させてきた。その究極たるものが、「国体」である
    だから、国体とは、日本の古来の文化・風習のみを継承するのではなく、海外の優れた技術や文化を吸収し、土着化してしてきたわけである。
    このため、現在日本にとって、もっとも最重要な課題とは、欧米近代文明の成果を土着化して、日本の国体の中に取り入れることである

    各国にはちがった歴史の視座があってもおかしくない。

    ・日本人として共通の歴史観を共有するものは、古事記や日本書紀から続く古来の日本の文化、神の国であり、やまとことばである
    ・西洋の啓蒙主義がもたらした、合理主義、実証主義とは、あくまでも、個々人のためのものであって、アトム(原子)的世界観に基づいている。
    ・それがために、西洋啓蒙主義はそのままでは、日本民族には受け入れらない。日本民族とは、和をもって貴しとなす国民であって、君民共治の考えをもっているからである。
    ・西洋啓蒙主義を日本の文化として受け入れるためには、共同体意識をもったものとして、西洋文化を土着化させることこそが、喫緊の課題である。
    ・それができていないがために、日本古来の優れた、共治ではなく、あいまいな個人主義に陥っているのである。

    ・教育基本法と教育勅語の違いが、説話としてでてくる。教育基本法とは、人が作った方であるから、いかようにも、改良も、改悪もできる。
    ・教育勅語は、日本の伝統の中から、発見されて、文字に残されたものであるので、変更しようがないと説く。

    ・分からないものを、わからないと認めることができるのが、日本人の頭の良さである。
    ・だから欧米では痛い目にあった金融デリバティブで、日本人はそう痛い目にあわなかった。
    ・日本の社会原理は、稲作が中心である農本主義にもとづいている。そのためには、大いにもうけなくても、賃金は、生活に足るだけあれば十分とするのである。

    ・民族がまとまるためには、歴史が必要であり、それは物語である。それが、日本神話であるといっている。
    ・外国のように他民族を征服してきた歴史ではなく、日本のそれは、融和の歴史である、天照大神を主体とする日本の征服者は、出雲やアイヌ、琉球を、和をもって融和してきたのである。

    ・日本の君と民は、忠孝をあわせもつ、君は、親でもあり、民とは、臣でも子である。つまり大きな意味で家族のような共同体を形成しているのである

    ・日本の本義の中心にあるのは、和であって、個人と個人との関係もあるが、全体を共同体としてみなす和が重要である。

    ・このように、国体の本義の目的は、欧米の科学技術の思想を吸収し、和の思想によって超克することが目的となる

    ・和は日本人の社会倫理の規範であり、この和を担保する考えが、「まこと」である。まことは、智、仁、勇の三位一体の構成をもっている。

    ・まことある行為は真の行為である。真言は、よく真行となる。まことは誠であり、誠実である。これが日本人の根底をなしてる。

    ・没我帰一 日本人は、個体、個人を中心に存在するのではなく、人倫が存在してはじめて、その関係性の中で、個人が存在するとする
    没我帰一とは、各人が自己中心の考え方を捨てて一つにまとまることである。平時はばらばらでも、ことあれば一つにまとまることができる日本人の美点である

    ・明浄正直 明るく、浄く、正しく、素直な心を指す。自らに与えられた責務を国家、社会の一員として遂行することが、日本人に求められている社会道徳なのである。

    ・和魂漢才、和魂洋才、が必要である。日本民族と日本文化が存在するのと同時に、発展をするために、外来の知や技術を取り入れるということだ。
    ・それは我が国体に矛盾するものではない。真理は具体的であり、文化も真理の一つであるのであれば、文化も具体的でなければならない。

    目次

    新書版まえがき
    まえがき
    序章 忘れられたテキスト
    第1章 日本がつくる世界史
    第2章 永遠の今
    第3章 高天原の斎庭の稲穂
    第4章 「海行かば」と超越性
    第5章 まこと
    第6章 神の国である日本
    第7章 敷島の大和心
    第8章 没我帰一
    第9章 国民文化
    第10章 君民共治
    終章 普遍主義の幻想から国体の再発見へ
    あとがき

    ISBN:9784594071837
    。出版社:扶桑社
    。判型:新書
    。ページ数:360ページ
    。定価:920円(本体)
    。発売日:2015年01月01日初版第1刷発行

  • 2023/11/19

  • 産経新聞社『正論』2008から翌年まで「日本哲学の考究“回帰と再生と”」と題し連載され、「右翼(皇道派)」と闡明し、キリスト者ながら同じくキリスト者であった母とともに神社に参拝し、カミカゼ攻撃を肯定するなどで読者の反響は大きかったらしい。
     社会契約説に基づく人民主権は、おそらく人工国家であるアメリカ合衆国にしか成立しない。彼は征服と侵略でできた国/どの国も神話が国家の基となっている。古事記日本書紀も読まない者が日本を語るな。
     日本は征服戦争でできた国ではない。大国主大神の国譲り神話が鎌倉幕府、南北朝解消、戦国時代終結、明治維新に踏襲されている。

