21世紀メディア論

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  • 放送大学教育振興会
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  • / ISBN・EAN: 9784595139703

感想・レビュー・書評

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  • 【97年時の「メディア論」のポイント】p32
    ①印刷術からコンピュータまでの情報技術史
    ②歴史社会的構成体としてのメディア
    ③メディアと関わる人間像の変化への注目
    ④国民国家の発展とグローバル情報化のなかのメディア
    ⑤未来を切り拓く媒介としてのメディア

    ★【「21世紀メディア論」のポイント】p38
    ①日常生活実践をこまやかに見つめ、対象化する
    ②技術中心主義にならず、技術と関わり続ける
    ③グローカルに拡大する格差に絶えず目を凝らす
    ④分析的、批判的でありつつ、実践的、能動的でいる
    ⑤メディアを歴史的にとらえ、その未来をデザインする

    ①について。
    さまざまな言説が溢れかえるなか、言説の皮膜を剥ぎとって当たり前のものごとであるメディアを捉えることは、取りも直さず研究者自身のアイデンティティや立ち位置を絶えず批判的に捉え直す営みに結びついている。

    現代の進化論では、先カンブリア紀に爆発的ともいえる勢いで、多種多様な種が発生したことが明らかになってきている。「カンブリア爆発」と呼ばれるこの現象によって発生した種は、現在の地球上に棲む生物よりもさらに多様であったらしい。こうした知見から、生物は単純なものから複雑なものへ、時間を経るごとに直線的に進化してきたというこれまでの考え方が大きく転換しつつある。
    Cf. グールドはこのような新たな進化観を「デシメイション(非運多数死)」と多様化というモデルで説明する。『ワンダフル・ライフ』1993
    →過去に構想されたか、あるいは実際に存在したものの、後に廃れたり忘却されたメディアの可能的様態。
    19世紀末から20世紀初頭に電気をめぐって欧米各地で同時多発的に生じていた現象は、「電気情報化爆発(あるいは電気メディア爆発)」と呼ぶことができる。p51

    【ソシオ・メディア論の歴史的補助線】p68
    ①メディアは時間をかけて社会的に生成される
    活版印刷術の実用化のあと、約3世紀をかけて新聞や書物はヨーロッパ社会に定着した。無線技術は19世紀末に実用化され、世界大戦を経て研究開発が体系化され、1920年代の大衆消費社会のなかに投げ込まれたことでいくつもの偶発的な要素が結びつき、ラジオ放送というメディアの社会的様態を採るようになった。無線と同じくらい古い歴史を持つテレビジョンが家庭用メディアとして定着するまでには、70年以上の歳月が必要だった。
    情報技術の進展の早さに較べ、それを受け容れる人間の認知や習慣、社会の規範形成の速度はゆっくりとしている。そのことは21世紀になっても変わらない。
    ②古いメディアの隠喩が新しいメディアを統率する
    eg. 「絵のでるラジオ」→TV
    ③メディアは社会的に定着する過程で独自の社会的様態を形成する
    ④新しいメディアは社会の周縁から出現する
    社会的様態がはっきりしない、新しいメディアに対しては、中心的なメディアから排除の力学が働く。
    ⑤制度的、産業的確立と可能的様態の忘却

    過去のメディアを知らずに現代のメディアを語ることはできない。過去と現在の事象を重ね合わせる想像力がなければ、なにが新しく、なにが変わっていないかの見極めができない。p76

    【日本の20世紀型メディアの特性】p87
    ①きわめて精緻な秩序体系を持っているということ。
    ②日本のマスメディアはこれまで大衆消費文化、すなわち国民メディア文化の鋳型として機能してきた。「日本人=国民=大衆」
    ③東京一極集中とローカリティのあいだで限定的多様性を保ってきた。
    ④とくに戦後日本のマスメディアはアメリカ傘下で独自の深化を遂げてきた。

