ルーダンの憑依

  • みすず書房
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622073970

作品紹介・あらすじ

歴史はなぜ憑依的現象をくりかえすのか?中世末期、フランスの一地方都市で発生した修道女集団憑依事件。悪魔祓い裁判へといたる社会のメカニズムが"歴史人類学"的手法のもとに現出する。

感想・レビュー・書評

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  •  本書は,17世紀の前半にフランスで起こった悪魔祓い裁判について書かれている。しかし,本書は単に悪魔祓い裁判の裁判記録をまとめたものではない。サン=ピエール教会の主任司祭ユルバン・グランディエが魔法使いとして告発されるまでの過程や,信仰心に篤い裁き手であるローバルドモンを中心とした裁判の実行者たちの裁判にかける情熱,そして悪魔に憑かれた修道院長ジャンヌ・デ・ザンジュが裁判後に得た栄光などが,やりとりされた手紙などの膨大な資料を示しつつ描かれている。
     ルーダンの悪魔祓い裁判は,被告が魔女ではなく魔法使いとして裁かれているという違いはあっても,ヨーロッパの魔女裁判の延長として捉えられることが多いだろう。その悪魔祓い裁判が行われた1632年から1634年が,デカルトの『方法序説』が刊行された1637年とほとんど同時期であることを思えば,なんとも不思議な感じもする。しかし本書を読むと,グランディエを魔法使いとして火刑に処したのは,迷信ではなくさまざまな思惑であったことがわかる。
     魔法使いとして告発される以前にも,グランディエに対しては上席権を巡る問題や情痴事件に関する訴訟があったという。雄弁家であったという主任司祭を快く思わないひとも多かったのだろう。さらに,グランディエは反体制的な思想の保有者でもあったらしい。また,悪魔に憑かれた修道院長ジャンヌは,小さいころから他人の注目を自分に集めるにはどうしたらよいのかを常々考えていたという。今で言う「かまってちゃん」タイプだったのかもしれない。その修道院長が,悪魔祓い裁判を通じて何よりの注目の的となり,裁判後には「多くの奇蹟」を顕していっそうの「栄光」を得たというのは印象的である。グランディエに対する火刑をありきとする観点からは,本書は死刑囚を生み出す過程を描いているとも言えよう。
     著者は,一連の出来事を演劇になぞらえた。個性的な登場人物たちが「魔法使い」「悪魔に憑かれた被害者」「裁き手」などの役割を演じ,多くの観客たちがその演劇を楽しむという構造である。そして,読者もまた,その演劇の一観客として本書を興味深く読めるだろう。

  • 悪魔の憑依現象

  • 色男の魔法使い=主任司祭が、抜け目なく上昇志向の強い年増修道女により、告発され、挙句に火あぶりされる。そこまで極端ではなくても、よく見られる構図である。
    訳があまりよくない。人名もやたらに出てくるので、覚えられない。

  •  本書は,17世紀の前半にフランスで起こった悪魔祓い裁判について書かれている。しかし,本書は単に悪魔祓い裁判の裁判記録をまとめたものではない。サン=ピエール教会の主任司祭ユルバン・グランディエが魔法使いとして告発されるまでの過程や,信仰心に篤い裁き手であるローバルドモンを中心とした裁判の実行者たちの裁判にかける情熱,そして悪魔に憑かれた修道院長ジャンヌ・デ・ザンジュが裁判後に得た栄光などが,やりとりされた手紙などの膨大な資料を示しつつ描かれている。
     ルーダンの悪魔祓い裁判は,被告が魔女ではなく魔法使いとして裁かれているという違いはあっても,ヨーロッパの魔女裁判の延長として捉えられることが多いだろう。その悪魔祓い裁判が行われた1632年から1634年が,デカルトの『方法序説』が刊行された1637年とほとんど同時期であることを思えば,なんとも不思議な感じもする。しかし本書を読むと,グランディエを魔法使いとして火刑に処したのは,迷信ではなくさまざまな思惑であったことがわかる。
     魔法使いとして告発される以前にも,グランディエに対しては上席権を巡る問題や情痴事件に関する訴訟があったという。雄弁家であったという主任司祭を快く思わないひとも多かったのだろう。さらに,グランディエは反体制的な思想の保有者でもあったらしい。また,悪魔に憑かれた修道院長ジャンヌは,小さいころから他人の注目を自分に集めるにはどうしたらよいのかを常々考えていたという。今で言う「かまってちゃん」タイプだったのかもしれない。その修道院長が,悪魔祓い裁判を通じて何よりの注目の的となり,裁判後には「多くの奇蹟」を顕していっそうの「栄光」を得たというのは印象的である。グランディエに対する火刑をありきとする観点からは,本書は死刑囚を生み出す過程を描いているとも言えよう。
     著者は,一連の出来事を演劇になぞらえた。個性的な登場人物たちが「魔法使い」「悪魔に憑かれた被害者」「裁き手」などの役割を演じ,多くの観客たちがその演劇を楽しむという構造である。そして,読者もまた,その演劇の一観客として本書を興味深く読めるだろう。

  • amazonより
    この「ルーダン劇場」において露になる《性》《秩序》《権力》《言論》のメカニズム。それがある目的に向けて機能させられるとき。恐るべき勢いと残虐性が発揮される。宗教的時代が終わりを迎え、近代が始まろうとする巨大な歴史的転換期に発生した悪魔祓い裁判の結末に、私たちは不安定な時代の徴候を見、そのリアリティーにおののくことだろう。神学、精神分析学、文化人類学、社会学の知がクロスオーバーする独自の歴史学を実践してゆくセルトーの出発点がここにある。

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