  • 日本人である限り、日本とは何か、という問いに何らかの回答ができなくては問題である。その問いに正面から向き合った本である。著者の主張は今では極端な右翼と勘違いされてしまうが、そのような昨今の状況こそが問題ではないか。

  • 2016年46冊目
    久々に参加した東京の読書会「3B」。6月の課題図書でした。
    「国体の本義」は戦前文部省が広く国民に読ませるために書かれた本であるが、戦後アメリカ占領軍が無かったことにしてしまた本。

    本書では佐藤 優氏がその内容を解説。
    日本人の本質は何ということを考えさせられる内容である。
    当時の文体と佐藤氏の解説が混じり馴染みが無いとかなり読みにくい本ではあるが
    日本人について考えるには大事なことがわかりやすく書かれている一冊

  • 「国体の本義」の本格的解説書です。
    本書を読むことで、日本の神話の意味がようやく理解できました。
    また、日本人の精神性がなぜここまで優れているか、これから日本人が何を守っていかなくてはならないか、について体感することができました。
    せっかく日本人なのだから、「国体の本義」に触れるべきで、できれば学校で教えるべき内容だと思いました。

  • 佐藤優に関するシントピックリーディング。
    キリスト者である佐藤氏がどのように愛国者的世界観を持っているのか興味があって読む。私もキリスト者であり日本が大好きなので、内容に大いに期待。

    ジムで読了。
    個人的には日本がそれだけ国体の具現化、神話のビジュアル化である皇統を精神的にも実質的にも尊んできたのは、天皇家がダビデの王権だから(つまり預言の成就)だと思った。天皇家がどれだけ世界にとって特異な王権であるのかが分かり、更にキリスト者として学んでいきたいと思った。とりわけ北畠親房の「神皇正統記」をもっと知りたい。



    下記に付箋を貼った箇所の要約をのせる:

    12-13:昭和3・7・11年のオリンピック三段跳びで日本人が大活躍。それを「日本人の偉さの研究」という本に代表される精神論(和式便所が踏ん張る姿勢が西欧より立派な人を作った)で美化される風潮
    「国体の本義」はそんな風潮を技術立国に修正すべく論じられた官僚主導の本。

    14-15:イスラエルには成文憲法がない。しかし母系で国籍を認める法規はある。イスラエルの国歌理念が分かる。

    16:大東亜戦争の意義はアジア解放という意味ではあった。しかし「国体の本義」が米英二帝国との戦争回避に失敗したことは直視すべき。

    29-30:北畠親房「神皇正統記」には「大日本(おおやまと)は神の国なり」という言葉がある。日本の民族主義を象徴する言葉。

    38:政治エリートが「国体の本義」にとどまれば戦争は回避できたのではないか。

    67-68:プロテスタント神学者、魚木忠一によると平田篤胤の復古神道を元にしている日本人は創造の神についてはすんなり理解している。それゆえキリストをかえって受け入れなくなっている(元々の概念なので)が、創造心を理解できる土壌には感謝すべきなのではないか、とのこと。

    87:佐藤優氏は国家に殉ずる気はあるが、官僚に騙され利用されるようであってはならない、という。

    105:小泉竹中は本気で日本を新自由主義化しようとした。あれだけバブルで踊っていた国民がこのときは踊らされなかった。日本人にある天のイメージは高天原。佐藤氏はこの高天原が日本人の深層意識にあり、集団的な拒否反応ができたのではないかと述べる。

    124:天皇に対する忠は西洋のような契約ではない。

    129:我が国体は神話によって担保されている。天皇が天地開闢の神々とつながっているという事が、日本人の信仰。

    160:個人よりも日本人としての和、そして日本人としての種が先行する。

    182:皇統を失った日本は抜け殻。(これはダビデの王権ゆえの信仰か?)

    255:キリスト教の神、あるいはそれ以前のヨーロッパの神々は現代の国家とは難の関係も持たない。それに対して日本の天皇家は国家開闢以来の神話とつながる。

    288:著者は「国体の本義」を解き明かす本書によって読者を「高天原」に誘いたいと述べる。

    292:花道に現れているように日本には主体と客体の流動性、支配と被支配の対立の融和がある。

    324:皇統の存在によって目に見える形で国体が存在するのが日本。

  • 思想には、中道はなく右翼と左翼しかないという言葉が印象的。
    「国のために死ねるか」どの国のインテリジェンス教育でも叩き込まれる考え方。
    親日保守という生き方。

  • 戦後GHQが禁書指定した「国体の本義」の本文を全て掲載しながら筆者が解説する。

    国体とは何か、そこに過去から未来まで変わらず存在し続ける日本の真髄こそが国体であり、国体の理解こそが今の日本に必要だと論じる。


    というわけで読み終わった。正直、本文は読みづらかったのだが内容は何となく把握した。

    戦後70年経った今、国体の本義というテキストには現代人の意識からは乖離した部分があると思うが、現代にも必要とされる思想も書かれている。
    読んで思ったことを書いていこうと思う。

