- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620324906
感想・レビュー・書評
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書店で見かけて、冒頭にある叔父さんが亡くなった部分を読んで涙が出て困った。
でも、ちゃんと読んでみたら、涙なしでは読めないというよりは、親の死をちゃんと受け止めるということ、親が死んで悲しいけれど、遺された人は変わらず生きていくということ、そういうときに浮かぶ超現実的な思いなどがつづられていて、心に残る本だった。
お父さんへの最後のプレゼントがビスケットになりそうだと思ったり、お父さんから最後に買ってもらうのがコンビニのおでんになりそうだと思ったりする部分では、ともに食べ物だというところが切なかった。
「父語る」
著者がお父さんに、若いころ、子どものころの話を聞くくだりがある。
私自身は、それをやると父の死を射程に入れているような気がしてしまってどうしてもできないが、著者のお父さんは、うれしかっただろうな、そして著者もお父さんと向かい合う時間があってよかったと思う。
ラストで、著者はこう書く。
お父さんの死によって、心に穴が開く。
しばらくは、その穴に近寄ることもできないけれど、時間の経過とともにその穴に近づき、穴の中へ下りていくことができるようになる。そして悲しくなったらあわてて出てくるような感じ、と。
そして、「やっぱりあのときのお父さんは許せん」と腹を立てることすらあると。
<抜粋>
・なにかを処分したところで、思い出は失われないのだと思った。
・大切な人がこの世界から失われてしまったとしても、「いた」ことをわたしは知っている。しっているんだからいいのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
肉親を亡くした人だけが経験すること、感情。それがよく伝わってきた。
すごくよくわかるなあと思ったのは、例えばこんな部分。わたしも夕焼けを見て同じことを思った。
窓に額をくっつけて眺めていた。こんなにきれいな夕焼けも、もう父は見ることができない。死とはそういうものなのだと改めて思う。(p73)
これ(↓)もよくわかる。
わたしもこうしてあげたら、と思ってみたり、そうできなかったのがわたしなんだから仕方ないと思ったりする。
(北海道に)
一緒に行ってあげればよかったなぁ。
父の死後、そう思うこともなかった。あのとき一緒に行きたくなかったわたしが、父の娘なのである。(p94) -
作者と家族(父の死)を書いたエッセイ集。
シンプルなのに暖かくて、飾らないのに洒落た表現が多くて何ヶ所もドッグイヤーをつけてしまった。
知らないのにひとつひとつの情景が目に浮かび、ちょっとしたユーモアにくすっと笑える。
すごく好きな一冊。
「ワシ、もう家に帰りたい」
声が聞こえてきそうだ。 -
章仕立てになっていて、ひとつひとつがながくないのでとても読みやすい。構成は連続しているので、物語としても読めた。爽やかな読後感のなかに家族のあたたかさが感じられた。
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益田ミリさんとお父さんの最後までの日々を記述したエッセイ。
闘病中の父と著者、家族の日々が柔らかい語り口で描かれている為、切ないけれど、どこかほっこりとする。 -
著者の本はずいぶん前に一冊読んでいる。タイトルは思い出せないけど山のエッセイイラストが親しみやすく好きになる。
天国に旅立った叔父さんの思い出から父親とのわかれがあり思い出が綴られていく。エッセイの合間にかわいらしい挿し絵がある。
故人との思い出はそれぞれあるものでふっとしたきっかけや生活している折に触れてよみがえってきたりするもの。言葉には出来ないけどそうやってその人の「いた
」真実、生きた人生を思いやる行為がなぐさめになるのだと思います。
ー人は誰でも自分だけの人生を生きているー -
親と過ごした最後の日々の思い出、別れ、その後も続く日常の中でふと思い出したり感じたりすることがしんしんと描かれていて、温かさと寂しさがじんわり染みてくるような本だった。
「素直に気持ちを伝え、面倒くさがらずに生き」ることで、後悔をいくつかなくせたり、いつか優しい記憶として反芻できるのなら、父や母と過ごす時間をもっと大切にしたいなと思った。
それは親孝行とは違う、自分のための行為なのだろうけど。 -
ものごとの本質や問題の核をわかっている人の文章だなと感じた。
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淡々として綴られる日常はエッセイとしていいなあ
でも彼女に共感できないのです
年齢差かな
≪ おでかけは ちょっとそこまで 永遠に ≫