王朝の紙

著者 :
  • 毎日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620604268

作品紹介・あらすじ

鎌倉以降に製法が断絶した「繊維染緑紙」「紺紙」「茶毘紙」などの復元体験を通じて、気鋭の史家が「王朝の紙」の実像に迫る。

感想・レビュー・書評

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  •  「王朝の紙」とくれば、平安時代と思ってしまいますが、中国古代王朝の木簡竹簡から熟紙、日本だったら卑弥呼の時代から正倉院をへて、ようやく平安時代に入りました。鎌倉以降は紙の質が落ちるので、興味がないそうであります。

     著者は飯島春敬先生の息子さんだそうです。
     使っている紙の性質が、「書」の性質を規定する。紙の製造法が進化すると、おのずと書体も爆発的な進化をとげると主張されていました。偉い先生の息子だと大変なことも多いと思いますが、そういうことに気付けるのはやはり飯島春敬先生の息子だからだろうなと思いました。

     空海や嵯峨天皇のいままで見たことなかった作品が図版で載っていたのもうれしかったです。

     この本の見返しには、現代の薄様の色違いが前表紙に赤のグラデ、裏表紙に青のグラデーションで各四枚ずつ挟んであり、すばらしいというか、むやみに凝っているなあと感心致しました(笑)。

     あと気になったこととしては、
    ・白金とプラチナは違う金属である。
    ・狗奴国(魏志倭人伝)は沖縄のことだと書いてある。寡聞にしてその説は初めて聞きました。

    ☆★☆自分用メモ☆★☆

    ☆大色紙;北宋製
    筆者不明(「重之集」「清正集」を執筆している。「堺色紙」)
    第十三筆、重之集、清正集。
    「巻子本和漢朗詠集」(三の丸尚蔵館蔵)、
    「堺色紙」(五島美術館ほか分蔵)、
    「大色紙」「小色紙」(東京国立博物館ほか蔵)
    と同筆。筆者は藤原行実説や[1]、源俊明説あり[9]。

    参考;
    藤原 伊房(ふじわら の これふさ)
    白河天皇に仕えた賢臣として、大江匡房・藤原為房とともに「前の三房」と並び称された。

    勅撰歌人として、『後拾遺和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に5首が採録されている[1]。なお、『後拾遺和歌集』の奏覧本の清書を依頼された際に、自分の和歌作品が1首しか入首していなかったことから、勝手に2首を書き加えたところ、発覚して書き直しを命じられるが、それに立腹して清書の役を辞したという。

    「北山抄」
    「十五番歌合」
    万葉集 巻第九残巻(藍紙本)

    ☆本願寺本三十六人歌集(能書20人)1110年ごろ
    和様彩せんの頂点
    主席;藤原定実(ふじわら の さだざね)は、平安時代後期の貴族。権中納言・藤原伊房の子。官位は従四位上・右京大夫。世尊寺家第4代当主。

    古筆
    西本願寺本三十六人家集のうち「人麿集」「貫之集上」
    元永本古今和歌集 - 伝源俊頼
    巻子本古今和歌集 - 伝源俊頼
    下絵拾遺抄切 - 伝源俊頼。『拾遺抄』巻一・三の8点が知られる巻物の断簡。銀泥で帳・鳥・草花・折枝などを下絵に描く。書芸文化院などに分蔵。
    後撰和歌集切 - 伝源俊頼・伝藤原公任筆
    経裏切 - 伝源俊頼
    『筋切』『通切』 - 伝藤原佐理筆

    次席;藤原定信「貫之集下」(石山切)
    藤原 定信(ふじわら の さだのぶ)は、平安時代後期の廷臣・書家。藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり能書家として重んじられた。官位は従四位下、宮内権大輔。
    経歴
    元永2年(1119年)32歳の時、父定実が出家すると、能書として様々な書役を務めた
    金沢本万葉集
    定信和漢朗詠集切
    西本願寺本三十六人家集のうち「貫之集下(石山切として分割された)」「順集(糟色紙・岡寺切)」「中務集」
    砂子切本兼輔集切

    ☆元永本古今集(八年後)
    藤原定実




    ☆★☆

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