    まず、国体の前提として、国体の本質は天皇を中心とした祭祀共同体である。そして高天原の御代から日本は神々の国であり続けるということ。

    この前提が現代人の意識から乖離しているように感じる。

    「神の国発言」で森総理が失脚したのは懐かしい話だが、この事からは「日本が神の国である」という思想に一般的日本人は忌避感を感じたという事だ。

    竹田恒泰の「なぜ日本は世界でいちばん人気があるのか」を胡散臭く感じるのに似ている(俺だけ?)。

    初詣には神社仏閣へ参り、それでなくても常日頃から神社に参り二礼二拍手一礼をする。
    そういった日常的に行う習慣を指して「日本は神の国であるから、あなたも神社に行くのだろう」と指摘されると、それは違うと思う。さして意味は無く、ただなんとなく、そうするのだ。

    そして、天皇は日本の象徴とされる。それはそうなんだろうと思う。しかし、日本の中心は天皇なのかと考えると違うと思う。

    一般的日本人は普段天皇の事を考えることはない。だから、そう思えないのだ。


    では日本の中心とはなんなのか。それはその時代の人たちが拠り所としたものではないのかと思う。

    明治より前は知らないが、明治政府が国体を書き記してからは天皇が、戦後に心の拠り所としての天皇を失った人たちが頼ったのは経済発展という夢だろう。

    そして、経済発展して伸び切った日本には拠り所が無くなった。日本の中心、拠り所の欠如がマイナス成長の原因ではないかとも思う。

    一部の人たちが拠り所にしたのは新自由主義だったり、拝金主義だったり、しかしながらそれらはまやかしに過ぎなかった。

    長くなってしまったが、国体の本質が天皇を中心とした神の国という意識は、すでに現代人の意識とは乖離していると思うし、その意識を取り戻そうとも思わない。

    橘玲の「(日本人)」では日本人こそが超個人主義的だと指摘する。俺にはこの考えのほうがしっくりくる。
    拠り所という人を束ねる存在を失った日本人が超個人主義に生きているから少子化、単身世帯の増加が起きているのだと思う(まさに俺)。
    一旦手にした個人という楽な状態を手放そうとはしないのだ。


    国体のテキストから現代に必要だと思ったのが「外来文化を土着のものとする思想」だ。

    西洋文化に勝てないと悟った明治政府が国体に書き記したのは、決して排外主義ではない。先進的技術を取り入れつつ国力を増強する方法だった。

    何故それが出来るのかは内田樹「日本辺境論」より、辺境民だから外来文化を独自に変えても知らないフリが出来るから、という理由が合っていると思う。

    日本には無かったSocietyという概念を「社会」と訳すなど、明治期の日本は異文化を咀嚼して日本の文化にする力があった。

    しかし、現代日本ではその力が失われている。外来語を単に横文字にしてありがたがっている。

    グローバル化の本質は、地元ルールの適用を断じて許さないことだ。世界は均質化の方向に動いている。
    アメリカが作ったルールをありがたがっている間に、日本独自の力が失われてグローバル化の波に飲まれて沈んでいる最中である。

    異文化を咀嚼して日本のものにする。この力を取り戻すことが重要だろう。


    そして、教育についてよいと思ったことがある。

    「なんで勉強しなきゃいけないの?」小学生のころ、誰もが疑問に思うことだろう。

    将来困るから、自分の可能性を広げられるから、様々な理由があるが、その理由は個人のために収束する。

    では、勉強して、いい学校に入って、いい会社に入ると良いのだろうか。
    全くそんなことは無かった。結局、今までの勉強が活かされているとは全く思わない。

    「国体の本義」で書かれているのは、学問は世のため、人のために行うというもの。
    これこそが「何のために勉強するのか」に対する答えだ。

    世のため、人のための勉強という意識を小さいときから教育することは必要だ。知力の飛躍的向上につながる。

    そして、ここに日本の問題の解決策があるように感じた。

    日本こそが超個人主義であると述べた。それは拠り所がないからだ。
    次の拠り所は世のため人のため「社会的繋がり」にあるのではないか。

    シェアハウス、ソーシャルワーカー、日本でも社会的繋がりを求める萌芽がある。

    人の役に立ちたい、と思い合う心が停滞した日本を救うのではないか、と思うのだ。


    うわぁ、長くなった。そんなわけで、以上。

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著者プロフィール

1960年1月18日、東京都生まれ。1985年同志社大学大学院神学研究科修了 (神学修士)。1985年に外務省入省。英国、ロシアなどに勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社)、『自壊する帝国』(新潮社)、『交渉術』(文藝春秋)などの作品がある。

「2023年 『三人の女 二〇世紀の春 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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