    【情報技術とメディアの相関】
    メディアは情報技術を内包しながら、政治的、経済的、生活文化的な諸要因の介在によって社会的様態を整えていく。p100

    [SNS]
    ソーシャル・メディアという名称はやっかいである。これらが、重厚長大な技術システムを持ち一部の専門家が運営するマスメディアとは違い、誰もがさまざまなソーシャルなコミュニケーションに活用できる可能性を大いに持っていることは確かだ。しかしあくまでそれらはウェブ2.0の設計思想を共有したソフトウェアの総称であり、メディアの歴史社会的なダイナミズムをめぐる思想や理論からすれば、それらをそのままメディアとして呼ぶことはできない。少なくともこれから10年~20年といった時間の流れのなかで、ソーシャル・メディアと称されるソフトウェア群がどのように社会的諸要因と相関し、社会的様態を変え、定着したり、あるいは衰退していくかを捉えていく必要がある。p101

    【メディア論的な問題群】p102
    ミクロな「表象・身体・自己」の次元、メゾレベルの「社会・文化・表現」の次元、そしてマクロな「資本・政治・制度」の次元。

    (ソーシャル・メディアなど)の動きはメディアの内部にしか棲息できなくなっている私たちのアイデンティティや想像力をより豊かなものにしていくのか、より拘束していくのか。p103

    【マスコミ研究への対抗的な3つのアプローチ】p115
    ①マスコミュニケーション研究がほとんど度外視してきたメディアそのものの物質的、形式的な様態に注目し、その変化がいかにわれわれの心性や社会のあり方を変えていくかという点を挑発的に語った、ハロルド・イニス、マーシャル・マクルーハンらのトロント学派によるメディア論。
    ②アメリカのメディア資本が国際展開するなかで、先の文化産業論的な問題意識から、おもに第三世界の文化がイデオロギー支配されている状況を告発した、ハーバート・シラーらの文化帝国主義批判。
    ③イギリス労働階級のポピュラー文化に対する内在的批判からはじまり、マスメディアがもたらすイデオロギーとオーディエンスの交渉過程に注目したカルチュラル・スタディーズ。

    【トロント学派のメディア論】p115
    マクルーハンは人間の知識や文化が、活字に特徴的な要素還元的で線形的、視覚的なあり方から、テレビに象徴される電子技術に特徴的な、全体的、非線型的、触覚的なあり方へと地球規模で変化していくという展望を、古今東西の博学的知識と、詩的想像力を駆使して、予言的に示した。
    「メディアはメッセージである」:コミュニケーションの内容そのものではなく、コミュニケーションの媒の構造や機能への着目。
    メディアを文明論的なスケールから論じた:粘土板からパピルスへ、電信から電話へといった情報技術の変化は、たんに便利さをもたらすだけではなく、それを活用する人々の意識や感性、文化様式や国家のあり方までを変化させる。→後に、技術中心的なメディア観として批判の対象にはなったものの、それ以前のマスコミュニケーション論、文化産業論などとは明らかに異なり、技術、メディア、社会、人間の相関をとらえる視座だったといえる。

    イニスはマクルーハンより10年近く前から、コミュニケーションのためのメディアには特有の傾向性(bias)があり、それぞれの時代に中心的なメディアの傾向性に即した国家や社会が立ち現れること、ひとたびそのメディアが瓦解し始め、新たな傾向性を持ったメディアが台頭してくると、それまでとは異なる国家や社会が出現することになるという、壮大な文明の循環論を提示した。
    イニスは主に政治経済的、地理的なマクロな観点から、マクルーハンはおもに認知心理的、文芸的なミクロな観点からと、切り口のちがいはあったものの、マクルーハニズムの真髄として今日語られることの多くは、じつはイニスが先鞭をつけていたのだった。

    【カルチュラル・スタディーズ】p119
    ①マスコミュニケーション研究とは対照的に、エスノグラフィーなどの人類学的な質的実証研究や、メッセージに盛り込まれたイデオロギーの記号論的分析などが方法論として用いられた。それらはヨーロッパを中心とする構造主義以降の現代思想のさまざまな知見と結びついていた。
    ②フィールドや研究そのものがはらんでいる文化の政治性に照準し、批判的な内省を促した。
    ③理論や思想的営みであると同時に、労働者階級や移民の子弟のメディア教育(メディア・リテラシー)や、オルタナティブ・メディアの実践活動もはらんでいた。理論や思想と教育や実践のバランスのうえで、越境的で横断的な思潮として成り立っていたのである。

    その他:フランス・アナール派の社会史はメディアの歴史社会的研究に大きな影響を与えた。
    そして情報技術と社会の相関をとらえるためには、技術史、科学技術社会論、科学技術コミュニケーションも不可欠だろう。p122

