- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784596428905
感想・レビュー・書評
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現代人は、集団的に加速思考症候群という病に罹っている。
脳に入る情報が多すぎると、思考のリズムが乱され、コントロールもできないまま暴走してしまう。
ものすごい速さで場面展開する映画は、誰も見続けることはできないが、自身の加速思考がつくり出すドラマには何年も耐えてしまう。
これでは心身が疲弊してしまう。
思考過多は、心を生き急がせ、時間の感覚を歪める。
生物学的には長生きでも、感情的には早死にしてしまうのだ。
感情の質やバランス、奥深さが失われれば、ほんの些細な喜びを得るために、多くの刺激や称賛、評価が必要になる。
加速する思考は脳を激しく疲弊させ、さまざまな症状と深刻な不安を生み出す。
ペースの遅い人、呑み込みが悪い人にイライラしてないか?
テレビのチャンネルをしょっちゅう変え、皆と出かけても5分もすれば退屈してストレスを感じ「もう帰ろう!」と叫んでしまっていないか?
思考が加速すると言っても、棋士の先手読みのような能動的で合理的なものではない。
意識的な意志を差しおいて、無意識下でどんどん思考が構築されてしまうのだ。
無意識の現象は自己の許可なく思考を生み出し、自己を破壊し、奴隷化し、閉じ込めてしまう。
思考には罠がある。
思考により他者を十分に映し出せるとか、真実が反映されていると誤解することがそれだ。
その誤解が偏見や嫉妬を生み、知らぬ間に他人を決定付け、裁いてしまう。
暴力やイジメも社会的な要因からではなく、感情がもたらす思考の構築の歪みにある。
思考は仮想的なもので、思考対象そのものを取り込むことはない。
親が子を想い、教師が生徒を考え、寄り添ったつもりになったとしても、そこには埋める事のできない距離が存在し、ゆえに不安を感じ、少しでも見えない橋をかけようと、途切れることのない思考に駆り立てられるのだ。
この時の思考の構築は、何も自己の決定によってなされる意識的なものばかりではない。
無意識下で三つの現象(引き金、オートフロー、記憶の窓)によっても、思考は構築される。
私たちは、日々無数に構築される思考を完全にコントロールすることはできない。
車の運転に例えると、左に曲がりたいのに車は右へ進んでいくといった恐ろしい現象が、人間の心ではしょっちゅう起こっているのだ。
舞台で言えば、自らがスポットライトに当たる主役の時もあれば、傍観者のように舞台を眺める観客でしかないこともあるように。
心の舞台では、意識的な意志である自己が主役であるべきで、無意識下の三つの現象は、あくまで自己を輝かせるための脇役でなければならない。
主役であるべき自己が、心の舞台をいかにコントロールすることができるかなのだが、かといって無意識下の現象がいかに我々を助けてくれているかも重要だ。
我々は、外的・内的を問わず様々な刺激によって引き金が作動し、記憶の窓が開かれることで、瞬時の知覚が可能となり、言葉や音、映像を認識する事ができる。
引き金は自己を大いに助ける反面、残忍な処刑人にもなってしまう。
引き金が病んだ記憶の窓を開くと、間違った行動や歪んだ解釈、または偏見に満ちた解釈につながってしまう。
この窓をキラー窓と呼び、その他の記憶情報へのアクセスが遮断され、さまざまな恐怖症、依存症、強迫症、うつを生むのだ。
本来であれば、何かが起こったときに、瞬時にできる限りたくさんの記憶の窓が開き、理性を働かせられるようにするべきだ。
しかしキラー窓は、無数にある他の記憶領域へのアクセスをできなくしてしまう。
記憶の回路が閉ざされると、人間は動物のように本能的な反応を示すことしかできなくなる。
記憶のオートフローとは、無意識下で行われる記憶の読み取りで、自由なアイデアやインスピレーションを生み出す一方で、読み取る記憶の起点がキラー窓だと、逆に恐怖やパニックを生み出してしまう。
あるいは質の悪い思考に取り付かれ、起こりそうもないことを心配し、取りこし苦労を重ねてしまう。
また、優れたアイデアも、過剰な情報や思考によって生み出されることはない。
アインシュタインもそうだが、創造性のレベルを決定づけるのは、いかに多くの情報を取り込むかではなく、厳選した情報をいかに編集するかにかかっている。
加速思考症候群を重症化させやすいのは、教師や医師、弁護士など知的職業に携わる人たちだ。
献身的で意識の高い人ほど強いストレスを抱えていることが多い。
もの忘れも脳が発する警告で、日常的なもの忘れは、脳の防御機能なのかもしれない。
