- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620319278
作品紹介・あらすじ
どこまで考えても死なんてものはない、言葉だと知るだけだ。人生の味わいと存在の謎について未発表原稿とともに紡がれる、終わりのない精神の物語。
感想・レビュー・書評
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死は認識されないため一人称としては存在せず、そのため言葉上はその反対の生も存在しないがそんなことはなくて、ではある、ということ、ない、ということはどういうことなのか、わからなくなってしまった。なぜ生きるのか、ソクラテスの「魂の世話をするため」すなわち、善く生きるため、これが腑に落ちた。善く生きるために自分は何をするのか、自分とはなんなのか、生きるとはなんなのか、死ぬまで考えていきたい。
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一人称としての死は感じられないのだから、善く生きることこれに尽きるのかなぁ
死ぬとかに死を感じられるぞ!死ぬときの楽しみだぞ!と思っていたけど、たしかに「はい今死んだよ!」と感じることはできないんだろうな〜 -
考えが及ばない時
自分に問いただしても答えが出ない時
読みます
池田晶子さんは同じ年
潔く生きていらした姿は私の理想です -
池田晶子さんが目の前にいて私に話しかけてくれているような本でした。
言葉とはその人の存在そのもの。
そう実感しながら読了しました。
この本の中の言葉が池田さんそのものなのです。
死んでもなお私に強く語りかけてくるのを感じました。
最後の講演の原稿で問いかけてきます。
死とは?自分とは?
さて、死んだのは誰なのか。
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ジャンルとしては哲学エッセイと呼ばれるそうです。
ここから既に「言葉」とはなにか、
「意味」とはなにかという問題を突きつけられている気がします。
いわゆる常識的な(これ以外にどうやって形容したらいいのだろう?)「哲学」とは一線を画す。
しかし「エッセイ」として括るにも抵抗がある。
言葉の限界と、しかし言葉によって分類せざるを得ないという絶対的な矛盾と疑問。
考えるとはいかに難しいことか。
書かれてある言葉は優しく平明であり、
書かれてあることも極めてありきたりの問題。
だから筆者の言わんとしていることが分からないことはないのだ。
しかし、ひとたびそこに書かれていることを考えてみようとすると、「分からない」。
どうしてよいのか分からない。
どう言葉にしてよいのか分からない。
そもそも「考える」というのが、どういうことであったのかさえ「分からくなる」。
それは私があまりにも考えることから遠く離れてしまったためか。
言葉を道具として使うことに馴染みすぎてしまったためか。
少し「考える」ということについてしっかりと考えてみたいと思った。 -
哲学科出身のくせに考えることがどうもにがてで、すぐに安易なこたえを出そうとしてしまうのが、わたしの悪い癖ということに本書を読んで気付く。池田さんは考えていることが当たり前。それが仕事なので365日休みはない、となるほど。考えること、人間のあたりまえの行為をこれ程普通にしている人はいるだろか、びっくり。
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池田晶子の著作を幾本か読みましたが、この本は、私の関心事の「生死」の問題に焦点が当たっていますので、殊更素晴らしく思いました。結局、生死、自分、人生は、「なぞ」、絶対不可解と言っています。レビューを書くほど考えがまとまっていませんが、書いてみました。悪しからず。
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最後に収録されている講演の原稿が、この作品で最も言いたかったことだろうと思います。死の直前の著者の「考える」という事への情熱を感じた1冊でした。