    媒体と媒介性そのものへのアプローチがデジタル化、グローバル化が進み、情報技術システムのアーキテクチャに切り込まなければ文化現象をとらえられないような今日的状況においてこそ有効性をはらんでいる。

    新しい時代のメディア論もまた、コミュニケーションをめぐる思想史(eg. イニス)や、メディアの歴史社会的知見を十分に踏まえたものでなければならない。p131

    【媒の形態学からデザイン論へ】p132
    メディア論の根本には、さまざまなコミュニケーション現象の媒となるモノやコトを見つけ出し、そのありようを対象化し、媒とコミュニケーション現象の相関に注目していくという「ものの見方」と、そのような「ものの見方」を概念装置として操作する素養やセンスが横たわっている。

    [コミュニケーション研究、ジャーナリズム論、メディア論]
    コミュニケーション現象をそのものを主にアンケート調査を用いた量的分析によって理解しようとするのがコミュニケーション研究。一方で、新聞をはじめとするマスメディアの報道活動のあるべき姿を追求し、報道の実態を取り上げ、規範的観点から批判、論評するのがジャーナリズム論。
    これに対してメディア論は、コミュニケーション現象やジャーナリズム精神を媒介し、成り立たせているところの「モノ」(物質的なるもの)や「コト」(できごと、現象)をめぐる形態学(morphology)的な関心に支えられて成り立っている。たとえば、新聞報道の中身そのものではなく、その新聞がいかなる政治経済的背景のなかで事業として成り立っているのか、どのような情報技術を用いて製作されているのか、いかなる配達システムを持っているのか、どのような場所でいかなる人々によって購読されているのかといった「かたち」にこだわって現象をとらえようとする。p132
    Cf. 日本ではマスメディア産業論、英米系ではメディアの政治経済学と呼ばれることが多い。
    →「モノ」や「コト」の「かたち」、物質的な意味だけではなく、社会的な意味を含めた「形態」や「様態」としての「かたち」に着目した研究。
    ⇒それは必然的に「かたち」を実態として固定的にとらえるのではなく、歴史社会的に造形されたことがらとして、未来に向けて操作可能なことがらとしてとらえていく観点を持っているはずだ。
    ここに至ってメディア論は、いわゆる人文社会科学的な分析調査、観察の学であることを逸脱し、広義の造形学、デザイン活動としての可能性を本性的に内包していることを露呈するのである。
    そして広義の造形学的な特性を持つメディア論は、本来的に理工系の諸学問や、アート、デザインとの多様な結びつきを持ち、学際的、総合的、「文理越境」的な性格を持つべきなのである。
    このことはベンヤミンやマクルーハンが、人文系の学問のなかだけではなくさまざまな世界の事物を対象にメディア論的な想像力をめぐらせていたこと、そしてその結果としていまだに広告業界、放送業界、先端的情報技術領域、学校教育、メディア・アートといった領域で繰り返し「召喚」され、参照されているという事実とも符号するものだ。p133
    ⇒私たちが取り組むメディア論もまた、コミュニケーションの媒となる「モノ」や「コト」の広い意味でのデザインを通して、これからの情報社会をより豊かなものにしていこうという意志と観点を内包している。
    このように考えてくるとメディア論は、潜在的にデザイン論なのであり、デザイン論である以上は技術から文化に至る多様な次元において実践的な展開を射程に入れた知の営みとしてとらえられるべきなのである。p134

    【メディア論の困難を超えるために】p134
    ①実践的メディア論は、歴史社会的研究、理論・思想研究、あるいは実証研究と横並びに位置づけられるものではなく、それらを包括するようなメタレベルの方法論的戦略を包含した営みとしてとらえられる必要がある。
    ②実践的メディア論は、これまで人文社会系の諸研究が担ってきた批判的分析知と、工学やデザイン研究が担ってきた能動的創造知をアマルガムのように組み合わせたものである。
    ③ワークショップなどの実践を媒介として、実践的メディア論はこれまでともすれば乖離しがちだったアカデミズムと市民社会のあいだに回路を生み出していく。
    それはアカデミズムの知見を一般の人々にトップダウンで啓蒙普及していくということではない。学問知と日常知が相互作用する中間地点で、新たなメディアを生み出したり、メディア・リテラシーや表現をデザインしていくことが重要になってくるのである。
    ⇒これら3点を内包した実践的メディア論は、たんに実践を志向するのではなく、実践のなかで批判的覚醒を深め、批判的思考に裏打ちされたメディア実践を展開していくという性格を持っている。その意味で、これらを「批判的メディア実践(critical media practice)」と呼んでおこう。p136