脳は、「自己が思考を管理できずに疲弊していると認識したとたんに、本能的なメカニズムを作動させて記憶の窓を遮断し、思考を減速させてエネルギーを節約しよう」とするのだ。
脳は、加速思考症候群によって引き起こされる過剰な思考をコントロールしようと、特定の記憶の窓を遮断する。
注意欠陥や多動障害だと診断された子供も、実は加速思考症候群なのかもしれない。
遺伝的なものではなく、過度の刺激や多すぎるおもちゃ、情報過多、活動過多によって後天的に現れた可能性がある。
情報の洪水は、記憶容量をオーバーさせ、オートフローを活発化させる。
急速に記憶が読み取られはじめ、コントロールできない速さで思考を生み出される。
こうして加速思考症候群が生じるのだ。
とりわけ情報過多が加速思考症候群の大きな原因なのだがら、情報や刺激のフィルタリングが何より必要なのだ。
「幼稚園から大学院まで、私たちは膨大な情報を叩きこまれるが、心の働きについて教えられることはなかった。従来の教育方法では、過剰な競争を強いられる情報過多な現代社会において、自身の感情を守る方法、喪失やフラストレーションへの対処の仕方、ストレス性刺激の取り除き方、自己をコントロールする能力は一向に育たない」
だからこそ、幼少期から自己をコントロールする術を学ぶべきなのだ。
感情や思考を管理する自己を育む必要がある。
社会に見捨てられても孤独は癒せるが、自分自身に見捨てられたらほとんど希望はない。
充実した自由な心を手に入れるには、加速思考症候群を緩和させ、感情の成熟を促すことが肝要だ。
苦しい感情や思考が生じて心が沈黙するとき、心がけるべきテクニックがある - 「疑う・批判する・決断する」だ。
何だと思うかもしれないが、魔法のような解決法は存在しない。
それと子どもの人格形成プロセスにおいて効果的なのは、「ああしなさい、こうしなさい」という言葉による指摘ではなく、親が自発的に示す行動にある。
手本を示すことだ。
手本は言葉以上にものを言う。
そして子供自らの自発的な行動こそが、自由な心と健全な窓を育てるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よくわからなかった。
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うーん。
「加速思考症候群」そのものについては大いに共感するのですが、そこから先が無い本だったと思います。あくまで「気付くまで」の本なのかなぁ…
あと、肝心の「加速思考症候群」に関して詳しく述べられだすのは中盤以降。その点、注意が必要な本かもです。 -
著者が研究する現代の心の問題について書かれている。偏った部分も多いので気になるところだけかいつまんで読んだ。今の時代、確かに情報過多で老若男女問わず子供も含めて多くの人が疲弊していると思う。心を豊かにするはずの技術革新が逆に負担を大きくしてしまっているこの世の中、気づいて考えていく必要はありそうだ。
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いまいちピンとこなかった。同じようなテーマなら「スマホ脳」(アンデシュ・ハンセン著)の方が圧倒的に面白い。
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人間は記憶に囚われ、本来的に自由ではない。さらには情報過多から思考過多に陥り、脳が疲弊している。結果、感情が早期に老化し、感情が早死にするという現代人の病理を解説。解決策としては、自分を縛るものすべてを疑い、自分を傷つける思考のすべてを批判し、生活の質や社会との関係性をどのようにしたいのかを意図的に決めるという、「疑う・批判する・決断する」ことが必要であり、それが自己を主導する力であるとしている。
一応心理学の本のようであるが、自己啓発本のような印象も受ける。様々なワードを用いてレトリック的には工夫しているが、内容的にはそんなに目新しいことは書かれていないように思えた。解決策も抽象的かつ精神論的で、要するにスローライフを推奨しているだけではないかという気さえした。 -
スマホやサブスクの奴隷となった現代人が抱える文明病、加速思考症候群。年齢に関係なく、集中力がなく、イライラし、短気で、傷つきやすく、感情の老化が早いと言う。主にその心理的メカニズムについて説明する本であり、対処法に関しては叙述が少ない。
結局、どうすればいいのかよく分からなかった。加速思考に慣れて感情が老化しきった人間にも未来はあるのかどうか、1番気になった部分には答えがない。
いや、普通に未来なんてないという事かもしれない。翻訳調で読みづらい文章のため、猛スピードで斜め読みしてしまった。半分もまともに理解してない可能性が高い。これぞまさに「加速思考症候群」の症状か。