記憶を和解のために――第二世代に託されたホロコーストの遺産

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622076315

作品紹介・あらすじ

はるか彼方のホロコーストをどう理解し、その意味を伝えていけばよいか。繋ぐ存在としての「私」や第二世代とは。記憶の政治学を超えた、未来へのまなざしの書。

感想・レビュー・書評

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  • ホロコーストの歴史の克服と和解の道を模索した本書。生存者の子どもである「第二世代」にあたる著者による、六〇年の思索の軌跡。

    第二世代のジレンマは、自身は直接的暴力の被害を経験していないこと(でありながら決定的な影響を受けている)。憎むにも、和解を告げるにも、加害者の顔を知らず、対象が抽象的にならざるを得ない。
    著者の指摘は鋭い。被害者としてホロコーストの経験を「神聖化」することの無意味さを論じていく。イスラエル政府がホロコーストを国家団結の道具としていることに疑問を投げかける。その他数え上げればきりがないが、括目に値する論考、指摘の数々。

    「自分たちが失った大きなものにではなく、その後得たものに価値を付与していけるか」

    章のタイトルが思索の道のりを語っている。
    1現実から寓話に
    2寓話から精神に
    3精神から物語に
    4物語から倫理に
    5倫理から記憶に
    6記憶から過去に
    7過去から現代に

    本書の序として、著者が日本の読者へあてた文章がある。原爆、東日本大震災という歴史的悲劇の克服という難題に共感と関心を寄せる著者。この「共感」というものが重要なアプローチであることを知らされる。

  • サディズムと侮辱、この2つはナチスのユダヤ人に対する虐殺行為の中でもホロコースト特有の恐怖だった。東欧の村々で勝手放題に行われた虐殺にはつきものの野蛮極まりない嘲りは死者の数を更新していくナチの暴虐行為がもつグロテスクな一面を表していた。

    アメリカではユダヤ人共同体でさえ、欧州kらの移民を歓迎しなかった。たしかにそうだろう。頼られても困る。

    救出に関わった人と密告者の比率はワルシャワとアムステルダムでほぼ同じだった。ユダヤ人を救うためにポーランド人が侵さなければならない危険の度合いはオランダ人とは比べものにならないくらい高かった。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    http://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&bibid=TB90240545

    第2世代ということ
     ナチスによるユダヤ人大虐殺を生きのびたひとの記録は、数多くあります。しかし戦後、そのひとたちのもとで、子どもはどのように成長していったのでしょうか。
     子どもは直接ホロコーストを経験していないにもかかわらず、親のもとで、その影におおわれて育つことになります。こうした子どもたちが一定の層をなし、第2世代と呼ばれていることを、長じてのちに著者ははじめて知ることになります。
     これは第2世代の人間の、生きる意味を探る記録です。著者の問いはホロコーストにとどまらず、さらにひろがりを獲得します。―― いまだくりかえされる大殺戮を生きのびたひとは、そしてその子らは、どのように生きてゆくでしょうか。
     またここには同世代のドイツの若者との出会いも、さりげなく触れられています。かれはナチス時代の法律家を父にもち、やがて父にたいして疑念を抱き、反発し、自分の存在意義そのものをたえず問いつづけます。この出会いは、異文化コミュニケーションそのものではないでしょうか。

    (推薦者:経済経営学類 神子 博昭先生)

  • 「「祖国・音楽・ショパン」を語る」
    ジュンク堂書店 池袋本店
    開催日時:2013年11月05日(火)19:30 ~
    エヴァ・ホフマン(作家)、崔 善愛(ピアニスト)
    ★入場料はドリンク付きで1000円です。当日、会場の4F喫茶受付でお支払いくださいませ。
    ※トークは特には整理券、ご予約のお控え等をお渡ししておりません。
    ※ご予約をキャンセルされる場合、ご連絡をお願い致します。(電話:03-5956-6111) 
    http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=2950
    エヴァ・ホフマン来日 「「祖国・音楽・ショパン」を語る」
    http://www.msz.co.jp/news/event/