    情報技術の普及発展は、政治経済的、社会文化的に引き起こされるのであり、「自然」に起こるわけではない。現実には、グーグルやマイクロソフト、ディズニーに象徴される巨大メディア資本がグローバルに増殖し、私たちのメディアの生態系を深く規定している。p146

    今眼前に拡がる状況を歴史社会的な文脈のもとで批判的にとらえ、能動的な働きかけによって新たな状況を造成していく可能性に向けてつねに開かれている姿勢を手に入れること。

    柔軟で異化や脱構築の契機をはらんだメディア遊びと結びついたかたちでのメディア・リテラシー。そうしたものを身につけた人々は、さまざまなメディア表現を通じて社会的なメディア実践をおこなうことができるだろう。Cf. パブリック・アクセス
    ▲メモ:旧ユーゴ地域の多民族国家で「正義」と「メディア」を教えることの可能性と展望。

    【失われた環の復元】p150
    20世紀初頭のシカゴ学派(eg. ジョン・デューイやG.H.ミードなど):その研究は多民族が集う都市的状況のエスノグラフィーを踏まえ、福祉やケア、労働者のエンパワーメントにまで及んでいた。
    ヨーロッパ思想の解釈だけでなく、目の前に拡がる膨張するシカゴという都市の諸現象に積極的に介入し、具体的な課題を克服するような実践的活動をおこなうなかで、教育やコミュニケーションについての思想を結晶化させていった。

    スチュワート・ホールは労働者階級向けのポピュラー・メディアに関するテキストブックを書くことから研究を始め、学問的批判研究と実践的教育を車軸の両輪としてとらえていた。

    21世紀社会のなかで私たちは今一度、メディア論という領域において創造と批判、表現、実践と思想の循環を回復させていく必要がある。p151

    【メディア・リテラシーとはなにか】
    メディアの技術的活用、批判的受容、能動的表現という3要素のバランスが肝要。

    【マスメディアの市民的新生は可能か?】p203
    マスメディアを新聞紙や番組といったプロダクトとしてとらえるのではなく、コングロマリット化したメディア資本としてとらえるならば、その影響力は依然として大きなものである。マスメディアの文化的影響力はいまだ日本社会のなかで消えてはいない。

    【批判的メディア実践の構図】p214
    Cf. カルチュラル・プローブ(cultural probe)

    歴史社会的認識から出発して未来のメディアを市民参加型でデザインしていくという批判的で実践的なメディア論を指向するパースペクティブ。p226

  • 日本のメディア研究はアメリカを追随するのではなく、独自路線で研究スタイルを固めていった。
    メディアは生態系か?技術進歩や資本だけでメディアはできるのか?

  • メディア研究の困難性と広がり、深さ、源となる点を確認。ビオトープという概念だけが、どうもメディアを論じるのに、いま一つ適していないように感じる。それ以外の箇所は、刺激的だった。

    気になった記述。
    ・メディアの働きは、「伝達」と「共有」の複合。
    ・メディアとしてのケータイ研究の難しさ(※量子力学で言う不確定性原理に近い)
    ・メディア論は、批判的で実践的なスタンスが求められる。
    ・古いメディアの隠喩が新しいメディアを統率する。
    ・新聞統合のプロセス(※権力は巧みだ。都道府県に一紙をうまく残すとは)
    ・メディアは社会的に生成する。
    ・メディア論はマスコミ的なあり方だけでなく、生態系をなすようなありかたを含みつつある。
    ・共同体的なコミュニケーションにもケータイは可能性を持っているのではないか。
    ・韓流はアジアで最後の方に日本ではブームが来た。
    ・外国人に限らず一般人びとは、最初から他者に向けて語りたい物語などほとんどもっておらず、あるのは歴史から娯楽に至るマスメディアがもたらす物語ばかりだと言うことだ。

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著者プロフィール

水越 伸(みずこし・しん):1963年生まれ。東京大学大学院情報学環教授を経て、現在、関西大学社会学部メディア専攻教授。

「2023年 『メディアの生成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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