    みすず書房のPR
    「〈ホロコーストを引き継ぐ使命は、私たちのもとに手渡された。第二世代は、まさに過去と現在を繋ぐ世代なのだ。すでに受容され、世界に向けて詳らかにされたホロコーストの事実は、歴史や神話に変容されてきた。私たちの世代は、いまいちどショアから導き出される多くの問いかけに対して、現在とのつながりにおいて考えることができるはずだ。この本は、そのような問いをめぐる一人の人間の思索であり、終わりなき苦難の歴史への長い応答である〉

    著者は1945年にポーランドのクラクフに生まれた。ホロコーストを体験してきたユダヤ人の両親の下に育ち、家族とともにカナダに移住した著者は、日々の両親の沈黙や、時に発せられる過去の悲惨についての語りに戸惑いながらも、しだいに、彼ら第一世代の事実や思いを受け止め、自分自身の、そして第二世代の課題にしてゆく。
    はるか彼方のホロコーストをどうやって理解すればよいのだろう? 現在を生きる私たちにとって、ホロコーストがもつ意味は何なのだろう? その意味を次の世代に伝えていくにはどうすればよいのだろう?
    記憶とは、歴史とは、文学とは、アイデンティティとは、正義とは? 本書は、同時代や未来を生きる人びとに宛てた、自分自身との真摯な対話の書である。 」

  • ホロコーストを直接経験した訳ではないが、そのアイデンティティ形成には大きな影響を与えている…「第二世代」として「集団の記憶」をどのように捉えるのか。
    私自身もある意味「第三世代」として興味深い内容でした。

  • ――普遍的な思考をもてるようになるべきだとわかっていても、私たちには感情まで受け入れるだけの包容力がないのかもしれない。・・・・読了。ホロコーストの影響は、当然といえば当然だが、それ自体や戦争が終わっても、すぐに消えることはない。マイケル=サンデル教授の戦争責任や賠償・謝罪についての討論をふと思い出した。

  •  自分の親が戦争のなかの言語を絶する出来事を生き延びたとして、その経験の記憶を、子どもである自分はどのように受け継ぐことができるのだろう。また、こうして戦争の記憶を継承することには、どのような意味があるのだろうか。沖縄、広島、長崎など戦争が深く刻み込まれた場所のみならず、おそらくは世界中で今すぐに向き合わなければならないこれらの問題に、著者のエヴァ・ホフマンは、自分自身の他者とともにある生そのものに関わる問題として取り組んでいる。その過程は、クラクフのポーランド語とイディッシュ語の世界を出て、カナダを経てアメリカ合州国の英語の世界に逢着するまでの半生を綴った前著『アメリカに生きる私』(新宿書房)とは、ほぼ逆の道筋を辿ることになる。そうであるがゆえに、本書における著者の思考は、ジェノサイドが未だ止んでいない世界におけるホロコーストの記憶の継承の意味を問う、すなわち記憶することを現在の問題として問う、真摯な考察になりえていよう。1945年に、まさに戦争とホロコーストのなかから生まれた著者は、ホロコーストの生き残りである両親が抱き続けた、癒えることのない傷としての記憶を、傷のままに受け取ったことを、同世代の人々の観察にもとづいて、直接の体験者である親の世代に続く「第二世代」におおよそ共通する経験として捉えるところから出発する。死さえも刻み込まれた傷としての記憶を親から直接に受け取ることは、たしかに日常生活を掻き乱し、喪失感を残す。しかし、そのことに打ちひしがれることに終わるのではなく、想像力を駆使して、「何が起こったのか、何が間違っていたのか、さらにそれがどのような傷を魂に与えたのか」を認識してこそ、「第二世代」は「蝶つがい」の役割を果たして、過去の記憶のうちに未来を指し示すことができる。つまり、著者によれば、両親の苦悩の記憶をそのまま心に刻みつけられた「第二世代」は、その個の記憶を、両親の世代には不可能な仕方で解きほぐし、語り伝えることができるのだ。そして、その出発点には「共感」が置かれなければならないという。それは、「語られる物語に余計なものを加えることなくそのまま受け入れる力であり、他者の感じていることを過小にも過大にも評価することなく公平な感覚で捉える能力のことだ」。おそらくそうした意味での「共感」をつうじて記憶を分有することは、例えば証言を聴くことについても言えるだろう。その際、「歴史にセラピーを行なうことなど論外だ」ということを踏まえなければならないのだ。そのうえで、かつて何が起きたのか、誰がどのように誤ったのかを解きほぐしてこそ、被害者の子どもは、加害者の子どもと対面し、さらには同じ世界でともに生きていける関係を築くことができるのである。著者は、そのことにつきまとう倫理の問題も避けてはいない。もちろん、双方において圧倒的な力をもつ「過去と関係を結ぶ」ことが課題となるわけだが、まずは加害者の子の側が、自分のアイデンティティを構成する過去の検証へ一歩を踏み出さなければならない。そうして、かつて犯された罪の所在を突き止める責任があるのだ。その罪が繰り返されないために。他方で、被害者の子の側が、親の世代の経験を──著者が批判するイスラエルのヤド・ヴァシェムのように──「世俗的に聖化」することも許されるべきではない。このような「正義の原則」が貫かれるなかでこそ、「第二世代」は、他者とのあいだで、被害者と加害者のあいだで「蝶つがい」となりうるのである。こうして、過去を正しく捉えることにもとづいて、他者と正しい関係を築いていくことが、今なお続く暴力の歴史を食い止める力となりうると著者は考えているようだ。さらに、このことは過去との関係を分節化し、その力を脱することでもあるという。ただ、著者はそのことをいささか割り切り過ぎている──同様の割り切りは、前著における「英語」に対する態度にも感じられた──ようにも思える。ベンヤミンやデリダが述べていたように、またいみじくも著者が、ポーランドへ旅し、両親がホロコーストをくぐり抜けた場所に立った後、ポーランド人によるユダヤ人の虐殺の犠牲者を追悼する式典に参加した──その経験についての記述は感動的ですらある──のに触れて述べているように、「いくら逃れようともがき続けても、過去の影からは逃れることができなかった」と言わざるをえない瞬間は、いつでも訪れうるのではないだろうか。そのとき、著者が述べていたことが、あらためて後の世代の課題になるはずである。とはいえ、本書から読み取るべきは、過去の記憶を解きほぐしつつ受け継ぐという課題を今ここで引き受けることの希望であろう。たしかに、本書で用いられる概念の不明確さや、作家や思想家に対する著者の誤解を問題にすることは易しい。しかしその前に、死者を含めた他者とともにある未来へ向けた、直接の体験者でない者の継承の課題と、それに応えることの希望を語る著者の言葉の力強さを受け止めるべきではないだろうか。なお、本書の原題は、エリオットの詩にもとづく、“After Such Knowledge: A Meditation on the Aftermath of the Holocaust”である。「記憶を和解のために」という訳題は、達意の翻訳を送り届けてくれた訳者の深い理解にもとづくものであろうが、管見のかぎり「和解」という言葉はほとんど出てこない。原題をある程度そのまま訳した訳題でもよかったのではないだろうか。

  • 新聞の書評欄でみかけて、図書館へリクエストしていたら、思いのほか早くヨソの図書館から相貸で届く。300ページ近い本を、ぎりぎりまで延長して、行きつ戻りつ読む。日本語版への序で著者のエヴァ・ホフマンが地震と津波、原子力発電所の事故のことに言及していることもあって、この本を読みながら、放射能について自分が見聞きするさまざまな言葉のこともずいぶん考えた。

    「集団的な大破局がもたらしたものの意味を考えること…その大破局後の記憶が、個人のそして集団的な人間の次元でどのように変わってきたかを省察したい」(pp.i-ii)という思いで、この本は書かれた。著者のホフマンは、ホロコーストをかろうじて生きのびた両親の娘としてうまれた。

    誕生のときからずっと、自分の人生はショアとともにあったとホフマンは書くが、その事実のみに自分の人生は縛られていたわけではない、人生を織りなす糸の中から、初めて意識的にホロコーストの糸を手繰り寄せたのは、自伝にとりかかったときのことだという。

    ▼私たちの世代は、いまいちどショアから導き出される多くの問いかけに対して、現在とのつながりにおいて考えることができるはずだ。この本は、そのような問いをめぐる一人の人間の思索であり、終わりなき苦難の歴史への長い応答である。(p.7)

    父と母は、どのようにして自分たちをたすけてくれる信頼できる非ユダヤ人をみつけたのかを、ホフマンはずっと両親に訊いてみたかったという。どの人間が信頼できるのかを見分ける力、そして他者を信頼できる力が、両親の生存には決定的なものだったから。そして、自分たちがうまれたのだ。

    父が遺した手紙の下書きを手がかりに、ホフマンと妹は、両親を匿ってくれた人と村をたずねた。そこで両親を知る人たちに会い、会ったこともなく写真さえ残っていない祖父母や叔父叔母たちが、私たちにもいたのだと実感する。父を記憶し、母を記憶してくれていた人たちによって、自分たちの家族の新たな一面、日常のこまごまとした思い出が、あたたかな親近感でもって立ち現れた。

    この村にたどりつき、思い出を語ってくれる人と会ったことで、ホフマンと妹とは、自分たちが失ったものの大きさを知る。そうでなければ、失ったことさえ気づかなかっただろうとホフマンは書く。両親がこの村に住んでいた時間、村で共に暮らしていた人たちを知ったことで、ホフマンにとって、それまで思い描いていた、両親たちにとっての恐怖の時代は、少し違ったものに書き換えられた。

    「ここで何が起こったのか、書かれたものは何もないの。」「でも、すべてのことが、私たちの記憶の中にあるのよ…」(p.224) ホフマンと妹のふたりに、かつての両親たちの姿を語ってくれたオルガはこう言った。

    記憶と出会い。

    カバー絵は、香月泰男の「黄色い太陽」。訳者によると、原著の表紙には、アウシュヴィッツの引き込み線の写真が配されているという。どういう縁で香月の絵がカバーに使われたのかはわからないが、シベリア抑留を体験し、シベリヤシリーズの作品もある香月作品が、ホロコーストの第二世代の著書に配されるのも、出会いなのだろう。

    「ホロコーストの経験者」とか「生存者の子どもたち」というふうに、その側面だけで人を閉じこめてほしくないという話も、印象に残った。

    ▼…人間を「迫害された者」という枠組みに閉じ込めてしまうことは、そしてまた彼らが他者への思いやりや寛容さを持つことが不可能な状態にある人間だと決めつけてしまうことは、また別の意味で生存者たちをごく普通の人間同士の繋がりや信頼関係の輪ではなく、隔離した別のところに追いやってしまうことになる。(pp.108-109)

    ▼…私はごく普通の人間として、ホロコーストが話題になるときでも、もちろんドイツとユダヤ人の問題に関することも含めて、特別な「立ち位置」や「距離」は一切なく、自由に話のできる人間として扱ってもらいたいと願っている。別の言い方をすれば、「ホロコーストの生存者の子ども」としてではなく、自由な立場でホロコーストを語る人間として見てもらいたいのだ。(p.137)

    それぞれの人生を織りなす糸、その中の「生存者」とか「その子ども」という糸を手繰りよせ、その糸をしげしげと見つめる人ばかりではないだろうと思う。思い出したくない人もいるだろう。ホフマンは、そういう糸の撚り具合、糸のなりたち、そのよってきたるところまでたどった人。だからといって、その糸ばかりがホフマンをあらわすわけではない。


    ※p.289の「聖人君主」は、おそらく「聖人君子」の誤り
    ※関連文献リストのp.viiにあるKingstonの"The Woman Warrior"には、訳書が併記されていないが、藤本和子訳『チャイナタウンの女武者』(晶文社)があるはず

    (10/8了)

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著者プロフィール

1945年、ユダヤ人の両親のもとにポーランドのクラクフに生まれる。13歳でカナダに移住。アメリカのライス大学で英文学を学び、ハーバード大学大学院で博士号を取得。1979年より1990年まで『ニューヨーク・タイムズ』の編集者として活躍。1989年にノンフィクションとして高い評価を得た自伝Lost in Translation: A Life in a New Languageを出版し、作家生活に入る。代表作『記憶を和解のために――第二世代に託されたホロコーストの遺産』(2004、早川敦子訳、みすず書房2011)のほか、小説The Secret (2001)、『シュテットル――ポーランド・ユダヤ人の世界』(1997、小原雅俊訳、みすず書房2019)、Illuminations (2007)、『時間』(2009、早川敦子監訳、みすず書房2020)、How to Be Bored (2016)、東日本大震災後の日本を訪れ、メッセージを託した『希望の鎮魂歌――ホロコースト第二世代が訪れた広島、長崎、福島』(早川敦子編訳、岩波書店2017)など。現在イギリスに在住。

「2020年 『時間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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